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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

南葛定卒業式不起立1円裁判・原告陳述書

2010年02月18日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ★ 「南葛定卒業式不起立1円裁判」判決
  2月25日(木)16時 東京地裁606号法廷


 ◎ 南葛定卒業式不起立1円裁判原告陳述書(草稿)から
木川 恭(2009年9月15日)

 (略)
(4) そういう南葛の「10.23通達」以前の卒業式は、卒業生を中心にした式であることは言うまでもありませんが、壇上を使わず、フロアーで在校生と向き合い半円形に並ぶ卒業生達の席を校長が周り、一声祝福の言葉をかけて卒業証書を手渡す形をとっていましたが、これは、定員の3倍の応募者が押しかけた時でさえ、過重労働を敢えて引き受け、生徒を選抜せず、全員を受け入れ、入学してきた生徒と真摯に関わることを大切にしてきた南葛に非常にふさわしい形であり、権力的・権威主義的・全体主義的な被告の強制するそれとは対極の位置にあるものでした。
 これは、全日制と定時制は校長が同じであり、日常的に定時制生徒とは縁遠い校長が、せめて卒業式では、4年間あるいはそれ以上の時間をかけて様々な困難を乗りこえ、人間的にも見違えるように成長し、新たな明日に向かって、自立した出立の第一歩を印そうとする卒業生に、心から敬意をあらわす形なのです。
 実際生徒達は4年間の南葛生活を総括し、そういう内容の答辞を読んで在校生に生きる力を与えていきますので、「卒業式に出て良かった。俺もああいう風になって卒業するよ」と、在校生は応えていくのですが、南葛の伝統はその様にして創造され受け継がれてきていたのです。
 Ⅲ.誰のための卒業式か

(1) ところが南葛の卒業式の伝統は被告の職務命令によって無残にも踏みつぶされ、「日の丸・君が代と被告により派遣された監視人付という点で全都一律の式を強制されてしまったのです。
 自分達も従来の卒業式をやるんだと当然の如く思っていた生徒達の多くは、被告の「10.23通達」後、何だか様子がおかしいそと段々不安になってきて、二学期末にはHRで自分達の卒業式について議論し考えていくようになりましたが、その場で生徒達は担任の私に対して、様々な質問をぶつけてきました。
 例えば、本当に今までの卒業式はできないのか。何故学校独自の式が認められないのか。都教委の言ってるやり方は強制なのか。何故日の丸・君が代が卒業式に必要なのか。何で急に日の丸・君が代と言い出すんだ。日の丸・君が代をやらなかったらどうなるんだ。先生は起立して君が代を歌わないと思うけど、歌わなかったら処分されるのか。先生はどんな処分をうけるのか。もし俺達が起立して歌わなかったら、俺達が処分されるのか、それとも先生が処分されるのか。都教委の考えていることはメチャクチャじゃないのか。都教委にそんな権限があるのか、等々。
 総じて生徒逮の質問・意見は、極めて的を射たものであり、都教委は自分達を馬鹿にしている、誰のための卒業式だと思っているんだ!という怒りに貫かれていたと思います。
(2) 卒業試験後授業のなくなった生徒達は、卒業式前日までのおよそ1ヶ月間、毎日登校して4年間の総括討論を夜中まで行っていましたが、卒業式を間近にひかえた段階では何度か卒業式をめぐってHR討論を行い、クラスとしてどう対応するかについて真剣な討論を主体的に組織していました。
 担任の私は、在校生の授業がない時は、HRに出て黙って生徒達の議論に耳を傾け、質問が出た時だけ生徒達に話す様にしていました。その中で、日の丸・君が代があるなら卒業式には出ない、日の丸・君が代がなければ卒業式には出ないという、この二つの意見を両極にして様々な意見が飛び交いましたが、日の丸・君が代なんて自分達の卒業式にふさわしくないという多数派の生徒が形成される一方、被告と全く同じ考えの生徒もいて、結局全員が納得できる一つの結論には至らず、クラスとしてはまとまった行動はとれませんでした。そこで最終的には一人ひとりが、自分の判断と責任で行動することになり、自分はどういう参加の仕方をするのか、その態度をみんなの前で鮮明にし、それについて相互批判が行われ、曖昧な態度は客赦なく批判されていました
 その結果、式の初めに歌われる君が代が終わってから参加する人、最初から式場に入り起立せず君が代を歌わない人、起立して歌う人と、様々な態度を見ることができましたが、これは日の丸・君が代に対する多様なとらえ方が現実にある訳ですから、非常に健全な光景だったと思います。
 しかし被告は、繰り返し生徒を指導すべきであったにも拘わらず、それを放棄したか、それともできなかったと考え、私を「指導」した訳ですが、被告のやり方は明らかに強制であり、生徒自身がクラスの仲間との率直な議論の中で真剣に考え、たどり着いた大切な意思決定を否定することになり、生徒違の内心の自由を奪う明白な憲法違反となることは言うまでもありません
 しかし、そもそも私自身が君が代君が代を否定的にしか評価していない確固たる思想・信念をもっている訳ですから、被告の期待する「適切な指導」等はできないのです。蛇足ながら、式の進行には些かの混乱もなかったことを付け加えておきます。
(3) ところで、初めは日の丸・君が代について生徒達に特にあらたまって話したことはありませんでしたが、私が外国文化研究会顧問であり、在日外国人生徒達と熱心に関わっていることは良く知っていましたから、担任は起たないだろうと思っていましたし、むしろ処分されるだろうということをとても心配してくれていたのです。また自分達が起たなかったら担任はそのことでも処分されるのではないかと危惧してくれていました
 ですから私は、担任の処分のことは考えなくて良いから、自分達の信ずるところに従って悔いのない行動を取って欲しいと、生徒達には話していました。
(註)一卒業式などで生徒が起立しなかった場合に教師らを厳重注意などにする処置は、自分たちが起立しなければ先生が処分されるという一種の脅しになり、生徒の行動を縛ることにならないか。
 「それはちょっと達うんじゃないの。生徒がそれほど先生を尊敬しているかよくわからぬからね。このごろね、先生が罰せられるの、おれたちは大変だというほど、そこまで意識ないんじゃないか」
 これは「石原知事発言録」(2004年6月8日付『朝日新聞』)が伝える4日の記者会見でのやり取りですが、知事の貧相な教師観・生徒観が垣間見えて怖くなります。教師をどう見るか、生徒をどう見るかということは、教育を考える上で基本的な問題の筈ですが、この基底的な部分にいかんともし難い歪みが「石原・教育委員会」にはあるのです。
 なお、HR討論の中で、先生自身のの考えを教えて欲しいという質問がありましたので、学習指導要領、被告の考え方を説明した後、私の考えを忌憚なく話しています。それで私の不起立の理由を全員が明確に知ることになりましたが、純粋で頑固な木川らしい態度表明だと納得してくれていました。
(4) 残念ながら強制された卒業式ではありましたが、答辞の内容は、南葛の歴史に恥じないものであり、かつHR代表の答辞も、外国文化研究会代表の朝鮮人生徒の答辞も、被告の強制する卒業式のあり方をしっかり批判していました
 例えば前者のそれは、「今、都の教育委員会は、反対する先生達を処分してまで全都一律に日の丸・君が代を強制しています。このことは自分逮にふさわしい卒業式とは何か、ということについて一生懸命討論してきた私達には、とても理解できません。教育がこのような処分を振りかざした命令で行われるということは、民主主義の国ではありえないことだと思います。とくに日の丸・君が代の問題は、一人ひとりの思想・信条にかかわるものですから、よけいに強制・命令とは無縁のはずだと、私達は考えます。ぜひ、来年度の卒業式には日の丸・君が代の強制をやめていただきたいと強く訴えたいと思います」と冒頭に述べていたのです。
 また、「卒業式の歌」は、朝鮮語の授業でみんなが歌って大好きになった「アチミスル(朝露)」という歌を、朝鮮語の先生と一緒に(もちろん担任もですが)、朝鮮語と日本語とで、元気に歌いましたが、この歌は卒業生達が心の底から歌いたいという気持ちを持って歌っていましたし、また、歌の一節にある「私は行く荒れ果てた荒野へ/悲しみ振り捨て私は行く」という言葉を、自らのこれからの人生を歩む決意として歌っていたように思えて、とても感動的なものになりました。
 これで日の丸・君が代がなかったら、とても素晴らしい卒業式になっていただろうと思うと、返す返すも口惜しく思えてなりません。
(略)

 V.何故「1円裁判」なのか

 石原都政下でなければ再任用されて、今頃、時には悩みながらも、心を割った生徒達との真剣な関わりにこの上ない喜びを感じながら仕事をしており、相応のお金が入っているはずですから、それに見合う損害賠償、慰謝料等を要求することは正当な行為です。しかし、あえて私は1円の慰謝料のみを要求しています。
 第一にそれは、この種の裁判では、往々にして原告が勝ったにしても、金銭的な決着となることが多く、負けたほうは、もう金を払ったのだからこれ以上ぐずぐず言うな、と金さえ払えば艮いという風潮がある様に思いますし、勝った方も、仕方ないが少しでもお金を取ったからこれで良しとしよう、という感じで、幕引きとなります。
 しかしこの様なことは、やむを得ない面があるとは思いながらも釈然としない気持ちを抱かせるものであり、本当に健全な紛争解決の方法なのだろうかという疑問がつきまとって仕方がないということです。
 第二に、日本の司法は、三権分立に対する認識が希薄であり、国民の権利擁護にも消極的で、行政権力による国民に対する権利侵害のチェック機能を、十分に果たしているとは言い難いと思います。
 そこで、南葛という現場に戻して欲しいという本裁判にかける本質的な要求を明確にしておきたい、と考えたからです。
 そして第三に、世の中お金が全て、という風潮も根強いものがありますが、生徒達にことあるごとに「お金が全てではない」と偉そうに言ってきたこともあり、その自分の言葉を実行するまたとない機会だと思ったからです。
 何はともあれ、本裁判は、君が代を起立して歌わなかったことを理由に、生徒の前に立つ資格がないと焼き印を押された私にとって、省みれば不十分な点も多々ありましたが、人生の半分以上を、時間にすれば十数万時間を、一教師として、南葛と上忍の教育に労苦をいとわず尽力し、私なりにカの限り識実に生きてきた、その名誉を回復し、再び南葛の若き魂たちと出会うための闘いなのです。このことを裁判長には良く理解していただき、正義の実現に向けて一歩、駒を進めていただければ幸いです。
 一以上

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