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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

南葛定卒業式不起立1円裁判判決公判

2010年02月19日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 =「南葛定卒業式不起立1円裁判」(2010.1.31号)
 ~いよいよ判決です~


 期日;2月25日(木)16時
 場所;東京地方裁判所606号法廷(6階)
   *地下鉄丸ノ内・千代田・日比谷各線「霰ケ関」
 ◎判決後、場所を移して総括集会を予定していますので参加していただければ幸いです。


 提訴以来、皆さんより温かい励ましをもらい1年半闘ってくることができました。そして、ようやく来月15日に判決の日を迎えるはずでしたが、突然1月29日に裁判所から連絡が入り、上記の期日に変更されました。
 その前日、「再雇用の裁量権はかなり広く、不法行為を構成するのは例外的な場合だ。再雇用を希望する者が抱く期待が法的保護を受けるとはいえない」というひどい高裁判決が、昨秋に続いて出ていますので、これとの関連があるのではと勘ぐりたくなってしまいます。
 二件とも原告の逆転敗訴ですから、暗い予感が頭をよぎって仕方ありません。何しろ裁判官も巨大な官僚組織の歯車になっていますから、よっぽど胆力がないと先輩の判決を批判することはできないはずです。ということで過大の期待は一切できません。
 悪質な高裁判決が大きな流れになったら石原行政のゲバルトは止めようがないと思います。国民の人権をあまりにも軽視する憲法の番人の存在は、違憲の状態と言わなければなりません。そもそも憲法は国民の人権を守るために創られているのですから。
 憲法を創る為のささやかな努力はこれからも続きそうです。自らを鼓舞しながら・・・。
発信;木川恭(中野区東中野3-2-3)

 ◎ 南葛定卒業式不起立1円裁判原告陳述書(草稿)から
木川 恭(2009年9月15日)

 Ⅰ.恣意的な再任用選考


(1) 教員生活の大半を南葛で過ごした私は、南葛の生徒がとても好きですし、人事異動が激しく、自分逮が創ってきた南葛という学校が、どんどん南葛らしさを失っていく、つまり、南葛にたどり着く前に様々なレッテルを貼られ働っいてきた生徒達の人間の真実に触れようと努力していく中から、生徒達が今までの人間関係においては決して見出し得なかった、かけがえのない自分を発見し磨いていくことを目指した教育が、年々失われつつある現実がありましたから、定年後も働き統けたいという気持ちは非常に強くありましたので、被告の*君が代をめぐる不当極まりない処分がなければ、今頃は、再任用職員として導任教員に決してひけを取らない勤務実績をあげている筈でした。
 しかし、2003年の「10.23通達」以後の卒業式等で処分された人は、誰一人として再雇用・再任用選考に合格していませんでしたので、絶対受からないと思っていました。それ故、再任用選考を受けたいという気持ちを封印せざるをえなかったのです。
 ところが、それまでは、君が代問題で処分された者を被告が合格させることはありえないので推薦することは考えられないと言っていたその校長から、退職する前の年度の秋に、「南葛の人権教育を守るためには、木川先生がいないとどうしようもないので、推薦するから是非受けてください」という趣旨の提案があり、もしかしたら受かるかもしれないという希望がわいてきましたので、南葛の生徒達のことも考え、再任用選考を受けることにしたのです。
 ところで、校長が原告に対して推薦すると言ってきたのは、私が当時の同和教育、人権教育を核にした南葛の教育実践の柱でしたので、私がやめた後のことを真剣に考え、ぜひ南葛に残って欲しいと強く考えたからですが、その背景には、都教委としてもいつまでも被処分者を排除し続けることはできないという健全な考えがあったからだと思います。
(2) 選考の門戸を開けておきながら、絶対合格させない採用選考制度は、行政の恣意性と権力性を余すところなく示していますから、このような都民の良織からは全く考えられない制度運用をいつまでも続けていくことは不可能ですから、この校長推薦の話が出てからは、被告に良職の欠片でもあれば、受かる可能性は十分にあると思っていました。
 しかし現実には不合格となりましたから、合格の可能性を信じていただけに大変残念に思いましたし、「準備書面1」で述ぺた様に、正式発表前に事実上私の不合格が決まっていたこと等もあり、怒りが沸々と湧いてきて、その煮えたぎる怒りが、腐りきった被告の弾圧に屈し泣き寝入りするな、南葛の教育を守り、南葛の生徒を守れ、と私自身の良心に裁判闘争を命じたのです。
 今まで三十数年、私は、歴代の多くの都教委の部長、課長、指溝主事等と出会い色々な話をしてきましたが、彼らから批判・非難の類を受けたことは一切なく、逆に、南葛や私の実践に対して、「皆さんの生徒さん達を思う気持ちやその実践には本当に頭が下がります」と言われ続けてきたのです。
 また、卒業式で不起立生徒が多かったので何人もの担任が「指導不足」のレッテルを貼られ注意指導されましたが、翌年度には都敏委が乗り込んできて公開授業もやらされることになりましたので、問題となった卒業式の当該学年の担任であった私が授業をやることにし、生徒に朝鮮と向き合うことの意味をしっかり考えてもらおうと、植民地支配下の多くの朝鮮人に心から慕われていた希有の人、「浅川巧」の授業を行いましたが、その時も素晴らしい授業だと評価され、都教委から指導されるようなことは全くありませんでした
 (註)この時、授業内容を知った都教委の担当統括指導主事は、人権は専門でないということで、人権担当の統括指導主事も一緒に来校し、私の授業を見ていますが、講評したのは人権担当の人で、本来の担当者は、持参した都教委のパンフを読んだだけでした。
 そして教員生活最後の年には、『蘭学事始』を素材にして、歴史と現代を生きる私遼との関連性を強く意識した部落問題を考える公開授業をやっていますが、その時の授業も都教委からは高く評価され、指導される様な点は、一つとしてなかったのです。
 有り体に言えば、被告には私の授業を初めとする教育実践を指導するカはないのです。そういう私が、お前は教壇に立つ資格はないと言われた訳ですから、まさに怒髪天を衝くという形容がふさわしい憤りを感じたのです。しかもその理由が、校長の職務命令に逆らって、起立せず君が代を歌わなかったことなのですから、二重の憤りです。
 被告は私に、「『二枚舌教師』になれば良かったのだ」と言うのでしょうか。それとも「『奴隷教師』の境遇に甘んじておれば良かったのだ」とでも言いたいのでしょうか。いずれにせよ被告は、私の思想・良心を押し殺し、強大な権力の思想性を歌いあげた君が代を強制してきた訳ですから、これは明らかに私の思想・良心の自由を奪う、行政権力の卑劣な行為に他なりません
 (略)

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