◆ 3日に強行された田中さん「服務事故再発防止研修」中止を求める行動の報告
根津公子です。
2日に田中聡史さんに対し、都教委が学校に押しかけての「服務事故再発防止研修」(「訪問研修」という)が強行されました。
次回の「訪問研修」は7月16日(木)14時45分から1時間、と告げられたとのことです。昨年、一昨年は月に1回の「訪問研修」でしたが、今年は7月に2回。どういうことかは判断できません。
※都教委 教育情報課(都民の声を聞く担当):電話 03-5320-6733
FAX 03-5388-1725
※石神井特別支援学校:電話 03-3929-0012 FAX 03-3929-1911
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以下に、3日の私たちの行動報告をします。
◆ 田中聡史さん「服務事故再発防止研修」(訪問研修2回目)中止要請・抗議行動の報告
学校を会場とする「服務事故再発防止研修」を校長は返上したらいい
3日、都教委は石神井特別支援学校に押しかけ田中さんに対して「服務事故再発防止研修」を強行した。
7時10分、大雨が降る中、私たちは出勤する教職員にチラシを配り始めた。と、すぐに副校長がやってきて、「敷地には入らないでください」。告げるとたちまち、玄関の中に戻って行った。
玄関の中ではほかに3人のワイシャツ姿がこちらを監視している様子。これまでのように「東京都」の腕章をつけていなかったので初めはわからなかったが、2人は都教委(研修センター)の職員、田中さん担当の見覚えのある顔だった。
職員の中には私たちの行動に対してか、「ありがとうございます」と言葉にしてくれる人や、ご自分から手を出してくれる人もいた。
出勤・登校が終わったところで、校長に面会し「服務事故再発防止研修」の中止を求める要請書を手渡そうと、正式な手続きに則ってインターホンで要件を告げたが、対応した人は「お待ちください」というだけで、待っても返事をくれず。
2度とも返事がないので、しばらくして3度目を押したところ、相手方は「仕事にならないー」と怒鳴った。先月までは門のインターホンの横に「御用の方はブザーを押して用件を伝えてください」と書いてあったが、今回はそれが外され、「部外者の立ち入りを禁ず」という表示に替わっていた。私たち対策であることは間違いない。
正式な手続きの道が断たれたので、通用門内にいる副校長にことばをかけた。
副校長は「(敷地にはいることを)許可していません」。
私たちが「理由をお聞かせください」と言うが、無言。目も合わさない。「公的仕事としての発言ですから、説明責任はあるでしょう」と言うが、無言。そして施錠し、立ち去ってしまった。
副校長と都教委の職員は玄関内でおしゃべりをしているように見えた。
行動に参加したほかの人たちはいったん帰宅したり次の用事に向かったりしたが、私は出直す距離ではないので、彼らの行動を1時間ほど観察した。
このときは保護者がひっきりなしに来校され、その方たちはいつものように通用門を開けようとして鍵のかかっていることに気づき、一様に戸惑った表情でインターホンで来意を告げる。
経営企画室から連絡を受けた副校長が走ってきて鍵を開ける。
訪問者を通すとまだ施錠して玄関内に戻る。
副校長が玄関内に戻る前に次の訪問者がインターホンを押すことも何度か。
これが何十回と、少なくとも30回は繰り返された。
「玄関前ではなく、玄関内で見張る」「施錠する」「言葉を交わさない」ことが今回の都教委の行動計画・指示だったのだろうが、途中でその不都合に気付いた人は一人もいなかったのか。
それとも、どんなに不都合が生じても、「上からの指示」に忠実だったのか。非常に不思議だった。
副校長の頭には「服務事故再発防止研修」に反対する私たちを締め出すこと以外の、「本日の予定」はなかったのだろうし、インターホンに対応した人はまさに仕事にならなかったであろう(この仕事に就いたのは、もしかすると都教委の職員か?)。
校長には途中報告は行ったであろうから、校長はこの事態を把握していたはずだ。
でも、都教委の指示にはもの申してはいけないということか。
都教委あげての無駄、無責任な「職務遂行」の一端を私は怖いマンガを見るように観察した。
「部外者排除」に当たった校長・副校長や都教委職員の中に、「学校を会場とする『服務事故再発防止研修』は止めてほしい」「止めよう」と進言する人はいないのだろうか。
2時45分から1時間が、田中さんが拷問研修を受けさせられる時間なので、私たちは再び1時半、校門前に集まった。
やや離れて、2人の警察官がこちらを見ていた。都教委の指示で学校が要請したのだろう。
朝と同じように通用門には鍵がかかり、副校長や都教委は玄関内にいた。
朝、掲げてたプラカードは雨で破れてしまったので、私たちは新たに大判画用紙にメッセージを書いて掲げた。
しばらくすると、小学部の子どもたちの下校時刻になり、通用門が一時開いたので、私は一歩中に入り副校長に「校長に面会をさせてください」と頼んだ。
すると、「許可していない」と声を発し、私を突き飛ばした。
私は門の壁に押し付けられ、左手のひじから先を強打。ひどく痛くて思わず、「痛い!」と声が出た。
持っていた画用紙はしわくちゃになった。副校長に「器物破損です」と画用紙を見せると、「痛い!」の声には侮蔑するかのように笑った副校長が「弁償します」。
暴力行為をはたらいた証拠にされるのを恐れたのだろうか。替わりの画用紙を取りに走った。
副校長が暴力を働いたのは、私が女だから、に違いない。
これまでにも板橋特別支援学校で、卒業式の朝に行っている都立高校出のチラシまきで、男尊女卑の思想にたっぷり染まった副校長の対応に出くわすことはしばしばあったから。
午後の時間帯もお迎えの人たちがひっきりなしに訪れ、朝と同じような風景が続いた。
私たちは3本の要請書を用意していたので、副校長が通用門を開けに来た時に3人がそれぞれ、受け取るように働きかけたが、今回は受け取ることさえ拒否をした。
受け取り拒否はこれまでにはなかったことである。これも、今回の都教委の方針だったのだろう。
子どもたちの見送りを終えたところに、70代と思しき女性が来られて「学校はひどいことをするんですね」と話してこられた。
かなりの長い時間、学校側の対応を見ていられたそうだ。
帰り際に、「(副校長たち)あの人たちへの研修が必要ですね」とおっしゃった。まさに、だ。
朝、ビラを配っているときには、自転車で通りかかった男性(30~40代か)が「田中さんのことですか。がんばってと伝えてください」と声をかけていかれた。
また、プラカードを見ていくドライバーが大勢いた。
学校・都教委のひどさを外に向かって少しはアピールできたと思う。
行動参加者は、練馬区の住民も含め、朝も午後も各10人。
根津公子です。
2日に田中聡史さんに対し、都教委が学校に押しかけての「服務事故再発防止研修」(「訪問研修」という)が強行されました。
次回の「訪問研修」は7月16日(木)14時45分から1時間、と告げられたとのことです。昨年、一昨年は月に1回の「訪問研修」でしたが、今年は7月に2回。どういうことかは判断できません。
※都教委 教育情報課(都民の声を聞く担当):電話 03-5320-6733
FAX 03-5388-1725
※石神井特別支援学校:電話 03-3929-0012 FAX 03-3929-1911
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以下に、3日の私たちの行動報告をします。
◆ 田中聡史さん「服務事故再発防止研修」(訪問研修2回目)中止要請・抗議行動の報告
学校を会場とする「服務事故再発防止研修」を校長は返上したらいい
3日、都教委は石神井特別支援学校に押しかけ田中さんに対して「服務事故再発防止研修」を強行した。
7時10分、大雨が降る中、私たちは出勤する教職員にチラシを配り始めた。と、すぐに副校長がやってきて、「敷地には入らないでください」。告げるとたちまち、玄関の中に戻って行った。
玄関の中ではほかに3人のワイシャツ姿がこちらを監視している様子。これまでのように「東京都」の腕章をつけていなかったので初めはわからなかったが、2人は都教委(研修センター)の職員、田中さん担当の見覚えのある顔だった。
職員の中には私たちの行動に対してか、「ありがとうございます」と言葉にしてくれる人や、ご自分から手を出してくれる人もいた。
出勤・登校が終わったところで、校長に面会し「服務事故再発防止研修」の中止を求める要請書を手渡そうと、正式な手続きに則ってインターホンで要件を告げたが、対応した人は「お待ちください」というだけで、待っても返事をくれず。
2度とも返事がないので、しばらくして3度目を押したところ、相手方は「仕事にならないー」と怒鳴った。先月までは門のインターホンの横に「御用の方はブザーを押して用件を伝えてください」と書いてあったが、今回はそれが外され、「部外者の立ち入りを禁ず」という表示に替わっていた。私たち対策であることは間違いない。
正式な手続きの道が断たれたので、通用門内にいる副校長にことばをかけた。
副校長は「(敷地にはいることを)許可していません」。
私たちが「理由をお聞かせください」と言うが、無言。目も合わさない。「公的仕事としての発言ですから、説明責任はあるでしょう」と言うが、無言。そして施錠し、立ち去ってしまった。
副校長と都教委の職員は玄関内でおしゃべりをしているように見えた。
行動に参加したほかの人たちはいったん帰宅したり次の用事に向かったりしたが、私は出直す距離ではないので、彼らの行動を1時間ほど観察した。
このときは保護者がひっきりなしに来校され、その方たちはいつものように通用門を開けようとして鍵のかかっていることに気づき、一様に戸惑った表情でインターホンで来意を告げる。
経営企画室から連絡を受けた副校長が走ってきて鍵を開ける。
訪問者を通すとまだ施錠して玄関内に戻る。
副校長が玄関内に戻る前に次の訪問者がインターホンを押すことも何度か。
これが何十回と、少なくとも30回は繰り返された。
「玄関前ではなく、玄関内で見張る」「施錠する」「言葉を交わさない」ことが今回の都教委の行動計画・指示だったのだろうが、途中でその不都合に気付いた人は一人もいなかったのか。
それとも、どんなに不都合が生じても、「上からの指示」に忠実だったのか。非常に不思議だった。
副校長の頭には「服務事故再発防止研修」に反対する私たちを締め出すこと以外の、「本日の予定」はなかったのだろうし、インターホンに対応した人はまさに仕事にならなかったであろう(この仕事に就いたのは、もしかすると都教委の職員か?)。
校長には途中報告は行ったであろうから、校長はこの事態を把握していたはずだ。
でも、都教委の指示にはもの申してはいけないということか。
都教委あげての無駄、無責任な「職務遂行」の一端を私は怖いマンガを見るように観察した。
「部外者排除」に当たった校長・副校長や都教委職員の中に、「学校を会場とする『服務事故再発防止研修』は止めてほしい」「止めよう」と進言する人はいないのだろうか。
2時45分から1時間が、田中さんが拷問研修を受けさせられる時間なので、私たちは再び1時半、校門前に集まった。
やや離れて、2人の警察官がこちらを見ていた。都教委の指示で学校が要請したのだろう。
朝と同じように通用門には鍵がかかり、副校長や都教委は玄関内にいた。
朝、掲げてたプラカードは雨で破れてしまったので、私たちは新たに大判画用紙にメッセージを書いて掲げた。
しばらくすると、小学部の子どもたちの下校時刻になり、通用門が一時開いたので、私は一歩中に入り副校長に「校長に面会をさせてください」と頼んだ。
すると、「許可していない」と声を発し、私を突き飛ばした。
私は門の壁に押し付けられ、左手のひじから先を強打。ひどく痛くて思わず、「痛い!」と声が出た。
持っていた画用紙はしわくちゃになった。副校長に「器物破損です」と画用紙を見せると、「痛い!」の声には侮蔑するかのように笑った副校長が「弁償します」。
暴力行為をはたらいた証拠にされるのを恐れたのだろうか。替わりの画用紙を取りに走った。
副校長が暴力を働いたのは、私が女だから、に違いない。
これまでにも板橋特別支援学校で、卒業式の朝に行っている都立高校出のチラシまきで、男尊女卑の思想にたっぷり染まった副校長の対応に出くわすことはしばしばあったから。
午後の時間帯もお迎えの人たちがひっきりなしに訪れ、朝と同じような風景が続いた。
私たちは3本の要請書を用意していたので、副校長が通用門を開けに来た時に3人がそれぞれ、受け取るように働きかけたが、今回は受け取ることさえ拒否をした。
受け取り拒否はこれまでにはなかったことである。これも、今回の都教委の方針だったのだろう。
子どもたちの見送りを終えたところに、70代と思しき女性が来られて「学校はひどいことをするんですね」と話してこられた。
かなりの長い時間、学校側の対応を見ていられたそうだ。
帰り際に、「(副校長たち)あの人たちへの研修が必要ですね」とおっしゃった。まさに、だ。
朝、ビラを配っているときには、自転車で通りかかった男性(30~40代か)が「田中さんのことですか。がんばってと伝えてください」と声をかけていかれた。
また、プラカードを見ていくドライバーが大勢いた。
学校・都教委のひどさを外に向かって少しはアピールできたと思う。
行動参加者は、練馬区の住民も含め、朝も午後も各10人。
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