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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

静岡から わたしたちは 君が代を歌いません 斉唱中はすわります

2012年08月23日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  《第3回「日の丸・君が代」裁判全国学習・交流集会・資料(静岡)》
 ◇ わたしたちは
   君が代を 歌いません
   斉唱中は すわります


 教師になって初めて「君が代」がやって来た日
 1978年1月末の職員会議の日のことは鮮明に覚えている。
 卒業式式次第の提案に初めて「君が代」が入っていた。司会の教頭は淡々とそれを伝え、誰も意見を出す気配はなかった。まだ新任4年目の私は、恐る恐る手を挙げた。何を言ったか良く覚えてないが、国民主権の今の時代、天皇をたたえる「君が代」には批判もあるし、式次第には入れない方がいいのではないかというようなことを言ったと思う。教頭は、まともに取りあおうともしなかった。
 当時、掛川にあるその高校の同じ社会科に、私が尊敬し全幅の信頼をしていた二人の教師がいた。
 一人は私より10歳近く先輩の日本史の教師で、もう一人は私と同期の地理の教師だった。歴史の見方、アジア諸国への日本の侵略のこと、基本的人権や平和の大切さなど実に多くを二人から教えられた。困った時はいつもこの人たちならどうするだろうかと考えたし、いろんなことを語り合った。
 発言した時、あの人たちならきっと自分の意見に賛成してくれるにちがいないと思ったのだが、結局何の援護射撃もなく、そのまま次の議題へと進んでいった。
 すべての議題が終わった時、迷いながらもう一度手を上げて、やっぱりさっきの君が代斉唱のことはどうしても納得できない、おかしいと思うと発言した。今考えると発言はあの二人の教師に向けてのものだったのかもしれない。今度こぞ何か言ってくれるだろうと。しかし何もなく、職員会議は終わった。
 会議の後、部活に向かうグランドの隅で、日本史の先輩教師は「君が代の問題は、簡単ではない。またじっくり話をしよう」と苦しそうな顔で言った。その時、この歌には、重苦しい、人の思考を止めてしまうような何かがあるのだと、あらためてわかった気がした。
 先輩教師の日本史の授業内容や思想をよく知る私は、天皇を賛美し戦前から続く「君が代」を、彼が無批判に受け入れるはずがないと確信していた。その彼に意見、発言を出させず沈黙を強いる、大きな重苦しいタブーのようなものが、ここにはある…。
 その先輩教師はその後県教委に入り、有名進学校の校長を歴任し退職していった。もう一人の教師は今県西部の高校で校長をしている。
 いつかこの日の本当の気持ちを、彼らに聞いてみたいと思っている。
  (静岡中央高Y)

 私たちの組合が、1999年の「国歌・国旗法」成立以来、組合方針で「立たず歌わず」を基本的態度として11年目となります。
 「国歌斉唱」が、法制定時の政府の説明に反して、教員への「踏み絵」のようなものとなって強制されている現状に強い怒りを覚えます。そのことに抗議の気持ちを込めて、「立たず歌わず」の意志表示を広く呼びかけたいと思います。
 歌う 歌わない 立つ 立たない は内心の自由です。

 静岡県学校労働者組合(静岡市葵区鷹匠2-11-10)

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