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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「表現の不自由展・東京」オンライン・トークイベント「座る抵抗」

2021年08月16日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  《被処分者の会通信から》
 ◆ 「少女像」の隣に座る
吉野典子

 6月25日、「表現の不自由展」実行委員会は、オンライン・トークイベント「座る抵抗」を開催した。この日は「表現の不自由展・東京」の初日となるはずだったが、6日から会場周辺での妨害が始まり、会場変更と開催延期を余儀なくされてしまった
 トークイベントでは、2019年の「あいちトリエンナーレ」でも攻撃の的になった「平和のための少女像」の作者キム・ソギョンさんとキム・ウンソンさん、公立小学校事務職員で「君が代」不起立を続けているきょうごくのりこさんが思いを語った。その一端を紹介する。
 ウンソン;我々の大学時代(1980年代)には、警察が作品を壊したり押収したりする露骨な弾圧があった。李明博・朴槿恵政権下では巧妙になり、芸術家をブラックリストとホワイトリストに分けて、資金援助で差別したり、作家ではなく周辺の人を弾圧したりした
 主催者ではなく会場のオーナーを攻撃する現在の日本での弾圧と共通している。民主的社会のシステムが確立して「表現の不自由展」がなくなり、人々が公開の場で自由に表現してお互いに批判し合えるような社会になることを、心から願っている。
 ソギョン;少女像には過去の苦痛、現在の運動、未来への希望を込めた。ザクザクと切られた髪は、家族や国との縁が立ち切られたこと、踵が地に着かず浮いているのは、家族から目を背けられ国から無視され、名誉が回復していないことを表している。
 少女の隣の空いた椅子には「亡くなったハルモニたちが参加してくれている。訪れた人に座ってもらいたい」という2つの意味がある。日本大使館前の水曜デモがなぜ30年も続いているのか、椅子に座って考えてほしい。
 きょうごく;不自由展は、天皇、日本軍性暴力など、私たちの社会がずっとタブー視してきたものを顕在化させる。検閲・自粛・色々な形での暴力は、社会を構成するメンバーである私自身の問題でもある。
 40秒は短い時間だが、重い石を持たされたようなたまらなく嫌な時間。どこかに座っている人と繋がり連帯する時間だと思っている。次の卒業式では、いつもよりは重苦しくなく、少女像の隣に座っている自分をイメージしながら40秒過ごせるかなと思う
 イベントから1カ月以上になる今も、会場確保が難航しているのか、東京での開催時期は未定のままだ。(8月3日現在)
 7月6日に展示が始まった名古屋では、8日に会場の市施設に届いた郵便物が破裂。名古屋市が11日まで施設を臨時休館としたため、僅か2日間で実質的な中止に追い込まれた。
 大阪では府立施設が使用許可を取消したが、実行委の申し立てを受けた大阪地裁は「警察の適切な警備などによっても混乱を防止することができない特別な事情があるとは言えない」として、会場の利用を認める決定を下した。高裁・最高裁でもこの決定が維持され、予定通り7月16~18日の会期で開催することができた。
 「警察の警備等によっても混乱を防止できないなど特別な事情が無い限り、公共施設の利用拒否・中止はできない」というのは確立した判例で、ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件東京地裁判決(2015年写真家安世鴻さんの勝訴確定)では、私企業のニコンにも適用された。
 開催可否の決定権を反対者・妨害者に委ねるかのような名古屋市と大阪府の対応は、もっと非難されて然るべきなのだが、あまり注目されていないことがもどかしい。
 この1年余、「安全・安心」という空疎な言葉が垂れ流されてきた。これが人々の心に刷り込まれ、安全・安心のためならば表現の自由の規制もやむを得ないという空気が生まれることを懸念している。
 展示の中止は、作家の権利だけでなく、鑑賞者の権利や作家と鑑賞者が交流して作品を育てていく機会をも奪ってしまう。被害は甚大だ。
『被処分者の会通信 第134号』(2021年8月5日)


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