★ 「累積加重処分の取消基準」補足 (グループZAZA)
東京の花輪紅一郎さんのメール「累積加重処分の取消基準」を9月16日当ブログに掲載させていただきました。それに補足してさらに詳細な論考が届きましたので、掲載させていただきます。これをお読みいただければ、東京と比して、大阪の判決がいかに裁判長の主観に基づくものであるか、よくわかります。
私の前回のメール「累積加重処分の取消基準」(ブログ『ZAZA』にも掲載していただいた)は、澤藤弁護士が「田中さんの取消基準が2要件」であると指摘したことに対する私の感想だった。
その後、処分を取り消され他の5人にはもう1つ別の要件が加わっていることが判決文で確認できたので、その要件についての検討を補いたいと思う。
1,処分取消6人に共通の基準は2つ
処分取消者6人全員に共通な取消基準は、先の2要件である。
田中さんは、ただ黙って座っていただけなので、都教委が因縁を付けるような「不起立行為等の前後における態度等」が特になく、「相当性を基礎付ける具体的な事情」として取り上げるとしたら、「回数」の多さしかなかった。
それが、この2要件によって「具体的な事情」には当たらないと判定されたのだった。
「回数の多さ」は、「相当性を基礎付ける具体的な事情等」に当たらないこと、
そしてその理由が、裁判官の主観の入り込む余地の無い「事実認定可能」な2要件であること、
これがはっきりしたことは、後続訴訟にも良い影響をもたらす大きな成果だったと言えよう。
一方、田中さん以外の5人には、都教委が因縁を付ける「不起立行為等の前後における態度等」が色々あって、その場合はもう一つ審査基準が加わることになる。
その第3の要件も、裁判官の主観の入り込む余地のない「事実認定可能」な基準と言えるのか、以下それを検討したい。
2,田中さん以外の5人に適用されるもう1つの基準
第3の要件は、次のように表現される。(番号は引用者が付けている)
①不起立等の行為と同じ原告らの本件各職務命令に対する否定的な考え方や思いを基盤とする「一連の行動」である(同じ佐々木裁判長による三次訴訟地裁判決文の表現2015.1.16)。
②行動の「動機・原因」は、真摯な信条や信教に基づいていること。・・・(1)と同じ。
③「範囲にとどまる」ということは、当該行為がそれ以上目に見える「影響・結果」に発展、展開していないこと。・・・(2)と同じ
といえるのではないか。
ということは、「不起立行為等の前後における態度等」の審査基準も、最初の2要件((1)(2))と実質的に同じと言って良いと思う。
つまり基準は「動機・原因」と「結果・影響」だけ。
これ以外の要素は入っていないと思う。
3,具体的な「不起立行為等の前後における態度等」の評価
さて、では5人にはどんな「不起立行為等の前後における態度等」があって、それを佐々木裁判長はどう評価したのか。
(1)具体的に都教委が因縁を付けた行動
まず5人全員に共通するのが、つぎのような行動である。
○事情聴取や再発防止研修における原告の言動
(事情聴取に非協力的だったり、反抗的な言動をしたり、再発防止研修の受講報告書に批判的内容を書き連ねたり、反省の色を見せなかったり、中味は人それぞれだが)
次に、個々に都教委が問題にするのが、次のような行動である。
○本件職務命令の告知を受けることを殊更に回避しようとした。
○国旗掲揚や国歌斉唱に反対する趣旨の図柄を描いたブラウスを着用して臨席した。
○停職期間中,同校の校門前で,同校の教職員や保護者にチラシを配布するなどの抗議活動を行った。
(2)それらの行動に対する判断
そして、被告都教委側は、これらの行動を並べた上で、
「上司の職務命令を拒否するとの点において確信的といわざるを得ないことを以て・・・『相当性を基礎付ける具体的な事情』がある」
と主張した(5人ほぼ共通)。
これに対し、佐々木裁判長は、全ての事情に(3)の基準を当てはめて、これらは「相当性を基礎付ける具体的な事情」があるとまでは認めがたい、と加重処分を取り消したのである。
(3)「不起立行為等の前後における態度等」の評価
~「積極的」だが、「妨害」ではない
よく見れば、上記4つの○の内容はどれも、決して受動的・消極的とは言えない。
「能動的」であり、「積極的」と評価されておかしくない行動である。
それでも、「範囲にとどま」っていれば、加重処分は許されない、と結論されるのである。
では、「範囲を出る」のはどんな行為かと言えば、最高裁判決の言葉で言えば、「積極的に式典の進行を妨害する行為」がそれにあたるだろう。
例えば、根津さんの停職が取り消されなかったのは、その昔「日の丸を引き下ろした」「再発防止研修ゼッケン着用をめぐる抗議」したことなどがそれに当たるとされたのだった。
(それが不当であることは最後にもう一度論じたい)
しかし、物理的な妨害等に及ばない限り、抗議や反対の意思表示などは、真摯な動機に基づく不起立行為の延長線上にある「信条等を表明し本件職務命令等の違法性を指摘するという範囲にとどまる」もので、「相当性を基礎付ける具体的な事情」に当たらないというのが、今回明らかにされた基準である。
つまり、内心の意図が積極的であるかどうかと、積極的な妨害行動等が現実に行われたかとは、別物なのである。
都教委は、「抗議や反対の意思表示」は「確信的」だから重い処分に値すると主張するが、
このような原告の内心を、事実や証拠に基づかず推知・解釈して一方的に「確信的」と決めつけるやり方が、事実や証拠を軽視した証拠裁判主義に悖る危険なやり方なのである。
これこそ有名な戦前の大逆事件の論告求刑での「動機は信念なり」と同じ発想で、事実を裁かず思想を裁く、現憲法下ではあってはならない危険なやり方と言わなければならない。
結局、(3)の基準を具体的事例に適用した結果、四次裁判原告の「不起立行為等の前後における態度等」は何一つ「相当性を基礎付ける具体的な事情」に当たるものではないとされた。
この(3)の基準も、裁判官の主観の入り込む余地のない「事実認定可能」な基準と言って良いだろう。
ではこの基準に照らしたら、果たして大阪の「不起立行為等の前後における態度等」はどうなのか。
4,大阪はどこが違うのか
大阪の「不起立行為等の前後における態度等」で、「積極的に式典の進行を妨害する行為」はあったのだろうか。
例えば、式場外の仕事を終えて式場内に戻ってきた行動は、
卒業式に参加して教え子の卒業を祝したいという「意図」面での「積極性」は明らかに認められるが、
「積極的に式典の進行を妨害する行為」が行われたり現実の混乱が生じたりしたのだろうか。
裁判官は、「控訴人の不起立によって卒業式の進行が具体的に阻害されたとの事実は、本件全証拠によっても認められない」と事実として存在しないことをあっさり認めている。
とするなら、佐々木基準なら、これら行動は、
「信条等を表明し本件職務命令等の違法性を指摘するという範囲にとどまる」ものであり、加重の「相当性を基礎付ける具体的な事情」には当たらない、となるものである。
原告の陳述に素直に耳を傾けるなら、卒業式の時間を教え子と一緒に過ごしたいという、教育者としての当たり前の気持ち(意図)が伝わってくるはずなのに、
思ってもいない「妨害する意図」「混乱させる意図」をでっち上げ、存在しない「妨害」や「混乱」をさもあったかの如く想像力をたくましくし、「相当性を基礎付ける具体的な事情」とみなしたのは偏見以外の何物でもない。
妨害や混乱等の「事実」がない(裁判官がハッキリ認定している)にも関わらず、加重処分を取り消さないのは、内面の推知を以て「相当性を基礎付ける具体的な事情」に当てているからであり、証拠裁判主義から外れた、目に見えない「思想」を裁いた、最高裁判例に反する判断、と言わなければならない。
そのことが、四次訴訟佐々木判決によって、よりはっきりしたのではないだろうか。
5,いま一度「根津基準」の不当性を振り返る
いわゆる「根津基準」とは、残念ながら唯一「相当性を基礎付ける具体的な事情」が最高裁で確定した事例である。
分断判決の一方の「河原井基準」を振り返っておけば、この時加重が否定された基準は3つ。
改めて並べてみると、今回の佐々木基準は、この基準をなぞったものであることが分かる。(その後の須藤高裁判決、柴田高裁判決、菊池高裁判決の影響も見て取れる)
根津さんが、「積極的に式典や研修の進行を妨害する行為」と認定された具体的行動について、最高裁を批判した論文によって振り返る。
雑誌『自治研究』(2013年8月号・9月号)2回にわたって掲載された行政法学者、常岡孝好氏(学習院大教授)による、
「職務命令違反に対する懲戒処分と裁量審査~最判2012年1月16日集民第239号1頁を素材として」
という、「1.16最高裁判決文」を裁量権の視点から分析した論文において、常岡教授が指摘したのは、
○「国旗の掲揚妨害と引き降ろし事件」(1994.4.25発令)を、最高裁が引用した神戸税関事件の9つの要素で詳しく吟味すると、実態は「積極的な妨害行為」とは全く異なるものである。
○「再発防止研修ゼッケン着用をめぐる抗議」(2005.12.1発令)は、動機・原因において、原告側に酌むべき事情があり、結果・影響として、ゼッケン着用が物理的に研修を妨害したとは考えにくい。
つまり、「原告側の正当化事情を勘案すれば、『過去の処分歴』に関する評価は相当異なるものになる」
という、最高裁審査の不十分性、不確実性であった。
今、佐々木基準に沿って、最高裁判例をしっかりと読み直すならば、根津さんの「過去の処分歴」「不起立行為等の前後における態度等」を、「積極的な妨害行為」と認定したのは、証拠に基づかない誤りだったとなりそうである。
同じ誤審が繰り返されないため、先入観や内心の推知に基づかない、冷静な事実認定が待たれる。
『グループZAZA』(2017/9/25)
http://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/c3b1c0b3d1377fa82a5a3597ab1ff4d7
東京の花輪紅一郎さんのメール「累積加重処分の取消基準」を9月16日当ブログに掲載させていただきました。それに補足してさらに詳細な論考が届きましたので、掲載させていただきます。これをお読みいただければ、東京と比して、大阪の判決がいかに裁判長の主観に基づくものであるか、よくわかります。
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私の前回のメール「累積加重処分の取消基準」(ブログ『ZAZA』にも掲載していただいた)は、澤藤弁護士が「田中さんの取消基準が2要件」であると指摘したことに対する私の感想だった。
その後、処分を取り消され他の5人にはもう1つ別の要件が加わっていることが判決文で確認できたので、その要件についての検討を補いたいと思う。
1,処分取消6人に共通の基準は2つ
処分取消者6人全員に共通な取消基準は、先の2要件である。
(1) 自らの信条等に基づくものであること、田中さんの処分は、2要件だけによって取り消された。
(2) 卒業式や入学式等に特段の混乱等は生じていないこと、
田中さんは、ただ黙って座っていただけなので、都教委が因縁を付けるような「不起立行為等の前後における態度等」が特になく、「相当性を基礎付ける具体的な事情」として取り上げるとしたら、「回数」の多さしかなかった。
それが、この2要件によって「具体的な事情」には当たらないと判定されたのだった。
「回数の多さ」は、「相当性を基礎付ける具体的な事情等」に当たらないこと、
そしてその理由が、裁判官の主観の入り込む余地の無い「事実認定可能」な2要件であること、
これがはっきりしたことは、後続訴訟にも良い影響をもたらす大きな成果だったと言えよう。
一方、田中さん以外の5人には、都教委が因縁を付ける「不起立行為等の前後における態度等」が色々あって、その場合はもう一つ審査基準が加わることになる。
その第3の要件も、裁判官の主観の入り込む余地のない「事実認定可能」な基準と言えるのか、以下それを検討したい。
2,田中さん以外の5人に適用されるもう1つの基準
第3の要件は、次のように表現される。(番号は引用者が付けている)
(3) (不起立行為等の前後における態度等が)そのような信条等を表明し本件職務命令等の違法性を指摘するという範囲にとどまることこの表現が意味するところは、
①不起立等の行為と同じ原告らの本件各職務命令に対する否定的な考え方や思いを基盤とする「一連の行動」である(同じ佐々木裁判長による三次訴訟地裁判決文の表現2015.1.16)。
②行動の「動機・原因」は、真摯な信条や信教に基づいていること。・・・(1)と同じ。
③「範囲にとどまる」ということは、当該行為がそれ以上目に見える「影響・結果」に発展、展開していないこと。・・・(2)と同じ
といえるのではないか。
ということは、「不起立行為等の前後における態度等」の審査基準も、最初の2要件((1)(2))と実質的に同じと言って良いと思う。
つまり基準は「動機・原因」と「結果・影響」だけ。
これ以外の要素は入っていないと思う。
3,具体的な「不起立行為等の前後における態度等」の評価
さて、では5人にはどんな「不起立行為等の前後における態度等」があって、それを佐々木裁判長はどう評価したのか。
(1)具体的に都教委が因縁を付けた行動
まず5人全員に共通するのが、つぎのような行動である。
○事情聴取や再発防止研修における原告の言動
(事情聴取に非協力的だったり、反抗的な言動をしたり、再発防止研修の受講報告書に批判的内容を書き連ねたり、反省の色を見せなかったり、中味は人それぞれだが)
次に、個々に都教委が問題にするのが、次のような行動である。
○本件職務命令の告知を受けることを殊更に回避しようとした。
○国旗掲揚や国歌斉唱に反対する趣旨の図柄を描いたブラウスを着用して臨席した。
○停職期間中,同校の校門前で,同校の教職員や保護者にチラシを配布するなどの抗議活動を行った。
(2)それらの行動に対する判断
そして、被告都教委側は、これらの行動を並べた上で、
「上司の職務命令を拒否するとの点において確信的といわざるを得ないことを以て・・・『相当性を基礎付ける具体的な事情』がある」
と主張した(5人ほぼ共通)。
これに対し、佐々木裁判長は、全ての事情に(3)の基準を当てはめて、これらは「相当性を基礎付ける具体的な事情」があるとまでは認めがたい、と加重処分を取り消したのである。
(3)「不起立行為等の前後における態度等」の評価
~「積極的」だが、「妨害」ではない
よく見れば、上記4つの○の内容はどれも、決して受動的・消極的とは言えない。
「能動的」であり、「積極的」と評価されておかしくない行動である。
それでも、「範囲にとどま」っていれば、加重処分は許されない、と結論されるのである。
では、「範囲を出る」のはどんな行為かと言えば、最高裁判決の言葉で言えば、「積極的に式典の進行を妨害する行為」がそれにあたるだろう。
例えば、根津さんの停職が取り消されなかったのは、その昔「日の丸を引き下ろした」「再発防止研修ゼッケン着用をめぐる抗議」したことなどがそれに当たるとされたのだった。
(それが不当であることは最後にもう一度論じたい)
しかし、物理的な妨害等に及ばない限り、抗議や反対の意思表示などは、真摯な動機に基づく不起立行為の延長線上にある「信条等を表明し本件職務命令等の違法性を指摘するという範囲にとどまる」もので、「相当性を基礎付ける具体的な事情」に当たらないというのが、今回明らかにされた基準である。
つまり、内心の意図が積極的であるかどうかと、積極的な妨害行動等が現実に行われたかとは、別物なのである。
都教委は、「抗議や反対の意思表示」は「確信的」だから重い処分に値すると主張するが、
このような原告の内心を、事実や証拠に基づかず推知・解釈して一方的に「確信的」と決めつけるやり方が、事実や証拠を軽視した証拠裁判主義に悖る危険なやり方なのである。
これこそ有名な戦前の大逆事件の論告求刑での「動機は信念なり」と同じ発想で、事実を裁かず思想を裁く、現憲法下ではあってはならない危険なやり方と言わなければならない。
結局、(3)の基準を具体的事例に適用した結果、四次裁判原告の「不起立行為等の前後における態度等」は何一つ「相当性を基礎付ける具体的な事情」に当たるものではないとされた。
この(3)の基準も、裁判官の主観の入り込む余地のない「事実認定可能」な基準と言って良いだろう。
ではこの基準に照らしたら、果たして大阪の「不起立行為等の前後における態度等」はどうなのか。
4,大阪はどこが違うのか
大阪の「不起立行為等の前後における態度等」で、「積極的に式典の進行を妨害する行為」はあったのだろうか。
例えば、式場外の仕事を終えて式場内に戻ってきた行動は、
卒業式に参加して教え子の卒業を祝したいという「意図」面での「積極性」は明らかに認められるが、
「積極的に式典の進行を妨害する行為」が行われたり現実の混乱が生じたりしたのだろうか。
裁判官は、「控訴人の不起立によって卒業式の進行が具体的に阻害されたとの事実は、本件全証拠によっても認められない」と事実として存在しないことをあっさり認めている。
とするなら、佐々木基準なら、これら行動は、
「信条等を表明し本件職務命令等の違法性を指摘するという範囲にとどまる」ものであり、加重の「相当性を基礎付ける具体的な事情」には当たらない、となるものである。
原告の陳述に素直に耳を傾けるなら、卒業式の時間を教え子と一緒に過ごしたいという、教育者としての当たり前の気持ち(意図)が伝わってくるはずなのに、
思ってもいない「妨害する意図」「混乱させる意図」をでっち上げ、存在しない「妨害」や「混乱」をさもあったかの如く想像力をたくましくし、「相当性を基礎付ける具体的な事情」とみなしたのは偏見以外の何物でもない。
妨害や混乱等の「事実」がない(裁判官がハッキリ認定している)にも関わらず、加重処分を取り消さないのは、内面の推知を以て「相当性を基礎付ける具体的な事情」に当てているからであり、証拠裁判主義から外れた、目に見えない「思想」を裁いた、最高裁判例に反する判断、と言わなければならない。
そのことが、四次訴訟佐々木判決によって、よりはっきりしたのではないだろうか。
5,いま一度「根津基準」の不当性を振り返る
いわゆる「根津基準」とは、残念ながら唯一「相当性を基礎付ける具体的な事情」が最高裁で確定した事例である。
分断判決の一方の「河原井基準」を振り返っておけば、この時加重が否定された基準は3つ。
①積極的に式典の進行を妨害する内容の非違行為は含まれておらず
②未だ過去2年度の3回の卒業式等に係るものにとどまり
③不起立前後の態度において特に処分の加重を根拠付ける事情もうかがわれない
改めて並べてみると、今回の佐々木基準は、この基準をなぞったものであることが分かる。(その後の須藤高裁判決、柴田高裁判決、菊池高裁判決の影響も見て取れる)
根津さんが、「積極的に式典や研修の進行を妨害する行為」と認定された具体的行動について、最高裁を批判した論文によって振り返る。
雑誌『自治研究』(2013年8月号・9月号)2回にわたって掲載された行政法学者、常岡孝好氏(学習院大教授)による、
「職務命令違反に対する懲戒処分と裁量審査~最判2012年1月16日集民第239号1頁を素材として」
という、「1.16最高裁判決文」を裁量権の視点から分析した論文において、常岡教授が指摘したのは、
○「国旗の掲揚妨害と引き降ろし事件」(1994.4.25発令)を、最高裁が引用した神戸税関事件の9つの要素で詳しく吟味すると、実態は「積極的な妨害行為」とは全く異なるものである。
○「再発防止研修ゼッケン着用をめぐる抗議」(2005.12.1発令)は、動機・原因において、原告側に酌むべき事情があり、結果・影響として、ゼッケン着用が物理的に研修を妨害したとは考えにくい。
つまり、「原告側の正当化事情を勘案すれば、『過去の処分歴』に関する評価は相当異なるものになる」
という、最高裁審査の不十分性、不確実性であった。
今、佐々木基準に沿って、最高裁判例をしっかりと読み直すならば、根津さんの「過去の処分歴」「不起立行為等の前後における態度等」を、「積極的な妨害行為」と認定したのは、証拠に基づかない誤りだったとなりそうである。
同じ誤審が繰り返されないため、先入観や内心の推知に基づかない、冷静な事実認定が待たれる。
『グループZAZA』(2017/9/25)
http://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/c3b1c0b3d1377fa82a5a3597ab1ff4d7
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