◎ 大泉ブラウス訴訟 ◎
最高裁 突然棄却
7月20日、裁判所より突然「棄却」の電話が入りました。書類を同日弁護士宛送付したとのことで、全く内容は分かっていません。
7月末、第2回最高裁要請の日程調整をしていました。裁判所は「約1週間ちょっと待って下さい」というので、待っていた折の棄却の知らせでした。
法廷も開かず、問答無用の棄却に怒りがこみ上げます。
不当判決糾弾!
『ほっととーく 55』(2007/7/21)より
「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会
〒176-0012 練馬区豊玉北5-17-7-303 サポートねりまねりま全労協気付
郵便振替:00140-6-517545 加入者名:声をあげる市民の会
◎ 6月18日最高裁要請行動の報告とお礼
6月18日、最大人数17名、30分間厳守、との約束で、最高裁に向けて、署名の提出並びに、山田昭次立教大名誉教授執筆の意見書の提出を行なった。
17名の参加者全員が一言、自分の思いを書記官に述べた。以下要約。
最高裁は、公開用の審理の場をひらき、よく原告の話をきくように、いきなり判決ということのないよう、くれぐれもお願いしたい。
戦前皇国少年少女として育てあげられた。「日の丸・君が代」の強制ぶりや昨今の教育基本法改悪などの動きは実に恐ろしい。裁判所は公正な判決をするようにお願いする。
絵ブラウスは、当日誰に迷惑をかけたものでもなく、周囲もやわらかく受けとめていた。何の混乱も問題もなかった。これを処分することはおかしい。
ささやかにも思想良心の自由を守るために行なったことである。正当で、ささやかな行為をしただけだ。これは処分撤回されなければならない。
約束の時間をオーバーし40分余にもなったが、裁判所の方はその一つ一つをよく聞き書き留めていた。
今後もこの要請行動は続けたい。
できれば、1回ごと上告理由書の中の論点別に、話す内容をしぼって多面的に論理展開できるよいが、原告、弁護士、参加者ともに大変忙しい中でやっていることなので。かなり難しい。努力目標としたい。(市民の会・事務局)
◎ 6・18最高裁要請行動 山田昭次さんの発言
山田昭次と申します。私は立教大学で日本の近代史ないし現代史の研究と教育に従事しました。したがって歴史学的見地から意見を申します。
最近、次のような見解が登場して、小学校・中学校・高校・養護学校の卒業式・入学式の際の君が代斉唱・日の丸掲揚を正当化しています。この見解は「君が代や日の丸は確かに戦前には軍国主義や極端な国家主義の象徴として使われたが、平和主義や象徴天皇制を採用する戦後においては日本の象徴として支持されている」というものです。
このような見解は神奈川県立学校長に対する2006年11月30目付け神奈州県教育長の通知別紙「国旗及び国家の指導についての基本的な考え方」や、渡辺厚子氏の戒告処分取消請求控訴にたいする2006年12月26日付け東京高裁判決書にも登場しました。
しかし、これは日本の戦後史の表面しか捉えていない浅薄な認識です。平和憲法が採用されたのにもかかわらず、日本が行なった侵略戦争や植民地支配を支えた思想は戦後になっても容易に清算されなかったのみならず、1990年代半ばから戦前のこうした遺産の清算に反対する勢力が登場し、その勢力を代表する安倍晋三氏が2006年9月に首相になりました。
アジア・太平洋戦争に対する日本の政府の反省の欠如は、政府が主催する全国戦没者追悼式の際の首相の式辞に鮮明に現れています。
全国戦没者追悼式は最初に1952年5月2日に開催され、その次には1959年3月28日に開催されました。そして1963年以降は年中行事化されて毎年8月15日に開催されました。
この際の式辞で歴代首相は、日本人戦死者を国のために生命をささげた殉国者、ないしは愛国者として顕彰しました。典型的な事例を挙げると、池田勇人首相は1964年8月15日の式辞で「荒野に散華し、職域に殉じ、さらに異郷の地に非命に倒れた三百余万の同胞の、祖国に二ささげた愛国の至情と足跡は、戦争への批判とは別にL、長く歴史にとどめられねげなりません」と述べました。
そのほかの首相たちも、毎年このような内容の式辞を述べました。
戦争が侵略戦争であっても、このために命をささげたものを殉国者ないしは愛国者として褒め称えたのです。これは戦前に戦死者を靖国神社に合祀して天皇や国家のために命を捧げた英霊として顕彰したのと、本質的には変わりがありません。日本民衆を侵略戦争に駆り出して無意味な死を強いた国家の責任を反省し、謝罪することは。歴代首相にはなかったのです。
しかし一時期、多少の変化はありました。1993年8月に就任した細川護煕首相や1994年6月に就任した村山富市首相は、アジア・太平洋戦争を侵略戦争とはっきり認めてアジアに対して謝罪しました。かつ村山首相は日本人戦死者を誤った日本の国策の犠牲者と位置つけました。村山内閣とその与党が推進した結果、1995年6月9日に衆議院は「戦後50年国会決議」を採択し、日本の植民地支配と侵略戦争に対してまがりなりにも反省の意を表しました。そしてこれ以後の首相たちも、全国戦没者追悼式の式辞で日本人戦死者を殉国者として顕彰せず、その死を追悼しました。
しかし小泉純一郎首相は、その任期中の2001年から2006年までの間、毎年靖国神社に参拝しました。彼は2001年4月28日に開催された自民党総裁選挙の候補者討論会で、総裁になったら、8月15日に必ず靖国神社に参拝すると公約しその理由として「尊い命を犠牲に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感謝をささげるのは当然」と述べました。
戦死者の殉国者としての顕彰がまた復活したのです。これけ偶然ではありません。アジア・太平洋戦争を侵略戦争認める細川首相や村山首相の発言、あるいは戦後50年国会決議に反発する「終戦50周年国会議員連盟」、その他の自民党右派の活動が活発に続けられ。たことが背景にあったのです。
小泉首相のアジア・太平洋戦争の日本人戦死者の顕彰は単なる過去の解釈にとどまるものではありませんでした。かれは2003年5月20日に開催された参議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員会で、日米軍事同盟と北朝鮮に対する日韓米協調体制の必要を説いた上で、この2つと「同時に、日本の国は日本国民自身が守るのだという愛国心なり郷土愛なり(中略)色々な場でお互いの意識が共有できる」必要を強調しました。そしてさらに「自分たちができないことに対して、きつい仕事、危険な仕事をあえて自衛隊の諸君がやってくれているんだという敬意と感謝をもてるような環境を作るのが政治として大事だと思っております」と述べました。つまり、アジア・太平洋戦争の日本人戦死者に対する小泉首相の敬意と感謝は、現在の自衛隊に対する敬意と感謝とに直結し、それが彼のいう愛国心の内容をなすものなのです。
日本がサンフランシスコ講和条約成立により孤立した頃から、政府や、その与党の自由党、その後身の自民党は愛国心養成を強調してきました。吉田茂首相は1952年9月1日の自由党議員総会で「物心両面から再軍備の基礎を固めるべきである」と、「愛国心」の養成を力説ししまた。
小泉首相もこの伝統的方針を継承して、アメリカと同盟した日本の軍事体制を支える精神的支柱として「愛国心」の高揚を構想しました。彼は次のような内容の「愛国心」を高揚させるためにアジア・太平洋戦争の日本人戦死者を殉国者として顕彰したのです。
こうして細川首相や村山首相以後、一時姿を消した戦死者の顕彰が小泉首相こよって復活させられました。そして安倍首相はまだ自民党幹事長代理のときに「一国のリーダーがその)国のために殉じた方々の冥福を祈り、手を合わせ、尊崇の念を評する。これはt当然の責務です」といって、小泉首相の靖国神社参拝を支持しました。(『安倍晋三対論集一日本を語る』PHP研究所)いまや首相となった彼は、小泉首相の考えを継承して侵略戦争の不幸な犠牲者である日本人戦死者を殉国者・愛国者として顕彰することになりました。
君が代斉唱・日の丸掲揚の強制が愛国心養成の手段であることはいうまでもありません。そこでいう「愛国心」の内容はアメリカと同盟した日本軍事国家を支える先進的支柱として位置付けられています。
そのような意味を持つ君が代斉唱・国旗掲揚は価値中立的なものではなく、これを支持するかどうかは、国民の自由な討論にゆだねるべきことであり、東京都教育委員会が解雇・停職・減結・戒告などの処分によって脅迫しながら、これを押し付げるのは、思想・良心の自由の侵害であり、違憲であることは言うまでもありません。
最高裁 突然棄却
7月20日、裁判所より突然「棄却」の電話が入りました。書類を同日弁護士宛送付したとのことで、全く内容は分かっていません。
7月末、第2回最高裁要請の日程調整をしていました。裁判所は「約1週間ちょっと待って下さい」というので、待っていた折の棄却の知らせでした。
法廷も開かず、問答無用の棄却に怒りがこみ上げます。
不当判決糾弾!
『ほっととーく 55』(2007/7/21)より
「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会
〒176-0012 練馬区豊玉北5-17-7-303 サポートねりまねりま全労協気付
郵便振替:00140-6-517545 加入者名:声をあげる市民の会
◎ 6月18日最高裁要請行動の報告とお礼
6月18日、最大人数17名、30分間厳守、との約束で、最高裁に向けて、署名の提出並びに、山田昭次立教大名誉教授執筆の意見書の提出を行なった。
17名の参加者全員が一言、自分の思いを書記官に述べた。以下要約。
最高裁は、公開用の審理の場をひらき、よく原告の話をきくように、いきなり判決ということのないよう、くれぐれもお願いしたい。
戦前皇国少年少女として育てあげられた。「日の丸・君が代」の強制ぶりや昨今の教育基本法改悪などの動きは実に恐ろしい。裁判所は公正な判決をするようにお願いする。
絵ブラウスは、当日誰に迷惑をかけたものでもなく、周囲もやわらかく受けとめていた。何の混乱も問題もなかった。これを処分することはおかしい。
ささやかにも思想良心の自由を守るために行なったことである。正当で、ささやかな行為をしただけだ。これは処分撤回されなければならない。
約束の時間をオーバーし40分余にもなったが、裁判所の方はその一つ一つをよく聞き書き留めていた。
今後もこの要請行動は続けたい。
できれば、1回ごと上告理由書の中の論点別に、話す内容をしぼって多面的に論理展開できるよいが、原告、弁護士、参加者ともに大変忙しい中でやっていることなので。かなり難しい。努力目標としたい。(市民の会・事務局)
◎ 6・18最高裁要請行動 山田昭次さんの発言
山田昭次と申します。私は立教大学で日本の近代史ないし現代史の研究と教育に従事しました。したがって歴史学的見地から意見を申します。
最近、次のような見解が登場して、小学校・中学校・高校・養護学校の卒業式・入学式の際の君が代斉唱・日の丸掲揚を正当化しています。この見解は「君が代や日の丸は確かに戦前には軍国主義や極端な国家主義の象徴として使われたが、平和主義や象徴天皇制を採用する戦後においては日本の象徴として支持されている」というものです。
このような見解は神奈川県立学校長に対する2006年11月30目付け神奈州県教育長の通知別紙「国旗及び国家の指導についての基本的な考え方」や、渡辺厚子氏の戒告処分取消請求控訴にたいする2006年12月26日付け東京高裁判決書にも登場しました。
しかし、これは日本の戦後史の表面しか捉えていない浅薄な認識です。平和憲法が採用されたのにもかかわらず、日本が行なった侵略戦争や植民地支配を支えた思想は戦後になっても容易に清算されなかったのみならず、1990年代半ばから戦前のこうした遺産の清算に反対する勢力が登場し、その勢力を代表する安倍晋三氏が2006年9月に首相になりました。
アジア・太平洋戦争に対する日本の政府の反省の欠如は、政府が主催する全国戦没者追悼式の際の首相の式辞に鮮明に現れています。
全国戦没者追悼式は最初に1952年5月2日に開催され、その次には1959年3月28日に開催されました。そして1963年以降は年中行事化されて毎年8月15日に開催されました。
この際の式辞で歴代首相は、日本人戦死者を国のために生命をささげた殉国者、ないしは愛国者として顕彰しました。典型的な事例を挙げると、池田勇人首相は1964年8月15日の式辞で「荒野に散華し、職域に殉じ、さらに異郷の地に非命に倒れた三百余万の同胞の、祖国に二ささげた愛国の至情と足跡は、戦争への批判とは別にL、長く歴史にとどめられねげなりません」と述べました。
そのほかの首相たちも、毎年このような内容の式辞を述べました。
戦争が侵略戦争であっても、このために命をささげたものを殉国者ないしは愛国者として褒め称えたのです。これは戦前に戦死者を靖国神社に合祀して天皇や国家のために命を捧げた英霊として顕彰したのと、本質的には変わりがありません。日本民衆を侵略戦争に駆り出して無意味な死を強いた国家の責任を反省し、謝罪することは。歴代首相にはなかったのです。
しかし一時期、多少の変化はありました。1993年8月に就任した細川護煕首相や1994年6月に就任した村山富市首相は、アジア・太平洋戦争を侵略戦争とはっきり認めてアジアに対して謝罪しました。かつ村山首相は日本人戦死者を誤った日本の国策の犠牲者と位置つけました。村山内閣とその与党が推進した結果、1995年6月9日に衆議院は「戦後50年国会決議」を採択し、日本の植民地支配と侵略戦争に対してまがりなりにも反省の意を表しました。そしてこれ以後の首相たちも、全国戦没者追悼式の式辞で日本人戦死者を殉国者として顕彰せず、その死を追悼しました。
しかし小泉純一郎首相は、その任期中の2001年から2006年までの間、毎年靖国神社に参拝しました。彼は2001年4月28日に開催された自民党総裁選挙の候補者討論会で、総裁になったら、8月15日に必ず靖国神社に参拝すると公約しその理由として「尊い命を犠牲に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感謝をささげるのは当然」と述べました。
戦死者の殉国者としての顕彰がまた復活したのです。これけ偶然ではありません。アジア・太平洋戦争を侵略戦争認める細川首相や村山首相の発言、あるいは戦後50年国会決議に反発する「終戦50周年国会議員連盟」、その他の自民党右派の活動が活発に続けられ。たことが背景にあったのです。
小泉首相のアジア・太平洋戦争の日本人戦死者の顕彰は単なる過去の解釈にとどまるものではありませんでした。かれは2003年5月20日に開催された参議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員会で、日米軍事同盟と北朝鮮に対する日韓米協調体制の必要を説いた上で、この2つと「同時に、日本の国は日本国民自身が守るのだという愛国心なり郷土愛なり(中略)色々な場でお互いの意識が共有できる」必要を強調しました。そしてさらに「自分たちができないことに対して、きつい仕事、危険な仕事をあえて自衛隊の諸君がやってくれているんだという敬意と感謝をもてるような環境を作るのが政治として大事だと思っております」と述べました。つまり、アジア・太平洋戦争の日本人戦死者に対する小泉首相の敬意と感謝は、現在の自衛隊に対する敬意と感謝とに直結し、それが彼のいう愛国心の内容をなすものなのです。
日本がサンフランシスコ講和条約成立により孤立した頃から、政府や、その与党の自由党、その後身の自民党は愛国心養成を強調してきました。吉田茂首相は1952年9月1日の自由党議員総会で「物心両面から再軍備の基礎を固めるべきである」と、「愛国心」の養成を力説ししまた。
小泉首相もこの伝統的方針を継承して、アメリカと同盟した日本の軍事体制を支える精神的支柱として「愛国心」の高揚を構想しました。彼は次のような内容の「愛国心」を高揚させるためにアジア・太平洋戦争の日本人戦死者を殉国者として顕彰したのです。
こうして細川首相や村山首相以後、一時姿を消した戦死者の顕彰が小泉首相こよって復活させられました。そして安倍首相はまだ自民党幹事長代理のときに「一国のリーダーがその)国のために殉じた方々の冥福を祈り、手を合わせ、尊崇の念を評する。これはt当然の責務です」といって、小泉首相の靖国神社参拝を支持しました。(『安倍晋三対論集一日本を語る』PHP研究所)いまや首相となった彼は、小泉首相の考えを継承して侵略戦争の不幸な犠牲者である日本人戦死者を殉国者・愛国者として顕彰することになりました。
君が代斉唱・日の丸掲揚の強制が愛国心養成の手段であることはいうまでもありません。そこでいう「愛国心」の内容はアメリカと同盟した日本軍事国家を支える先進的支柱として位置付けられています。
そのような意味を持つ君が代斉唱・国旗掲揚は価値中立的なものではなく、これを支持するかどうかは、国民の自由な討論にゆだねるべきことであり、東京都教育委員会が解雇・停職・減結・戒告などの処分によって脅迫しながら、これを押し付げるのは、思想・良心の自由の侵害であり、違憲であることは言うまでもありません。
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