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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

☆ 映画『福田村事件』性描写問題&趙博氏の「マンスプ」&歴史事実の改変①ミソジニーの視点から

2024年01月09日 | 増田の部屋

皆さま
 こんにちは。増田です。これはBCCで送信しています。重複、ご容赦を!

 森達也監督の初めての劇映画『福田村事件』は観客動員が15万人超となったと言われており、この事件が広く知られるようになってことはいいことだと思います。しかし、添付にあるように天理大学教員の北口学氏はこの映画の問題点をたくさん挙げておられます。。

 私は「性描写」問題「歴史改変(創作)」問題の2点と、それに直接かかわった芸人趙博氏とのやり取りについてまとめてみました。
 ちょっと長いですが、ご関心のある方には読んでいただけたら嬉しいです。

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<映画『福田村事件』性描写問題&趙博氏の「マンスプ」&歴史事実の改変(創作)>

 私は、この映画を森達也監督が撮ると聞き、期待を込めてクラファンにもほんの少々だが協力した。
 この100年の日本の歴史の中で初めて千葉県福田村(現野田市)における「関東大震災における虐殺」を正面から描く映画であり、全国的にはあまり知られていなかったこの事件を広く知らしめるものとして、この映画の意義は大いにあると考えた。

 しかし、この映画を実際に見て、①性描写に潜む女性蔑視(「ミソジニー」)②歴史事実の改変(創作)には強い違和感を持った。
 だから、東京新聞夕刊コラム『大波小波』の「ジェンダー的視点の欠落」と有田芳生氏のFacebookの投稿には全く同感した。(下線は増田)

 ※ 『大波小波』(東京新聞コラム 2023年9月20日) ジェンダー的視点の欠落

 関東大災から100年の今年は、関連の書籍や映像作品がさまざまにつくられている。流言飛語によって朝鮮人が虐殺された事実をきちんと伝えていこうという動きも大きい。
 映画「福田村事件」は、香川から行商に来ていた被差別部落民が朝鮮人に間違われて千葉県で虐殺された事実をもとにしたフィクションで、9月1日の全国公開以来、連日客席が埋まっている。こうした物語が認知され、悲惨で恥ずべき事件を大衆が知ることは歓迎すべきことだ。
 しかし、この作品には危うさが潜んでいる。エンターテインメント性を意識したのか、無駄に性的な描写があったり、人間関係のこじれ方が安っぽくなったりしてしまっている。観客が虐殺という重い事実を目の当たりにする前のこの描写はどうしても邪魔に感じる。
 また全体を通して女性の描き方が男性の妄想的願望に満ちている。女性に対する構造的差別がいまだはびこる現在において、この映画を見て不快に感じる観客がいるという可能性を予測できなかったことが、とても残念だ。レイシズムにはアンテナが反応しても、ジェンダーの問題には鈍いということの、恰好のサンプルになってしまっている。(待ち遠しい秋)

 ※ 有田 芳生さんのFacebookから

 9月20日(水)夕方からシネ・リーブル池袋へ。「福田村事件」を観た。
 (1)関東大震災で多くの朝鮮人に加え、中国人、社会主義者だけでなく、香川県の薬売りたち(日本人、被差別部落民)が千葉県で虐殺された。日本の恥。その事実を映画にした意義は無条件に大きい。

 (2)史実とフィクションが混在するのは当然だが、その描き方について様々な異論や批判がある。ドキュメンタリーでない以上、創作と脚色があるのは当然で、それはどの程度まで許されるのか

 (3)(4)略

 (5)森達也さんは脚本に批判的だったとわかる。史実を描くのに「日活ロマンポルノ」風の演出などいらない。私はそう思う。雑誌「部落解放」(9月号)に藤田正さんが描写に批判的な文章を書いていた。

① この映画の性描写に潜む女性蔑視(ミソジニー)の問題について

 上記有田氏の投稿に対して、私もFacebookに以下の投稿をした。
◎増田都子
 私はいくらフィクションにしても無駄な性描写が多かった気がします でも、有田さんのおっしゃる通り、日本の負の歴史=「関東大震災における虐殺」を真正面から描いた初めての映画として意義はとても大きいと思います 

 ―――――――――
 これに対して「この映画に関して性描写についての意見が多いようですが、無駄な性描写はなかったと私は感じました。どこが無駄なのか私はわかりません。この映画に無駄な場面はないように思います。」という投稿があり、以下のやり取りがあった。

 ◎有田 芳生

 虐殺事件を描くのに中途半端で曖昧なポルノ風が入ったのは不要だという意味です。イヤな言葉ですが必然性がないと思ったのです。日活ロマンポルノは真剣でした。なぜに福田村事件の伏線に創作のポルノまがいがあったのかという感想です。でもこんな映画が関東大震災100年で誕生し、いろんな議論があることがいいですよね。

 ●趙 博

 有田 芳生さん、必然性はあったと思いますよ。戦地に夫を取られた女たちの「不倫」、冷え切った夫婦関係の背後には独立運動のジェノサイドに手を貸してしまった夫のトラウマがあった。自分の妻が別の男と舟の上で寝ているのを、夫はその「姦通」の理由を痛感しながら、敢えて凝視している。「戦争と性」と総括的に評価してもいい程のエロスだと、僕は思います。ポルノ的の言辞は、あまりにも的外れではないでしょうか?

 ◎増田都子

 趙 博 さん、ベテラン船頭が岸の直ぐ近くで誰からも直ぐ見られるような場所で性交していて、それを夫と愛人の二人だけが岸から凝視してるって、不自然過ぎると思いましたけど…。それと死んだ爺さんの顔に嫁が裸の胸を押し付ける、って「必然性」というより「趣味」の部類か  と思いました。悪趣味…

 ●趙 博

 増田都子さん、不自然と思うのはあなたの主観です。井浦新の瞳の奧が何を物語っていたか、読み取れないようなら、あなたに映画を観る目が無い証拠です。死んだ爺さんに胸を押しつける、そう、押しつけたかったのですよ。己の好き嫌いを作品に押しつけることこそ幼稚と言うほかありませんね。

 ◎増田都子

 趙 博 さん、「井浦新の瞳の奥」を撮るために、わざわざ、通りかかった人なら誰にでも直ぐ見える岸の近くの小舟の中で船頭と妻の性交シーンが創作上、必要だったことは見え見えで、だから、そこが作り話なので不自然だ、と書いたのです。
 普通は…つまり、本当に小舟の中で性交する場合は、人には見えないような芦の繁っている場所とか、ベテラン船頭なら難なく船をつけると思うけどねぇ 

 「死んだ爺さんに裸の胸を押し付ける嫁」は「そうしたかった」というシナリオでしょうし、それぞれの性交シーンは、みんな女性が「主体的にやりたかった」というシナリオですが、それって「ロマンポルノ」が大好きな男性の願望の映像化では 

 それに、半鐘を鳴らしたり、武器を振り下ろしたりした男たちは妻の不貞とかでのイラだちが心理の底にあったというような創作は、虐殺加害の本質から逸れるような気もするなぁ そういうのが無くても普段は優しい人々が虐殺加害に加わったことが、酷く怖いのではないのかなぁ 

 それに「映画を見る目が無い証拠」ってのも「あなたの主観」ですよねw
 もちろん、私は「映画を見る目が」有るかどうか、自信は無いです。本当に「無い」かもねw
 ―――――――――

 すると、趙博氏は、この映画に対して称賛のみの熊沢誠氏のFacebookをシェアし、以下のようなやりとりをした。

 ●趙 博

 「批判者」諸君、映画評とはこのような名文を言うのだよ。粗探しする前によく読んで、勉強したまえ。

 ※ 熊沢 誠 『福田村事件』という映画

 1923(大正12)年、関東大震災直後、多数の朝鮮人が虐殺される異様な状況のなか、千葉県福田村で9月6日、在郷軍人会にあおられた村民たちが、香川県からきた被差別部落民の薬行商人9人を殺戮した。映画『福田村事件』は、この惨劇の史実にゆたかな想像性を加えて作劇されている。

 監督は森達也、脚本は佐伯俊道・井上淳・荒井晴彦。日本近代史の暗部を語ろうとしない権力の歴史意識。今日ふたたび「ふつうの」市民のなかに根をはりつつある恵まれない少数者への差別と排除への同調圧力。この風潮を報じるはずのマスメディアの鈍感さ・・・。この映画の作り手たちは、おそらくそうした現時点の日本の思潮対する激しい嫌悪とつよい警戒心に突き動かされて、ここに100年前をふりかえる、2023年の私たちに必見の作品を贈ることができた。そのテーマとメッセージだけをみても、これは本年度邦画のベストワンをうかがう収穫ということができる。(以下、略)
 (末尾) 日本映画界がついにこのような本当に大きい作品をもつことができたことを、私たちは幸せとせねばならない。

 ◎増田 都子

 趙博さんにとって「批判者」って、「粗探しする」者なんですね…なるほど…模範解答以外は認めないわけか。意外と器が小さいのねw そういえば、私が有田さんと同じことを具体例を挙げて説明したら、「あなたに映画を観る目が無い証拠」って居丈高に決め付けたけど、有田さんにはかなり遠慮深い言い方をしてたよね…ま、無意識にそうなったんだろうけど…これって、立派な差別じゃね?w

 ●趙 博

 増田 都子さん、有田さんのような真っ当な批判者なら対話しますし、その批判は有り難く嬉しい限りです。ところで「批判者=粗探しする者」と誰が言いましたか? 僕が模範解答しか求めない???…あなたのように「己の主観主義」で「批判」しているような人々を「批判者」と括弧付きで呼んだのです。日本語の意味はおわかりですね? そして、僕の器が小さいかどうか…、そんなことは知りません。私を差別者呼ばわりするのも、どうぞご勝手に。それより、熊沢さんの文章に反論してご覧なさいよ。

 ―――――――――
 これに対して、私は彼のFacebook以下のように書きこんだが、趙博氏はその後は何も書かれなかった。

 ◎増田都子

 趙博さん、
1、「有田さんは真っ当な批判者」について。 有田さんは書いていました。

「史実を描くのに『日活ロマンポルノ』風の演出などいらない。」
「虐殺事件を描くのに中途半端で曖昧なポルノ風が入ったのは不要だ」
「必然性がない」
「なぜに福田村事件の伏線に創作のポルノまがいがあったのか」

2,増田については「『己の主観主義』で『批判』している」について。 増田は書きました。

「いくらフィクションにしても無駄な性描写が多かった」
「ベテラン船頭が岸の直ぐ近くで誰からも直ぐ見られるような場所で性交していて、それを夫と愛人の二人だけが岸から凝視してるって、不自然過ぎる」
「死んだ爺さんの顔に嫁が裸の胸を押し付ける、って『必然性』というより『趣味』の部類か」

3,日本語の意味はおわかりですかねぇ?

私は「虐殺事件を描くのに中途半端で曖昧なポルノ風」のシーンを具体的に挙げただけなんですけど…。それで、有田さんは「真っ当な批判者」で増田は「『己の主観主義』で『批判』している」ことになるのかぁ?ww

4,「『批判者=粗探しする者』と誰が言いましたか?」について。

 だって、あなたは「『批判者』諸君…粗探しする前によく読んで、勉強したまえ。」って書いてますよね?
 「日本語の意味はおわかりの」人なら「批判者=粗探しする者」と書いてあると認識すると思うけどなぁ…もしかして「『批判者』=粗探しする」としなかったことで、こんな言いがかりをつけるわけ?

5,「熊沢さんの文章に反論してご覧なさいよ。」について。

 ここが、とっても笑える部分なんだけど、もしかして、あなたは私が、映画『福田村事件』について全否定しているかのように思い込んでないか?

 私は「日本の負の歴史=『関東大震災における虐殺』を真正面から描いた初めての映画として意義はとても大きいと思います 」と書いてたけど
 …日本語の意味はおわかりですね? 私が「熊沢さんの文章に反論」する必要性など全く無いんだよね…

 私はリッチではないから、ほんのほんの微々たるものだけどクラファンに拠出し、公式パンフに名前も載せてもらってるし…友人・知人にも見に行くように勧めてるよ。

 ホント!「熊沢さんの文章」は未だこの映画を見ていない人に紹介するのにとてもいいですね。ただ、ここには東京新聞コラム『大波小波』が書いた「性描写」問題…有田さんも私もここには違和感がある、と主張しているだけ…についてはスルーしてありますよね。

(続)


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