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【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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▲ 大阪でも卒業式に向けての闘いが続いています。
すでに府立高校でのビラまきも行われています。
私のところに以下のようなメールが届いています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
北摂・豊能地域での高校卒業式でのビラまきに協力いただいた方々、
ありがとうございました。朝早くから寒いなか、お疲れさまでした。
あと一つ、3/8の箕面東高校が残っていますが、
北摂・豊能地域の約30高校のうち、今年は14校にビラをまくことができました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
また、この間中学校教員Mさんの闘いを紹介してきましたが、そのMさんらの支援者らが、3月3日市教委との話し合いを持ちました。
その報告が入っていますので、それも紹介します。
少し長いですが、市教委の「日の丸、君が代」に対する姿勢がよくわかります。
それは、「日・君」についての生徒に対する説明文書(下方にコピーしておきました)を具体的な理由を明らかにしないまま、「全体のトーンがふさわしくない」、「『国旗・国歌を尊重する』ということを教えることになっていない」として一方的に否定するもので、Mさんの言うように「洗脳」「調教」でしかありません。
また、天皇・戦争のシンボル「日の丸・君が代」は、再び「神聖不可侵」(?)になったようです。
その前では「思想・良心の自由」などは関係ないというのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲ 2016.3.3「君が代」問題での大阪市教委との継続再協議報告 M
市教委側出席者は、指導部中学校教育担当西田さん・奥野さん、教務部人事担当田中さん、総務部広聴担当斉藤さんの4人(田中さんは、初めの国旗国歌指導資料の扱いに関する問題のみ出席)。
こちらの参加者は30人でした。(15時30分から17時50分まで)
「協議」は持ち帰りとなっていた国旗国歌指導の教材の扱いに関する再回答から始めました。
2月12日の前回「協議」で、私たちの質問(参考として下に掲載)に対して、「審査請求案件にかかわる質問ですので、回答できません。」との答えたことに抗議し、持ち帰りとなっていたものです。
※質問
(5)回答内容について質問に行った際(1月25日)、説明にあたった担当指導主事は、関連して質問した、学校現場で作成した国旗・国歌についての生徒に対する説明文書(別紙資料:卒業式・入学式の国旗・国歌について)について、これは「全体のトーンがふさわしくない」と市教委として判断し、学校に指導していると述べました。
「全体のトーン」について質問すると、「『国旗・国歌を尊重する』ということを教えることになっていない」と答えました。
学校の責任で作成したこの教材について、「市教委として判断」した経過と判断内容について、「資料:卒業式・入学式の国旗・国歌について」の記述に沿って、具体的に説明してください。
人事担当田中さんからの「審査請求案件に関わる部分とかかわらない部分を仕分けし、かかわらない部分についてのみ答える」との立場表明を受け、内容について問いただしました。
担当の奥野さんは、「記載事項の個々の部分が事実かどうか、ふさわしいかどうかを検討した結果ではなく、『全体としてのトーン』が学習指導要領の目的(国旗国歌を尊重する気持ちを育成する)沿っていないことが問題」と繰り返しました。
「どの記載事項が学習指導要領のどの内容に反するのか具体的に指摘することなく『全体のトーン』を理由にすることは許されない」「指導・助言でなく、検閲だ」「事実を教えること抜きに教育はない」などと批判しましたが、回答はまったく同じでした。
1時間30分近くのやり取り中で、私たちが理解したことは、大阪市教育委員会の国旗国歌に関わる方針は、「日の丸」や「君が代」に関わる歴史については、事実をすべて伝えるのではなく、国旗国歌尊重の気持ちにつながるような事実のみを選んで「指導」するというものです。
これは、大阪市教委が国家目的に沿って児童・生徒を「洗脳」「調教」することを宣言するものです。
時間の関係で、市教委の立場に抗議し、指導内容に介入せず、学校に任せるべきだと要請して終わっています。
大阪市教委が「全体のトーン」が問題とする資料「卒業式・入学式の国旗・国歌について」を多くの人に見てもらって、
子どもたちはここにある事実を知った方がいいのか、
それとも市教委が言うように、具体的事実は何も伝えずに、国旗国歌は大切なもので、日本の国歌は「君が代」なので歌いましょうということだけを何度も聞かされるべきなのか、
判断を仰ぎたいと思っています。
とにかく、事実を伝えることを否定する教育委員会をこのままにしておくわけにはいかないと強く感じました。
「協議」時間が残り短くなる中で、「君が代」起立・斉唱が嫌だと思う子どもに対する指導のあり方についてのひどい見解に抗議し、撤回を求めました。
前回「協議」時に示されたこの部分の回答は、以下でした。
※2.12市教委口頭回答
この見解の前提にある国歌「君が代」に関わる態度の問題が「思想・良心の自由」にかかわらないとする市教委の認識が大問題。
最高裁判決をも大きく逸脱するとんでもない見解は撤回するべき。
等と主張しました。
この見解については、持ち帰って再検討するということになりました。
大阪市教委が、維新支配の下で、本当にひどい状況になっていることを実感するとともに、声を上げ、抗議していくことの大切さを実感した「協議」でした。
中学校・小学校の卒業式が近づいています。
市教委の「君が代」強制による子どもたちへの権利侵害、教育破壊を許さず、子どもたちに真実を伝えるために努力しましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(別紙資料:卒業式・入学式の国旗・国歌について)
資料:卒業式・入学式の国旗・国歌について(生徒配布版)
● 「日の丸」の歴史
お話1~いつごろできたの?
「白地に赤丸の旗」が現れたのは、鎌倉時代末期です。平安時代・鎌倉時代に扇子などに描かれた丸印は、表が赤字に金丸、裏が青字に銀丸とついになったもので、陰陽思想に基づくものでした。また、その頃の「はた」は、下に垂れ下がる幡(はた)でした。「白地に赤丸」の横になびく旗は、蒙古(モンゴル)が元寇で持ってきた旗が刺激となって使われ始めたのではないかとの指摘もあります。その後、武田信玄・上杉謙信など多くの戦国大名が旗印に用いました。江戸幕府の終わり頃には、外国から国交を求められ、「日本総船印」とされました。
お話2~いつ国旗とされたの?~
明治維新の後、1870年1月、「商船規則」を決めた明治政府の太政官布告で、「日の丸」を「御国旗(みこっき)」とし、その形状を示しました。その時代は天皇を中心とする国づくりがめざされていたので、1870年10月、明治政府が、「海軍旗章」を定めた太政官布告の中で、天皇の旗である「御旗(みはた)」、皇族の旗である「皇族旗」とともに「御国旗」としての「日の丸」を載せ、臣民(天皇の家来)が天皇に対して掲げる旗としての位置づけを行いました。日露戦争後には、天長節(天皇誕生日)、紀元節(建国神話に基づく国の誕生日)などの祝日や大祭日には、すべての家で掲げることが徹底されていきました。
お話3~「日の丸」はどう教えられたの?どう使われたの?
国旗国歌法では、「日の丸」の意味については規定していませんが、赤丸は太陽を表すとされています。戦前の国が定めた教科書では、「日の丸」は「朝日が勢いよく登っていくところをうつした」勇ましい旗、「占領したところに真っ先に立てる」旗とされていました。また、「(「日の丸」の)白は国民の純正潔白を表し、赤は日本国民の熱烈もゆるがごとき愛国の至誠(しせい)をあらわしている」と教えていました。その当時、日本は、台湾・朝鮮を植民地とし、中国東北部「満州」を支配して、中国との戦争からアジア太平洋全域での戦争に入っていきました。国内では、出征兵士(軍隊に入るために出発する人)の見送りを初め戦意を奮い立たせるためのいろんな場面で使われました。植民地朝鮮では、「創氏改名(日本式に名前を変えさせること)」を強制したり、「皇国臣民の誓詞(せいし)」を唱えさせるなど、天皇の臣民とするための政策を進め、「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱を強制しました。「日の丸」「君が代」はその植民地支配や「大東亜共栄圏」を宣伝する占領地の厳しい軍政・戦闘地域での日本軍の残虐行為とともに記憶されることになりました。
お話4~戦後、「日の丸」はどうなったの?~
アジア太平洋戦争は、アジア2000万人、日本310万人の戦争犠牲者という悲惨な結果を残し、日本の敗戦で終わりました。日本は連合国軍の占領下におかれ、戦争の反省に立った新たな出発をしました。「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」とした大日本帝国憲法にかわって、「平和主義・主権在民・基本的人権の尊重」を原則とする日本国憲法が制定されました。生きた神とされ、絶対的権力を持った天皇は、象徴としての存在になりました。軍国主義に結びついたものについては廃棄されていきました。「日の丸」「君が代」については、連合軍の占領当初、「日の丸」の掲揚制限が少しありましたが、廃止はされませんでした。その後、サンフランシスコ講和条約により、日本は国際社会に復帰しますが、対外的に国旗・国歌が必要な場では、「日の丸」「君が代」が使用され続けます。学校の儀式などではしばらくなくなっていましたが、文部省が学習指導要領に規定することで、掲揚・斉唱がされるようになりました。1999年になって国旗国歌法が制定され、法律によって、「日の丸」「君が代」が日本の国旗・国歌と決められました。
● 「君が代」の歴史
お話5~歌詞になっている和歌はいつできたの?そのときの意味は?
曲ができたのは明治になってからですが、歌詞のもとになった和歌ができたのは、平安時代です。「古今和歌集」の「賀歌(がのうた)」(長寿を祝う歌)にある「わが君は 千代にましませ さざれ石の いわおとなりて 苔のむすまでに」が変化し、平安時代末期から鎌倉時代初期には、「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」になったと言われています。「君」は、目上や年長者を意味することが多く、めでたい席や行事で、彼(彼女)の長寿を祝い、願うための歌として歌いつがれてきたのです。もとは、「あなたの寿命が 千年も万年も 小石が大岩になって 苔がはえるほど長く続きますように」という意味だったのです。
お話6~曲がつけられたのはいつ?意味は変わったの?
明治になって、薩摩藩の砲兵隊長大山巌が「君」を天皇に限定し、「天皇陛下を祝する歌」として「君が代」を海軍の儀礼曲とすることを提案。イギリス人の軍楽隊長フェントンが曲をつけ、1870年に初めて演奏されました。しかし、歌詞と曲の調子があっていないと不評であったため、1880年、宮内省雅楽課林広守が作曲し直し(奥好義と林広季という説もある)、ドイツ人音楽教師エッケルトが編曲してできあがったものです。
お話7~学校ではいつ歌われたの?どう教えられたの?~
1890年、天皇が教育の目的を示した教育勅語(ちょくご)が出されました。「国民は天皇の臣民として、天皇の治める国が栄えるようにしなければならず、学校で勉強するのもそのためである」という内容で、「国の一大事(戦争のとき)には、国のため、天皇のために身も心も捧げなければならない」と教えるものでした。学校で行われる儀式も、全国で統一したものが決められました。入学式・卒業式の他に、天長節・紀元節などの祝日に「君が代」斉唱・御真影(ごしんえい:天皇・皇后の写真)に最敬礼・教育勅語奉読(ほうどく)を中心とした厳粛な式が行われました。国定教科書の中では、「君が代」は「天皇陛下のお治めになる世の中がずっと続きますように」という意味だとされていました。
お話8~今、「君が代」はどんな意味だとされているの?~
1999年8月、国旗国歌法が制定されたとき、政府は、現在の日本国憲法下での「君が代」の解釈を次のように示しています。「日本国憲法下にあっては、国歌君が代の「君」は、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており、君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当」
● 入学式・卒業式の国旗・国歌
文部科学省の定めている学習指導要領には「入学式や卒業式などにおいては、その意義をふまえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定されています。それは、「国際的な交流が進む中で、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てることが大切」「国旗・国歌に対する正しい認識を持ち、それらを尊重する態度を育てることが、国際社会において尊敬され、信頼される日本人となるために必要」「卒業式や入学式は、国家への所属感を深めるためにいい機会」とする認識から定められているものです。大阪市教育委員会は、「日の丸」「君が代」の歴史をふまえつつ、「日本国憲法」の下で、平和と人権の確立をめざすその「シンボル」としての国旗・国歌の意義をとらえてほしいとしています。
● 大阪府・大阪市国旗国歌条例
2011年6月に大阪府議会で「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」が制定され、2012年2月に大阪市議会で、同様の条例が制定されました。「府民(市民)、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資すること」などを目的として、「国歌の斉唱にあたっては、教職員は起立により斉唱を行うものとする」とされました。
● 一人ひとりが自分の考えを深めよう
以上、国旗・国歌、「日の丸」「君が代」について、みなさんに伝えておくべき事実を載せておきました。それをもとに国旗・国歌、「日の丸」「君が代」についてどう考えるかは、みなさん一人ひとりの問題です。自分の考えを深めていってください。また、友達の意見にも耳を傾け、それぞれの意見・立場を尊重し合う関係を築いてほしいと願っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
長くなりましたので、▲ 都立高校ビラまきの続報は一校だけにします。
(3月4日(金))
<六郷工科高校>
大田市民の会のメンバーと4人で配布
8時から9時50分まで
校長と副校長、生徒指導担当者が出てきて敷地に入るなと通告。
それだけを言い残して、再びは現れず。
ビラ用の箱も用意せず、淡々としたもの。
ただし、生徒の受け取りはあまりよくない。
とくに自転車利用者が多くて手渡すのにひと苦労。
保護者の受け取りは良好。
来賓と思わしき人物(中年男性)が出できて迷惑だから撒くな、戦争になんかなりはしない、でたらめ書くな、とひとしきり。
適当にやり過ごしていると、そのうち引っ込む。
約300枚は撒けた。
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この高校は緩やかな対応だったようです。
なお、私たちのビラは、「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
をクリックしてご覧ください。↓
*********************************************************
「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/
【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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▲ 大阪でも卒業式に向けての闘いが続いています。
すでに府立高校でのビラまきも行われています。
私のところに以下のようなメールが届いています。
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北摂・豊能地域での高校卒業式でのビラまきに協力いただいた方々、
ありがとうございました。朝早くから寒いなか、お疲れさまでした。
あと一つ、3/8の箕面東高校が残っていますが、
北摂・豊能地域の約30高校のうち、今年は14校にビラをまくことができました。
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また、この間中学校教員Mさんの闘いを紹介してきましたが、そのMさんらの支援者らが、3月3日市教委との話し合いを持ちました。
その報告が入っていますので、それも紹介します。
少し長いですが、市教委の「日の丸、君が代」に対する姿勢がよくわかります。
それは、「日・君」についての生徒に対する説明文書(下方にコピーしておきました)を具体的な理由を明らかにしないまま、「全体のトーンがふさわしくない」、「『国旗・国歌を尊重する』ということを教えることになっていない」として一方的に否定するもので、Mさんの言うように「洗脳」「調教」でしかありません。
また、天皇・戦争のシンボル「日の丸・君が代」は、再び「神聖不可侵」(?)になったようです。
その前では「思想・良心の自由」などは関係ないというのです。
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▲ 2016.3.3「君が代」問題での大阪市教委との継続再協議報告 M
市教委側出席者は、指導部中学校教育担当西田さん・奥野さん、教務部人事担当田中さん、総務部広聴担当斉藤さんの4人(田中さんは、初めの国旗国歌指導資料の扱いに関する問題のみ出席)。
こちらの参加者は30人でした。(15時30分から17時50分まで)
「協議」は持ち帰りとなっていた国旗国歌指導の教材の扱いに関する再回答から始めました。
2月12日の前回「協議」で、私たちの質問(参考として下に掲載)に対して、「審査請求案件にかかわる質問ですので、回答できません。」との答えたことに抗議し、持ち帰りとなっていたものです。
※質問
(5)回答内容について質問に行った際(1月25日)、説明にあたった担当指導主事は、関連して質問した、学校現場で作成した国旗・国歌についての生徒に対する説明文書(別紙資料:卒業式・入学式の国旗・国歌について)について、これは「全体のトーンがふさわしくない」と市教委として判断し、学校に指導していると述べました。
「全体のトーン」について質問すると、「『国旗・国歌を尊重する』ということを教えることになっていない」と答えました。
学校の責任で作成したこの教材について、「市教委として判断」した経過と判断内容について、「資料:卒業式・入学式の国旗・国歌について」の記述に沿って、具体的に説明してください。
人事担当田中さんからの「審査請求案件に関わる部分とかかわらない部分を仕分けし、かかわらない部分についてのみ答える」との立場表明を受け、内容について問いただしました。
担当の奥野さんは、「記載事項の個々の部分が事実かどうか、ふさわしいかどうかを検討した結果ではなく、『全体としてのトーン』が学習指導要領の目的(国旗国歌を尊重する気持ちを育成する)沿っていないことが問題」と繰り返しました。
「どの記載事項が学習指導要領のどの内容に反するのか具体的に指摘することなく『全体のトーン』を理由にすることは許されない」「指導・助言でなく、検閲だ」「事実を教えること抜きに教育はない」などと批判しましたが、回答はまったく同じでした。
1時間30分近くのやり取り中で、私たちが理解したことは、大阪市教育委員会の国旗国歌に関わる方針は、「日の丸」や「君が代」に関わる歴史については、事実をすべて伝えるのではなく、国旗国歌尊重の気持ちにつながるような事実のみを選んで「指導」するというものです。
これは、大阪市教委が国家目的に沿って児童・生徒を「洗脳」「調教」することを宣言するものです。
時間の関係で、市教委の立場に抗議し、指導内容に介入せず、学校に任せるべきだと要請して終わっています。
大阪市教委が「全体のトーン」が問題とする資料「卒業式・入学式の国旗・国歌について」を多くの人に見てもらって、
子どもたちはここにある事実を知った方がいいのか、
それとも市教委が言うように、具体的事実は何も伝えずに、国旗国歌は大切なもので、日本の国歌は「君が代」なので歌いましょうということだけを何度も聞かされるべきなのか、
判断を仰ぎたいと思っています。
とにかく、事実を伝えることを否定する教育委員会をこのままにしておくわけにはいかないと強く感じました。
「協議」時間が残り短くなる中で、「君が代」起立・斉唱が嫌だと思う子どもに対する指導のあり方についてのひどい見解に抗議し、撤回を求めました。
前回「協議」時に示されたこの部分の回答は、以下でした。
※2.12市教委口頭回答
一般に、教育活動の一部または全部に参加できない意思を示す児童・生徒がいた場合、その原因を分析するとともに、児童生徒の実態を踏まえながら、個に応じた丁寧な指導を心がけることが大切です。「思想・良心の自由」は内心にと留まっていなくても尊重されなければならないのは当然。
ご質問にある事例につきましては、文面だけでは、当該の児童(生徒)さんが「歌いたくない」という原因を十分に推し量ることはできませんが、思想良心の自由との関連で申しますと、卒業式や入学式における国歌の斉唱は、特定の思想に賛同することの表明を求めるものではなく、あくまでも学習指導要領に則って取り組む教育上の課題の一つといえるものです。
思想・良心の自由は、それが内心にとどまる限りにおいては保障されなければならないことは当然ですが、学習指導要領に基づく国歌の指導は、これを制約するものではないと考えています。
この見解の前提にある国歌「君が代」に関わる態度の問題が「思想・良心の自由」にかかわらないとする市教委の認識が大問題。
最高裁判決をも大きく逸脱するとんでもない見解は撤回するべき。
等と主張しました。
この見解については、持ち帰って再検討するということになりました。
大阪市教委が、維新支配の下で、本当にひどい状況になっていることを実感するとともに、声を上げ、抗議していくことの大切さを実感した「協議」でした。
中学校・小学校の卒業式が近づいています。
市教委の「君が代」強制による子どもたちへの権利侵害、教育破壊を許さず、子どもたちに真実を伝えるために努力しましょう。
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(別紙資料:卒業式・入学式の国旗・国歌について)
資料:卒業式・入学式の国旗・国歌について(生徒配布版)
● 「日の丸」の歴史
お話1~いつごろできたの?
「白地に赤丸の旗」が現れたのは、鎌倉時代末期です。平安時代・鎌倉時代に扇子などに描かれた丸印は、表が赤字に金丸、裏が青字に銀丸とついになったもので、陰陽思想に基づくものでした。また、その頃の「はた」は、下に垂れ下がる幡(はた)でした。「白地に赤丸」の横になびく旗は、蒙古(モンゴル)が元寇で持ってきた旗が刺激となって使われ始めたのではないかとの指摘もあります。その後、武田信玄・上杉謙信など多くの戦国大名が旗印に用いました。江戸幕府の終わり頃には、外国から国交を求められ、「日本総船印」とされました。
お話2~いつ国旗とされたの?~
明治維新の後、1870年1月、「商船規則」を決めた明治政府の太政官布告で、「日の丸」を「御国旗(みこっき)」とし、その形状を示しました。その時代は天皇を中心とする国づくりがめざされていたので、1870年10月、明治政府が、「海軍旗章」を定めた太政官布告の中で、天皇の旗である「御旗(みはた)」、皇族の旗である「皇族旗」とともに「御国旗」としての「日の丸」を載せ、臣民(天皇の家来)が天皇に対して掲げる旗としての位置づけを行いました。日露戦争後には、天長節(天皇誕生日)、紀元節(建国神話に基づく国の誕生日)などの祝日や大祭日には、すべての家で掲げることが徹底されていきました。
お話3~「日の丸」はどう教えられたの?どう使われたの?
国旗国歌法では、「日の丸」の意味については規定していませんが、赤丸は太陽を表すとされています。戦前の国が定めた教科書では、「日の丸」は「朝日が勢いよく登っていくところをうつした」勇ましい旗、「占領したところに真っ先に立てる」旗とされていました。また、「(「日の丸」の)白は国民の純正潔白を表し、赤は日本国民の熱烈もゆるがごとき愛国の至誠(しせい)をあらわしている」と教えていました。その当時、日本は、台湾・朝鮮を植民地とし、中国東北部「満州」を支配して、中国との戦争からアジア太平洋全域での戦争に入っていきました。国内では、出征兵士(軍隊に入るために出発する人)の見送りを初め戦意を奮い立たせるためのいろんな場面で使われました。植民地朝鮮では、「創氏改名(日本式に名前を変えさせること)」を強制したり、「皇国臣民の誓詞(せいし)」を唱えさせるなど、天皇の臣民とするための政策を進め、「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱を強制しました。「日の丸」「君が代」はその植民地支配や「大東亜共栄圏」を宣伝する占領地の厳しい軍政・戦闘地域での日本軍の残虐行為とともに記憶されることになりました。
お話4~戦後、「日の丸」はどうなったの?~
アジア太平洋戦争は、アジア2000万人、日本310万人の戦争犠牲者という悲惨な結果を残し、日本の敗戦で終わりました。日本は連合国軍の占領下におかれ、戦争の反省に立った新たな出発をしました。「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」とした大日本帝国憲法にかわって、「平和主義・主権在民・基本的人権の尊重」を原則とする日本国憲法が制定されました。生きた神とされ、絶対的権力を持った天皇は、象徴としての存在になりました。軍国主義に結びついたものについては廃棄されていきました。「日の丸」「君が代」については、連合軍の占領当初、「日の丸」の掲揚制限が少しありましたが、廃止はされませんでした。その後、サンフランシスコ講和条約により、日本は国際社会に復帰しますが、対外的に国旗・国歌が必要な場では、「日の丸」「君が代」が使用され続けます。学校の儀式などではしばらくなくなっていましたが、文部省が学習指導要領に規定することで、掲揚・斉唱がされるようになりました。1999年になって国旗国歌法が制定され、法律によって、「日の丸」「君が代」が日本の国旗・国歌と決められました。
● 「君が代」の歴史
お話5~歌詞になっている和歌はいつできたの?そのときの意味は?
曲ができたのは明治になってからですが、歌詞のもとになった和歌ができたのは、平安時代です。「古今和歌集」の「賀歌(がのうた)」(長寿を祝う歌)にある「わが君は 千代にましませ さざれ石の いわおとなりて 苔のむすまでに」が変化し、平安時代末期から鎌倉時代初期には、「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」になったと言われています。「君」は、目上や年長者を意味することが多く、めでたい席や行事で、彼(彼女)の長寿を祝い、願うための歌として歌いつがれてきたのです。もとは、「あなたの寿命が 千年も万年も 小石が大岩になって 苔がはえるほど長く続きますように」という意味だったのです。
お話6~曲がつけられたのはいつ?意味は変わったの?
明治になって、薩摩藩の砲兵隊長大山巌が「君」を天皇に限定し、「天皇陛下を祝する歌」として「君が代」を海軍の儀礼曲とすることを提案。イギリス人の軍楽隊長フェントンが曲をつけ、1870年に初めて演奏されました。しかし、歌詞と曲の調子があっていないと不評であったため、1880年、宮内省雅楽課林広守が作曲し直し(奥好義と林広季という説もある)、ドイツ人音楽教師エッケルトが編曲してできあがったものです。
お話7~学校ではいつ歌われたの?どう教えられたの?~
1890年、天皇が教育の目的を示した教育勅語(ちょくご)が出されました。「国民は天皇の臣民として、天皇の治める国が栄えるようにしなければならず、学校で勉強するのもそのためである」という内容で、「国の一大事(戦争のとき)には、国のため、天皇のために身も心も捧げなければならない」と教えるものでした。学校で行われる儀式も、全国で統一したものが決められました。入学式・卒業式の他に、天長節・紀元節などの祝日に「君が代」斉唱・御真影(ごしんえい:天皇・皇后の写真)に最敬礼・教育勅語奉読(ほうどく)を中心とした厳粛な式が行われました。国定教科書の中では、「君が代」は「天皇陛下のお治めになる世の中がずっと続きますように」という意味だとされていました。
お話8~今、「君が代」はどんな意味だとされているの?~
1999年8月、国旗国歌法が制定されたとき、政府は、現在の日本国憲法下での「君が代」の解釈を次のように示しています。「日本国憲法下にあっては、国歌君が代の「君」は、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており、君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当」
● 入学式・卒業式の国旗・国歌
文部科学省の定めている学習指導要領には「入学式や卒業式などにおいては、その意義をふまえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定されています。それは、「国際的な交流が進む中で、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てることが大切」「国旗・国歌に対する正しい認識を持ち、それらを尊重する態度を育てることが、国際社会において尊敬され、信頼される日本人となるために必要」「卒業式や入学式は、国家への所属感を深めるためにいい機会」とする認識から定められているものです。大阪市教育委員会は、「日の丸」「君が代」の歴史をふまえつつ、「日本国憲法」の下で、平和と人権の確立をめざすその「シンボル」としての国旗・国歌の意義をとらえてほしいとしています。
● 大阪府・大阪市国旗国歌条例
2011年6月に大阪府議会で「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」が制定され、2012年2月に大阪市議会で、同様の条例が制定されました。「府民(市民)、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資すること」などを目的として、「国歌の斉唱にあたっては、教職員は起立により斉唱を行うものとする」とされました。
● 一人ひとりが自分の考えを深めよう
以上、国旗・国歌、「日の丸」「君が代」について、みなさんに伝えておくべき事実を載せておきました。それをもとに国旗・国歌、「日の丸」「君が代」についてどう考えるかは、みなさん一人ひとりの問題です。自分の考えを深めていってください。また、友達の意見にも耳を傾け、それぞれの意見・立場を尊重し合う関係を築いてほしいと願っています。
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長くなりましたので、▲ 都立高校ビラまきの続報は一校だけにします。
(3月4日(金))
<六郷工科高校>
大田市民の会のメンバーと4人で配布
8時から9時50分まで
校長と副校長、生徒指導担当者が出てきて敷地に入るなと通告。
それだけを言い残して、再びは現れず。
ビラ用の箱も用意せず、淡々としたもの。
ただし、生徒の受け取りはあまりよくない。
とくに自転車利用者が多くて手渡すのにひと苦労。
保護者の受け取りは良好。
来賓と思わしき人物(中年男性)が出できて迷惑だから撒くな、戦争になんかなりはしない、でたらめ書くな、とひとしきり。
適当にやり過ごしていると、そのうち引っ込む。
約300枚は撒けた。
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この高校は緩やかな対応だったようです。
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