《2012「10・20集会」資料から》
◎ 叫ぶ石として
今春、大阪の府立学校の卒業式で大阪府教委が把握した不起立者は、全部で29人でした。29名のうち2名は府立支援学校です。
支援学校で、教師も保護者もほとんど立つ中、立つ生徒たちの前で、教員が一人・二人、不起立する意味は何か。その行為によって信じる未来を持っているということです。私は信じて、不服申し出して、闘いを続けます。
処分取り消しを求めて私は5月末に人事委員会に提訴しました。
その時、記者会見のニュース映像をニコニコ動画に流されましたが、そこへの書き込みには「反日活動家」とか「朝鮮に帰れ」とかに混じって「こんな教師は養護学校に転勤させろ」などと書かれていました。ひどい人間がこの社会にはいるものです。
特別支援学校では教育をまじめに考えている教員がたくさんいます。一般校とは専門性が違います。子どもへのアプローチの仕方が違います。
しかし一見違う一般校と支援学校を比較すると教育の本質が見えてくると思います。教育として目指すところは一緒のはずですから。「いじめ」の事など教育のゆがみが見えやすくなると思います。
私は過去に府立高校で22年働いて来て、生徒たちに言ってきたことの責任があります。だから私はここで降りるわけには行きません。闘いの中で死んでいった教員を知っていることも理由です。
・不適格教員さがしの中で学力不足教員として分限免職(2003年6月)をされた石渡さん。彼はうつ状態の中で人事委員会に処分取り消しを訴える。2006年1月6日0時30分死亡(47歳)。
・学校を愛し、一生懸命、府教委と連絡取りあい、周年行事で「日の丸・君が代」を使い、体調を崩し亡くなった管理職。
・府教委とのやりとりに、自分の理想を教育に求められないと、退職した校長。
・自分のしようとする教育と違う指示を出す教育委員会との闘いで体調を崩し早期退職した校長。
・また、管理職からの「降格」を希望し「現場」に戻った人もいます。
また、競争、評価、出世と追い立てられ、何のために教育の現場で仕事しているのか見失った人々は加害者であり、被害者であるかも知れません。
前述の「学力力不足教員」の免職決定(2003年6月)のハンコを押した和佐教育監(事務方のトップである教育長に対し、教職のトップ)は、2006年年2月、収賄容疑で逮捕された。相手の上宮学園の理事長は贈賄容疑で逮捕。
この事件で、和佐教育監に直接圧力をかけていたのは府から天下りして上宮学園の理事・副学園長になっていた元大阪府教育監の林氏。彼は逮捕されてないし名前も公表されていない。
林氏が教育監だった頃は、学校の式典で、「日の丸・君が代」の強制が強められた時期。
彼は、1999年12月23日(天皇誕生日)、「日本会議」(右翼)主催の青少年弁論大会(場所はニューコクサイ)に教育監として出席している。府教委から他に島善信・義務教育課主席指導主事、津田仁・高校教育課主任指導主事も出席している。
弁論大会の最優秀賞は高校生(17歳)で「戦後歴史教育の欠陥と私たちの使命」。優秀賞の題名は「私にできる国の守り」(22歳)、「日本の誇りと青年の使命」(25歳)など(日本会議HP http://osaka.nipponkaigi.com/)。
こういう問題の責任を取ろうとしない府教委に人事考課制度「評価・育成システム」、給与査定をさせてはならないと思う。
■ 府教委の人権教育に対する感覚
2006年1月、「大阪府立学校人権教育研究会の集会」があり、校長・教頭らが集まった。記念講演をした福田誠治教授(都留文化大学〉は、「国際学力検査PISAでトップのフィンランドでは、教員評価はしないし、専門家として信頼されている。政党によって教育が変わらないような教育行政がされている。」と話した。
私は「大阪府の評価育成システムは有害だと思いませんか」「『愛国心を教えろ』ということについて教職員は組織内でどう研究し行動すべきと考えますか」という質問を福田教授の講演に拍手する管理職に聞きたかった。
大阪で進行していることの行方を想像し行動できない管理職たちを残念に思った。
その数年後、この研究集会での講演は元教育監の成山氏(その時はどこかの大学の教授)。彼の講演の後、私の友人(管理職でなく人権教育担当教諭)が質問した。「君が代」強制は今大阪の学校で起きているもっとも重大な人権侵害ではないか、と。
成山氏は、決められたことだからルールに従うのは当然、とか、人権教育研究の場とは思えない返答をしている(あやふやな記憶で文言は正確ではない))。
若い頃、人権尊重の教育に関わり、差別される生徒のために奮闘していたという高校教師はいつ変質したのか。それとも彼の奮闘は出世のため、自分のためだったのか。
和佐教育監の時、成山氏も府教委幹部として、私学の高額な接待や贈り物を受けている(処分は1か月の減給10分の一)。彼は、2003年1月から3月、当時私の勤めていた府立東住吉高校の学校長(ピンチヒッター)となり、初めてその学校の卒業式で檀上に大きな日の丸を掲げた。
4月教育委員会に戻り、教育企画室室長などをし、教育監まで登りつめる。現在彼は、人権博物館「リバティ大阪」の理事長をしている。
《被処分者の人数と所属》
* 府立高校卒業式(20校27名、内1名が再任用継続の取り消し・解雇) *府立支援学校卒業式(1校2名)
* 府内市町村立学校卒業式(3校3名、内1名が再任用取り消し・解雇)
* 大阪市立学校卒業式(3校3名、内1名は「文書訓告」)
* 府立高校入学式(2校2名)
《被処分者の処分撤回の闘い》
* 府立高校3名、府立支援学校2名、府内市立学校2名、大阪市立学校1名の被処分者が人事委員会提訴。
* 7月12日、上記の内、7名と支援弁護士、ホットライン大阪による弁護団を結成。16名の弁護士が分担して一人一人の担当に当たると同時に、情報を共有し共同する。
* 被処分者、人事委提訴者のそれぞれの取り組みと闘いをしている。
* 7名による「グループZAZA」の活動もしている。9月16日「おおさか社会フォーラム」でワークショップ「『君が代』不起立~卒業式を考える」をする。
今後、処分後の現場外しの「研修」、3回目での「免職」にどう対決していくか。
また、2013年の3・4月、不起立者の処分が出るでしょう。処分取り消しを訴える同志も増えるでしょう。
評価・育成システムとの闘い、処分・免職攻撃との闘い、学校協議会や授業評価アンケートの教育活動を締め付ける制度との闘い。
大阪だけでなく全国の動きを見てこれからどう共闘していくか。団結しての患考と行動が必要と思います。(2012年10月)
※「叫ぶ石」
イエスのエルサレム入城の場面。
イエスを喜んで、大きな声を出す弟子や群衆を見て、権力者がイエスに、「先生、お弟子たちを叱って黙らせて下さい」と言います。
それに対しイエスは、こう答えます。
「あなた方に言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」
(ルカによる福音書19.40)
◎ 叫ぶ石として
奥野泰孝
今春、大阪の府立学校の卒業式で大阪府教委が把握した不起立者は、全部で29人でした。29名のうち2名は府立支援学校です。
支援学校で、教師も保護者もほとんど立つ中、立つ生徒たちの前で、教員が一人・二人、不起立する意味は何か。その行為によって信じる未来を持っているということです。私は信じて、不服申し出して、闘いを続けます。
処分取り消しを求めて私は5月末に人事委員会に提訴しました。
その時、記者会見のニュース映像をニコニコ動画に流されましたが、そこへの書き込みには「反日活動家」とか「朝鮮に帰れ」とかに混じって「こんな教師は養護学校に転勤させろ」などと書かれていました。ひどい人間がこの社会にはいるものです。
特別支援学校では教育をまじめに考えている教員がたくさんいます。一般校とは専門性が違います。子どもへのアプローチの仕方が違います。
しかし一見違う一般校と支援学校を比較すると教育の本質が見えてくると思います。教育として目指すところは一緒のはずですから。「いじめ」の事など教育のゆがみが見えやすくなると思います。
私は過去に府立高校で22年働いて来て、生徒たちに言ってきたことの責任があります。だから私はここで降りるわけには行きません。闘いの中で死んでいった教員を知っていることも理由です。
・不適格教員さがしの中で学力不足教員として分限免職(2003年6月)をされた石渡さん。彼はうつ状態の中で人事委員会に処分取り消しを訴える。2006年1月6日0時30分死亡(47歳)。
・学校を愛し、一生懸命、府教委と連絡取りあい、周年行事で「日の丸・君が代」を使い、体調を崩し亡くなった管理職。
・府教委とのやりとりに、自分の理想を教育に求められないと、退職した校長。
・自分のしようとする教育と違う指示を出す教育委員会との闘いで体調を崩し早期退職した校長。
・また、管理職からの「降格」を希望し「現場」に戻った人もいます。
また、競争、評価、出世と追い立てられ、何のために教育の現場で仕事しているのか見失った人々は加害者であり、被害者であるかも知れません。
前述の「学力力不足教員」の免職決定(2003年6月)のハンコを押した和佐教育監(事務方のトップである教育長に対し、教職のトップ)は、2006年年2月、収賄容疑で逮捕された。相手の上宮学園の理事長は贈賄容疑で逮捕。
この事件で、和佐教育監に直接圧力をかけていたのは府から天下りして上宮学園の理事・副学園長になっていた元大阪府教育監の林氏。彼は逮捕されてないし名前も公表されていない。
林氏が教育監だった頃は、学校の式典で、「日の丸・君が代」の強制が強められた時期。
彼は、1999年12月23日(天皇誕生日)、「日本会議」(右翼)主催の青少年弁論大会(場所はニューコクサイ)に教育監として出席している。府教委から他に島善信・義務教育課主席指導主事、津田仁・高校教育課主任指導主事も出席している。
弁論大会の最優秀賞は高校生(17歳)で「戦後歴史教育の欠陥と私たちの使命」。優秀賞の題名は「私にできる国の守り」(22歳)、「日本の誇りと青年の使命」(25歳)など(日本会議HP http://osaka.nipponkaigi.com/)。
こういう問題の責任を取ろうとしない府教委に人事考課制度「評価・育成システム」、給与査定をさせてはならないと思う。
■ 府教委の人権教育に対する感覚
2006年1月、「大阪府立学校人権教育研究会の集会」があり、校長・教頭らが集まった。記念講演をした福田誠治教授(都留文化大学〉は、「国際学力検査PISAでトップのフィンランドでは、教員評価はしないし、専門家として信頼されている。政党によって教育が変わらないような教育行政がされている。」と話した。
私は「大阪府の評価育成システムは有害だと思いませんか」「『愛国心を教えろ』ということについて教職員は組織内でどう研究し行動すべきと考えますか」という質問を福田教授の講演に拍手する管理職に聞きたかった。
大阪で進行していることの行方を想像し行動できない管理職たちを残念に思った。
その数年後、この研究集会での講演は元教育監の成山氏(その時はどこかの大学の教授)。彼の講演の後、私の友人(管理職でなく人権教育担当教諭)が質問した。「君が代」強制は今大阪の学校で起きているもっとも重大な人権侵害ではないか、と。
成山氏は、決められたことだからルールに従うのは当然、とか、人権教育研究の場とは思えない返答をしている(あやふやな記憶で文言は正確ではない))。
若い頃、人権尊重の教育に関わり、差別される生徒のために奮闘していたという高校教師はいつ変質したのか。それとも彼の奮闘は出世のため、自分のためだったのか。
和佐教育監の時、成山氏も府教委幹部として、私学の高額な接待や贈り物を受けている(処分は1か月の減給10分の一)。彼は、2003年1月から3月、当時私の勤めていた府立東住吉高校の学校長(ピンチヒッター)となり、初めてその学校の卒業式で檀上に大きな日の丸を掲げた。
4月教育委員会に戻り、教育企画室室長などをし、教育監まで登りつめる。現在彼は、人権博物館「リバティ大阪」の理事長をしている。
《被処分者の人数と所属》
* 府立高校卒業式(20校27名、内1名が再任用継続の取り消し・解雇) *府立支援学校卒業式(1校2名)
* 府内市町村立学校卒業式(3校3名、内1名が再任用取り消し・解雇)
* 大阪市立学校卒業式(3校3名、内1名は「文書訓告」)
* 府立高校入学式(2校2名)
《被処分者の処分撤回の闘い》
* 府立高校3名、府立支援学校2名、府内市立学校2名、大阪市立学校1名の被処分者が人事委員会提訴。
* 7月12日、上記の内、7名と支援弁護士、ホットライン大阪による弁護団を結成。16名の弁護士が分担して一人一人の担当に当たると同時に、情報を共有し共同する。
* 被処分者、人事委提訴者のそれぞれの取り組みと闘いをしている。
* 7名による「グループZAZA」の活動もしている。9月16日「おおさか社会フォーラム」でワークショップ「『君が代』不起立~卒業式を考える」をする。
今後、処分後の現場外しの「研修」、3回目での「免職」にどう対決していくか。
また、2013年の3・4月、不起立者の処分が出るでしょう。処分取り消しを訴える同志も増えるでしょう。
評価・育成システムとの闘い、処分・免職攻撃との闘い、学校協議会や授業評価アンケートの教育活動を締め付ける制度との闘い。
大阪だけでなく全国の動きを見てこれからどう共闘していくか。団結しての患考と行動が必要と思います。(2012年10月)
※「叫ぶ石」
イエスのエルサレム入城の場面。
イエスを喜んで、大きな声を出す弟子や群衆を見て、権力者がイエスに、「先生、お弟子たちを叱って黙らせて下さい」と言います。
それに対しイエスは、こう答えます。
「あなた方に言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」
(ルカによる福音書19.40)
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