東京高等裁判所第9民事部B1係御中
第1 なぜ重たくて厳しい「停職6か月処分」の損害賠償請求が認容されないのですか
本件の地裁判決(2018.5.24春名茂裁判長)は散々な内容でした。証人尋問の日に極めて異例の突然の結審、それは冷酷そのものでした。どうしても弁論を継続したく渾身の思いを込めて「弁論再開申立書」を提出しましたが、けんもほろろの門前払いでした。
本件地裁判決は、控訴人河原井の損害賠償を、「各処分時、停職処分を選択することの相当性を基礎づける具体的事情が必要であることを判示した2012年最高裁判決は出ていない。また、下級審の裁判例も分かれていた。従って処分量定を決めるにあたって、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさずに停職6か月処分を行ったとまでは認めることができない」という理由で棄却しています。
納得のいかない理由付けです。これでは、単なる状況判断をしているだけではないですか。
「停職6か月処分」の内情を証拠とひとつひとつ照らし合わせ、その過酷さを丁寧に審理して結論を出すべきです。
もっと、私たちの主張に真摯に向き合ってほしいと思います。
私は、すでに「停職1か月処分」と「停職3か月処分」に対する損害賠償請求が認容されています。
2012年東京高裁差戻し控訴審判決(2012.11.7南敏文裁判長)は、控訴人河原井と保護者の陳述書を証拠として「控訴人は児童生徒との触れ合いを特に重視していたと認められることを考慮すると財産的損害の回復のみによっては控訴人の精神的損害が慰謝されるものでないことは明らかである」と判示し、①国家賠償法上の違法性を確定し、②東京都教育委員会が処分を意図的に行ったとして「過失」を認容しました。
さらに同判決が、「教諭と児童生徒との人格的触れ合いの教育活動に欠かすことができない」と「教育とは何か」、「教育の営みとは何か」に触れたことは画期的であり、今も様々な場所で語り継がれています。そして、この2012年東京高裁差戻し控訴審判決は、最高裁第2小法廷が東京都の「上告受理申し立て」を「不受理」とすることによって確定しました。
この時の感動は全国規模で拡がり多くの人と喜びを分かち合いました。届いた喜びのファックスの中に「司法は生きていた」というものもありました。
「停職3か月処分」おける地裁判決では、原判決とほぼ同様の理由である「本件の処分当時2012年1月の最高裁判決は出されておらず処分の量定に際して東京都教育委員会が注意義務を尽くさずに停職処分を選択したとまでは認めることはできない」として損害賠償請求を認容しませんでした。
しかし、控訴審判決(2015.5.28須藤典明裁判長)で再び感動的な人権判決が出され、損害賠償が認容されました。
同判決は、「…停職期間中は教室等で授業することができず児童生徒との継続的な信頼関係の維持にも悪影響が生じ精神的な苦痛を受けるだけでなく職揚復帰後も信頼関係の再構築等で精神的な苦痛を受けたりするものと認められ、そのような苦痛は本件各処分の取り消しにより回復される財産的な損害の補填をもっては十分ではない」と判じ損害賠償を認容したのです。
同判決は、最高裁第3小法廷が東京都の「上告」を棄却「上告受理申し立て」を「不受理」とすることによって確定しています。(2016.5.31)
このように、「停職1か月処分」と「停職3か月処分」に対する損害貝剖賞請求が認容されているにもかかわらず、これらよりも限りなく重く厳しい「停職6か月処分」の損害賠償請求がなぜ認溶されないのですか。
認容できないというのであれば、その根拠を明確に示してください。
第2 奪われた時間は取り戻せない限りなく重く厳しい「停職6か月処分」
長い長い「停職6か月処分」の後、私は、東京都立八王子東養護学校(現東京都立八王子東特別支援学校)の小学部3年生の担任として復帰しました。
奪われた6か月の時間は決して取り戻すことができず無念でした。青年たちや子どもたちのことを考え想えぱ想うほど教室から1年の半分である「6か月」も排除されるのです。「教員としての命」、「人としての命」を奪われたのも同然です。教員として許すことのできない処分です。
また、「不起立」を理由に実践を積み重ねてきた高等部への復帰はできず、高等部2年生の青年たちと引き裂かれての悲しい別れの復帰でした。
残された6か月、小学部3年生の子どもたちと「差別しない一差別されない」、「強制しない一強制されない」、「排除しない一排除されない」という関係を大切にしながら日々過ごしました。
しかし、奪われた「6か月」は何をもっても取り戻すことはできません。
第3 さいごに心から訴えます
本件はまさに「論争的主題」として様々な思いや意見が表明されている「日の丸」、「君が代」の問題です。
「学校とは何か」「教育とは何か」という根源的な問いが包括されています。
私は、東京都教育委員会に「処分ではなく対話を」と訴えましたが、届きませんでした。
「教諭と児童生徒との人格的触れ合い」なくしては「学校」や「教育」を育むことはできません。それを阻むものが「2003年10・23通達」であり、これに基づく「職務命令」です。
今、「学校」が、「教育」が危機的な状況であることを裁判所は理解するべきです。
齋木裁判長
「2003犀10・23通達」及びこれに基づく「職務命令」の違憲違法の憲法判断を、そして、戒告を含むすべての処分の取り消しを速やかに行なうことをここに切望いたします。
以上
◎ 陳 述 書
2018年10月3日
控訴人 河原井純子
控訴人 河原井純子
第1 なぜ重たくて厳しい「停職6か月処分」の損害賠償請求が認容されないのですか
本件の地裁判決(2018.5.24春名茂裁判長)は散々な内容でした。証人尋問の日に極めて異例の突然の結審、それは冷酷そのものでした。どうしても弁論を継続したく渾身の思いを込めて「弁論再開申立書」を提出しましたが、けんもほろろの門前払いでした。
本件地裁判決は、控訴人河原井の損害賠償を、「各処分時、停職処分を選択することの相当性を基礎づける具体的事情が必要であることを判示した2012年最高裁判決は出ていない。また、下級審の裁判例も分かれていた。従って処分量定を決めるにあたって、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさずに停職6か月処分を行ったとまでは認めることができない」という理由で棄却しています。
納得のいかない理由付けです。これでは、単なる状況判断をしているだけではないですか。
「停職6か月処分」の内情を証拠とひとつひとつ照らし合わせ、その過酷さを丁寧に審理して結論を出すべきです。
もっと、私たちの主張に真摯に向き合ってほしいと思います。
私は、すでに「停職1か月処分」と「停職3か月処分」に対する損害賠償請求が認容されています。
2012年東京高裁差戻し控訴審判決(2012.11.7南敏文裁判長)は、控訴人河原井と保護者の陳述書を証拠として「控訴人は児童生徒との触れ合いを特に重視していたと認められることを考慮すると財産的損害の回復のみによっては控訴人の精神的損害が慰謝されるものでないことは明らかである」と判示し、①国家賠償法上の違法性を確定し、②東京都教育委員会が処分を意図的に行ったとして「過失」を認容しました。
さらに同判決が、「教諭と児童生徒との人格的触れ合いの教育活動に欠かすことができない」と「教育とは何か」、「教育の営みとは何か」に触れたことは画期的であり、今も様々な場所で語り継がれています。そして、この2012年東京高裁差戻し控訴審判決は、最高裁第2小法廷が東京都の「上告受理申し立て」を「不受理」とすることによって確定しました。
この時の感動は全国規模で拡がり多くの人と喜びを分かち合いました。届いた喜びのファックスの中に「司法は生きていた」というものもありました。
「停職3か月処分」おける地裁判決では、原判決とほぼ同様の理由である「本件の処分当時2012年1月の最高裁判決は出されておらず処分の量定に際して東京都教育委員会が注意義務を尽くさずに停職処分を選択したとまでは認めることはできない」として損害賠償請求を認容しませんでした。
しかし、控訴審判決(2015.5.28須藤典明裁判長)で再び感動的な人権判決が出され、損害賠償が認容されました。
同判決は、「…停職期間中は教室等で授業することができず児童生徒との継続的な信頼関係の維持にも悪影響が生じ精神的な苦痛を受けるだけでなく職揚復帰後も信頼関係の再構築等で精神的な苦痛を受けたりするものと認められ、そのような苦痛は本件各処分の取り消しにより回復される財産的な損害の補填をもっては十分ではない」と判じ損害賠償を認容したのです。
同判決は、最高裁第3小法廷が東京都の「上告」を棄却「上告受理申し立て」を「不受理」とすることによって確定しています。(2016.5.31)
このように、「停職1か月処分」と「停職3か月処分」に対する損害貝剖賞請求が認容されているにもかかわらず、これらよりも限りなく重く厳しい「停職6か月処分」の損害賠償請求がなぜ認溶されないのですか。
認容できないというのであれば、その根拠を明確に示してください。
第2 奪われた時間は取り戻せない限りなく重く厳しい「停職6か月処分」
長い長い「停職6か月処分」の後、私は、東京都立八王子東養護学校(現東京都立八王子東特別支援学校)の小学部3年生の担任として復帰しました。
奪われた6か月の時間は決して取り戻すことができず無念でした。青年たちや子どもたちのことを考え想えぱ想うほど教室から1年の半分である「6か月」も排除されるのです。「教員としての命」、「人としての命」を奪われたのも同然です。教員として許すことのできない処分です。
また、「不起立」を理由に実践を積み重ねてきた高等部への復帰はできず、高等部2年生の青年たちと引き裂かれての悲しい別れの復帰でした。
残された6か月、小学部3年生の子どもたちと「差別しない一差別されない」、「強制しない一強制されない」、「排除しない一排除されない」という関係を大切にしながら日々過ごしました。
しかし、奪われた「6か月」は何をもっても取り戻すことはできません。
第3 さいごに心から訴えます
本件はまさに「論争的主題」として様々な思いや意見が表明されている「日の丸」、「君が代」の問題です。
「学校とは何か」「教育とは何か」という根源的な問いが包括されています。
私は、東京都教育委員会に「処分ではなく対話を」と訴えましたが、届きませんでした。
「教諭と児童生徒との人格的触れ合い」なくしては「学校」や「教育」を育むことはできません。それを阻むものが「2003年10・23通達」であり、これに基づく「職務命令」です。
今、「学校」が、「教育」が危機的な状況であることを裁判所は理解するべきです。
齋木裁判長
「2003犀10・23通達」及びこれに基づく「職務命令」の違憲違法の憲法判断を、そして、戒告を含むすべての処分の取り消しを速やかに行なうことをここに切望いたします。
以上
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