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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

河原井・根津裁判 2009年事件控訴審第1回口頭弁論 原告意見陳述(1)

2018年10月04日 | 日の丸・君が代関連ニュース
◎ 陳 述 書
2018年10月3日
控訴人 根津公子

 原判決は事実を見ない、はじめに処分適法との結論ありきの判決でした。この点について指摘します。
 まず1点目、吉原副参事は処分量定を決めるのに私の日常の勤務状況や校長の評価、司法の動向や他県との違い等については何の検討もせずに停職6月処分を行ったと証言しました。
 しかし原判決は、「吉原証人は全く考慮していないという趣旨を述べるものではないから、都教委が考慮事項を考慮していないと認めることはできない」と都教委を救済しました。原判決は、都教委が何を考慮したというのでしょうか。
 2点目、私は本人尋問で、都教委が池田校長に「根津は(10月に復帰して)11月にはいなくなる(免職)」と言ったことや、私の業績評価を低く書き換えさせられたことなど、都教委の支配介入がいかにひどかったかを、校長の音声を添えた証拠を提出して証言しました。
 音声が何よりの証拠であるのに、原判決は「人事評価の書き換え等に関する違法不当な指示命令をしていたことを認めるに足りる証拠はない」と切り捨てました。
 「証拠はない」と判断するならば、裁判所は「いなくなる」発言をした菊池管理主事と、書き換えさせた都教委西部学校経営支援センター支所の杉田支所長を調べ、「証拠はない」ことを立証すべきでした。
 しかし、その努力をせずに、原判決を書いたことに強い怒りを覚えます。

 3点目、原判決は、2008年事件(卒業式での不起立により停職6月の処分を受けた同種事案。東京地方裁判所平成20年(行ウ)699、717号。現在控訴中)の地裁判決が「具体的事情」としたトレーナー問題を再度持ち出し、「あえて学校の規律や秩序を乱すような行為を選択して実行したものも含まれており、規律や秩序を害した程度は相応に大きい」と言い、続けて、「①本件不起立自体は…着席したという消極的な行為…であること、②平成19年3月30日付停職6月の処分が取り消されていること等を考慮しても、③過去の処分に係る非違行為の内容及び頻度、重要な学校行事等における教員の職務命令違反であるという…諸事情を綜合考慮すれば、…具体的事情があったものと認めることができる。」(①~③は筆者)と言います。
 ①②を「考慮した」と言いますが、②について「同判決は本件とは事案を異にする高裁判決であって」とだけ言い、考慮した形跡がないまま、③の結論に行きます。
 本件処分はトレーナー着用禁止の職務命令もなく、処分を加重してよい「具体的事情」はありませんでした。だから、2012年最高裁判決及び私の2007年停職6月処分を取り消した上記②の2015年須藤高裁判決・2016年最高裁決定に従えば、処分は取り消されるはずでした。
 須藤高裁判決は、「過去の処分歴」について「これらの根津の行為は、既に停職3月とする前回停職処分において考慮されていることや、本件不起立が卒業式での着席(不起立)行為であって、…処分を更に加重しなければならない個別具体的事情は見当たらない」として、「過去の処分歴」を「具体的事情」として使い回すことをしませんでした。「過去の処分歴」の使い回しを禁じたということです。
 これが最新の決定なのですから、原判決はこれを無視してはならないはずでした。しかし、原判決はこれを無視し、君が代不起立の職務命令違反を理由とした私に対する最初の懲戒処分から数えて「過去の処分歴」を5回、トレーナー着用を2回使い回して「具体的事情」としました。
 4点目、「過去の処分歴」を「具体的事情」にすることは二重処分だとこちらが主張してきたことについて原判決は、「前回の平成20年3月の停職6月の処分を更に加重するものではなく、…同じ態様の非違行為を繰り返している場合、前回の処分よりも軽い処分とせず」と、加重処分ではないと開き直ります
 こちらは、複数回体罰をした教員の体罰事案では、前回処分よりも次の処分が軽い事例を列挙して主張しましたが、原判決はこれについても全く無視しました。須藤高裁判決は、これについてもこちらの主張を認めてくれています。
 原判決は、「君が代」不起立だけでなく、校長の発する職務命令に従わない極悪非道な人物のように私を描き、停職6月処分適法を導き出します。
 もしも私がひどい人間であったなら、あきる野学園の池田校長が私の仕事を評価してくれることもなかったでしょう。また、2008年処分でのトレーナーの件で、生徒たちが陳述書を出してはくれなかったでしょう。
 私は理のない職務命令に従わなかっただけです。「自らの思想や信条を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られ」ても、道理ある行動を選択したのです。
 いま閣僚や官僚が行ってきた不正や改ざんが報じられていますが、これらのことは、上司の誤った指示命令とそれに何も考えずに従った部下によって起こされたことです。
 原判決の言葉を借りれば「あえて…秩序を乱す」ことをしなかったから、私の言葉で言えば理のない指示命令に無批判的に従ったから起きたのです。
 組織の中に「あえて…秩序を乱す」人が一定数存在していたならば、議論が起き、不正や改ざんは起きなかったと思います。
 私が「君が代」起立の職務命令に従わなかった理由の第一は、「日の丸・君が代」を尊重する行為を通して、上意下達を肯定する価値観を子どもたちに刷り込んではならないと考えたからでした。
 最後に、本件職務命令が教育に反するものであることについて述べます。
 原判決は、本件職務命令について次のように判示しています。
 「教員らが、…国旗及び国歌として定められたものを尊重する態度を示すことにより、生徒らにも同様の態度が涵養される」と。
 涵養とは、「水が自然にしみこむように、少しずつ養い育てること」(大辞林)です。
 原判決のこの言葉を見て、私は恐ろしく思いました。この言葉は、戦前の教育で使っていた言葉、指導方法だったからです。
 1891年の小学校教則大綱は、「修身ハ教育二関スル勅語ノ旨趣二基キ児童ノ良心ヲ啓培シテ其徳性ヲ涵養シ人道実践ノ方法ヲ授クルヲ以テ要旨トス」と定め、教育勅語が目的とした「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に沿って、授けるべき徳目のうち特に「尊王愛国ノ志気」の涵養を求めます。
 今年2月、文科省は幼稚園教育要領に、厚生労働省は保育所保育指針に3歳児から「国旗や国歌に親しむ」ことを明記し、今年度4月から実施としました。
 おむつがやっと取れたという3歳児から「日の丸・君が代」に親しませることは、まさに涵養であり、国家の価値観を刷り込むことです。
 涵養=刷り込みであるから、都教委は教員が「日の丸・君が代」の意味や歴史を教えることを実質禁止しているのです。
 さらに、一昨年度から都立高校に対し、「全生徒が立っまで式を始めない。声を出して起立を促す」式の台本に書くよう指示し、書いていない場合は書き直させています。
 このことは、職務命令は教職員だけでなく、高校生にも宛てたと見てしかるべきでしょう。
 教職員は公務員だから間接的制約ではあっても違憲違法とはならないと一連の判決は言います。であるならば、教職員ではない生徒たちに対しては、思想・良心の自由の制約であり違憲違法となります。
 戦前の教育が軍国主義的・国家主義的であり、子どもたちを戦争に追いやったことを反省して1947年教育基本法がつくられたことや、旭川学テ最高裁判決が、「戦前のわが国の教育が,国家による強い支配の下で形式的,画一的に流れ,時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があった」と判示したことを裁判官の皆さまは、しっかり心に刻んでいただきたいと思います。
 以上、指摘したことに対し、控訴審ではしっかり審査してくださいますようお願いして、陳述とします。
以上


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