《日刊ゲンダイ:注目の人 直撃インタビュー》
★ 元日銀理事がアベノミクスの異次元緩和を冷静に統括
~「通貨の信認への危機感です」
山本謙三(元日銀理事)
アベノミクスの柱だった異次元緩和。その後遺症は凄まじいが、驚くべきことに懺悔もなければ、総括もない。庶民は円安、物価高に苦しみながらモヤモヤしているところに、スカッとする本が出た。「異次元緩和の罪と罰」(講談社現代新書)。史上最大の経済実験を冷静に総括、分析し、その罪と罰を列挙している。しかも筆者は元日銀理事だから説得力は抜群だ。さっそく、直撃して、お話を聞いた。
◇ ◇ ◇
──読んでみて、これほど、冷静、正確に異次元緩和の罪をきちんと整理して書かれた本はないな、と感銘を受けました。しかも、山本さんは元日銀理事でしょう。よく書かれたな、と。
そうですか、ありがとうございます。日銀を辞めて12年になるんですけど、6年前に個人事務所を立ち上げて、毎月、ホームページで自分の意見を書いていまして。それが出版社の方の目にとまった。でも、もっと根っこにあるのは危機感ですかね。
──このままでは円が大変なことになる?
異次元緩和で日銀が保有する日本国債の残高は約590兆円にも上っています。普通国債の発行残高の56%にもなる。結果的に財政ファイナンスに似たものになってしまった。
中央銀行による国債引き受けは財政規律を維持するために世界的に禁じられてきました。過去、多くの国の失敗を経て、人類が学んだ知恵といえるでしょう。
──それなのに、黒田日銀は前例のない規模の国債購入を続けてきた。当初は2年程度の短期決戦のはずが、ずるずると続けた。
日銀が財政ファイナンスを企図したわけではなかったのですが、結果的に財政規律は緩み、日本の債務残高対GDPは257%で世界2位です(2022年実績見込み)。
1位はレバノンの283%で、200%を超えるのはこの2国だけ。
3位は100%台後半でスーダン、ギリシャなどが続く。
──先進国では異次元のレベルですね。山本さんがご指摘された円の実質実効為替レートも衝撃でした。
★ 1ドル=360円時代より円は安い
各国間の貿易ウエートや物価変動率を加味して真の国際競争力を示す指標で、毎月国際決済銀行が発表しています。2024年7月に円は対ドルで37年半ぶりに161円台に突入しましたが、この時の実質実効為替レートは1971年8月のニクソン・ショック時、1ドル=360円を大きく下回るレベルでした。
──実質の為替レートは1ドル=360円時代よりも下なんですか。
異次元緩和直前の2013年3月は1ドル=94円台でした。実質実効為替レートで換算すると、この10年で日本の「国富」の4分の1が失われた計算になります。
──日銀は株も買い支えてきましたね。これも禁じ手だったのではないですか?
株は満期のないリスク資産で、中央銀行が購入することは長く禁じ手とみなされてきました。
日銀は異次元緩和以前の2010年からETF(上場投資信託)を購入していたのですが、異次元緩和で大幅に拡充した。保有ETFの時価は74兆円に達し(2024年3月末)、いまやGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の62兆円を凌駕しています。
──日銀は金融正常化に舵切りしましたが、国債やETFをどうやって減らしていくのでしょうか?
日銀が保有国債を一気に売却すれば、債券価格が急落し、金利が急上昇する恐れがあるので、極めて慎重にやらざるを得ない。持ち続けて償還まで待てば、急落のリスクはないけれど、長期債も保有しているので長い時間を要する。
一方、ETFは満期がないので市場で売却しなければ減らない。こちらも市場への影響を考えれば、少しずつ売るしかなく、途方もない時間がかかります。国債の減額完了に十数年かかるとして、この間に総裁は3人くらい代わるでしょうか?
景気悪化で株式市場が低迷したり、再び、国債の買い入れを余儀なくされることもあり得る。日銀はとてつもない難題を背負ったわけです。
通貨の信認を傷つけることのないよう、早く手を打つ必要がある。こうした危機感が執筆の動機ですね。
──その一方で異次元緩和の成果はほとんどなかったとズバリ、ご著書では書かれている。
黒田総裁は「デフレからの脱却と雇用の増加」を成果として挙げました。でも、黒田総裁の10年間とその前の10年間の実質GDPの成長率を比較すると、ほとんど差がないのです。確かに雇用が400万人増えたのは成果でしたが、実質GDPは異次元緩和前とほぼ同じ伸びだった。雇用が増えたといっても非正規社員の増加が多かったからです。
パートタイマーなどが増え、1人当たりの平均労働時間は減った。だから、雇用の伸びはGDPに直結せず、平均の実質賃金も非正規シフトの結果、あまり伸びなかったわけです。
──この間、日銀内部では「これはおかしい」という議論はなかったのでしょうか?
日銀内部の議論はわかりません。外部からみると、最初に物価目標2%が掲げられて、これがすべてに優先された。日本経済の低迷の原因は物価の下落と金融緩和の不足にありとする議論に基づいて、何が何でも物価目標2%を達成する。それを中央銀行が約束する。そうすれば消費や投資が活発化するという、最初の処方箋が違っていたのだと思います。しかし、中央銀行の約束だから旗を降ろさずに頑張ったようにみえます。
──金利をゼロに抑え込む政策を米国は自ら採用することに反対していたと聞きました。
イールドカーブ・コントロールで長期金利を0%に抑え込むことは、FOMCは採用に反対していました。市場機能や中央銀行の独立性への影響を疑問視したのです。
──それなのに、続けたのは政治の圧力?
異次元緩和の継続は、政治の圧力によるものでなく、日銀みずからの判断でした。
政治圧力に関していえば、いつの時代も、どの国も中央銀行は政治からのプレッシャーがある。1979年から87年までFRBの議長を務めたポール・ボルカー氏は決然と金融引き締めを断行しましたが、政府との苦闘の連続でした。
──日本では政治の圧力に加えて、市場の過剰反応がありますね。結果、石破政権が口先介入したり、植田日銀の金利の引き上げもこわごわに見える。大体、デフレからの脱却と言いながら、政府は物価高対策に補助金を使う。庶民にしてみれば、「今デフレなの?」が実感です。
私は今はインフレだと思います。
一方、日銀は物価2%の安定的、持続的な達成を見極めたいとして慎重な運営を続けています。物価の分析でも、日銀は価格の変動幅が大きい生鮮食品、あるいは生鮮食品とエネルギーを除いた指数を重視しており、肌感覚として物価高に苦しむ庶民感覚と差があるのは事実でしょう。
──こうなると、物価が安定し、金融正常化に至るまで、何十年もかかり、庶民はイライラが募ることになりませんか?
異次元緩和を長く続けたあとだけに、巻き戻すのにも極端なことが起きやすくなっているのは事実です。
★ 物価2%の実現を絶対視しすぎた「異次元緩和」
──ご著書には「異次元緩和の罪と罰」というタイトルがついていますが、日銀自身はあまり反省していないように見えます。
いろいろな考えがあるのは当然ですし、私の議論が絶対に正しいという気もありません。私自身は、人々が安心して通貨を持ち、使えるようにするのが中央銀行の基本的な役割と考えています。災害の時に現金が回るようにする。決済がきちんと行われるようにする。金融システムの健全性を守る。物価の安定も通貨の供給と吸収によって、調整する。それらをバランスよく運営するということです。
異次元緩和では、そのひとつである物価2%の実現を絶対視しすぎたために、財政ファイナンスに似た国債買い入れを続けることになってしまった。
──日銀は出口を描けているのでしょうか?
当然、さまざまな議論はしているとは思います。正常化をどういうスタンスで、どれくらいのスパンで進めていくのかという議論ですね。ただ、まだ国民には見えてこない。これが正解というのもない。リスクを回避しながらやるしかない。とてつもなく難しい作業だと思います。
▽山本謙三(やまもと・けんぞう) 1954年生まれ。東大卒後、76年日本銀行入行。決済機構局長、金融機構局長を経て2008年理事。12年NTTデータ経営研究所取締役会長。現在はオフィス金融経済イニシアティブ代表として、執筆、講演活動をしている。
『日刊ゲンダイ』(2024/11/11)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/363115
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます