★ 昨年の違憲判決に現場はどう対応したか ★
昨年9月の違憲判決、さる2月の音楽教諭への最高裁判決など「日の丸・君が代」をめぐっていまだに教育現場が揺れている。幾つかの都立高校卒業式に潜入し、現場の状況を観察した。
「日の丸・君が代」都立高校卒業式潜入ルボ
「日の丸・君が代の強制は違憲」とする東京地裁判決が昨年9月に出されてから、初めての卒業式シーズンを迎えた。しかし、判決を不服として控訴した東京都教育委員会の姿勢に変化はない。「校長の裁量」を強調しながら、実質的には都教委の定めた通りの式典を強要し、国歌斉唱の際は教職員に起立やピアノ伴奏を命令。そればかりか、生徒の内心の自由にまで踏み込もうとしている。
多くの都立高校では、生徒に「思想・良心の自由」の説明もないまま、当たり前のように「厳粛な式典」が執り行われた。生徒自身が自分たちの卒業式のあり方を考えるといった動きや、「手づくりの卒業式」を求める声もほとんどない。その一方で、懸命に生徒と向き合おうとしている教師たちもいる。卒業式をめぐる都立高校の現状は一。
☆ 「あえて地雷を」とPTA会長挨拶
都内東部地域。ある都立高校定時制の卒業式で、司会の声が体育館に響いた。
「国歌斉唱。ご起立ください」
しかし、保護者席の一部と、卒業生の多くは着席したままだった。司会を担当する教員が声を張り上げて、「卒業生は起立してください」と2回繰り返した。それでも半数以上の卒業生は起立しなかった。CDから「君が代」が流れ出した。「君が代」は歌う人もいたし、歌わない人もいた。
校長が登壇すると、卒業生は全員が礼儀正しく整然と起立して礼をした。校長は挨拶の中で、定時制の生徒たちの学校での生活を具体的に振り返り、「自分を必要としている人がいることを忘れないで。自分の居場所を見つけてください」と締めくくった。あたたかさを感じるメッセージだった。
都教委の型通りの挨拶に続いて、PTA会長に順番が回ってきた。「あえて地雷を踏ませてもらいます」と会長は語り始めた。
「先ほど国歌斉唱の時には着席した人や、歌わない人など、いろいろな人がいました。社会人になると長いものに巻かれて、自分の主張を通すというのはなかなか難しい。しかし(ずさんな品質管理が問題になった)不二家の事件などもそうですが、長いものに巻かれることで、会社が規模縮小や倒産してしまうこともあります。社会の中で自分の思っていることを貫くのは難しいですが、正しいと思う道を進んでください」
在校生の母親でもあるPTA会長が話し終えた瞬間、卒業生や在校生、保護者の席から共感の拍手が鳴り響いた。都教委の挨拶の時にはだれも拍手をしなかったのとは、対照的な光景だった。
☆ 強制はだれもが嫌、だれかが言わないと
実はPTA会長は、別のことを話そうと事前に準備していたという。ところが、直前に挨拶した都教委の指導主事の姿を目にして、思わず内容を差し替えてアドリブで話をしたのだった。
「都教委の人が日の丸に向かってぺこぺこ頭を下げているのを見て、引き金を引かされたという感じですね。卒業式に日の丸や君が代を持ち込まれるのは、はっきり言って不愉快です。卒業生や保護者には関係ない。押し付けられる雰囲気はだれもが嫌でしょう。ものすごく違和感があります」
関係者が神経質になっているのは、もちろん知っていた。都教委の役人や都議会議員も会場に来ている中、校長は板挟みになっているようで、かわいそうに思ったという。それに、高校生になればいろいろ考えて自分の意見を持って当然ではないかと、母親として会長は感じている。「卒業式の日の丸・君が代に対して、みんな気になっているはずなのに何も言わず、何も触れずに済ますのは納得できなかった。だれかが言わなければ。それは私の役目だろうと思ったのです。会社や組織の中ではにらまれたくないだろうけど、間違った方向に進んでいく時には勇気を持って言う、態度に表す姿勢をなくさないでほしい。そんな気持ちを言葉にしました」
答辞は7人が卒業生代表として発言した。全日制高校を中退し、鑑別所に入るといった挫折や、両親の離婚など、さまざまな家庭環境や人生経験が、それぞれ率直な口調で語られていく。
その上で、「アルバイトや学校がこれまで続けられたのは、友達や彼氏(彼女)、家族に支えられたからだ。自分たちを見捨てずに応援してくれた先生のおかげです」と、卒業生は異口同音に仲間や学校に感謝した。
卒業生代表の一人で、日本人の母と中国人の父との間に中国で生まれたという50歳代の女性がマイクの前に立った。女性は、文化大革命の中国では高校に行けなかったこと、仕事をしながら日本語を学んだこと、生き別れた母親と21年前にようやく日本で再会したこと、定時制高校の4年間について、数十分かけてとつとつと語った。教師たちも初めて聞くような話だった。
「母が悪いんじゃない、戦争が悪いんだ、そう思ったのは、この学校に来て社会科や国語で戦争のことを学んだからです。修学旅行で行った沖縄では、つらい目にあって死んでいった人たちのことを初めて知った。授業を一生懸命やってくれて、先生は生徒一人一人のことを親身に考えてくれた。この学校に来て本当によかった」
女性の話を聞きながら涙を拭う姿が、卒業生や在校生、保護者の席のあちこちで見られた。
☆ 違憲判決や教基法、授業で積極的に
この卒業学年を担当する教師たちは、平和教育や憲法、教育基本法の学習に積極的に取り組んできた。都教委が2003年10月に、卒業式や入学式で国旗掲揚と国歌斉唱の徹底を通達したのがきっかけになった。「過去の出来事」として戦争を教えるのではなく、「現代的な課題」として「戦争と平和」を考えさせる必要がある、というのが教師たちの基本的な考え方だ。
2年生の「総合的な学習の時間」では、米国人ベトナム帰還兵の戦争体験記を、計5時間かけて読ませて感想を書かせた。また、沖縄修学旅行に際しては、在日米軍基地の7割が集中する沖縄の現実を知るために、3年生と4年生の「総合の時間」や文化祭、ホームルームを使って事前学習をした。沖縄戦を描いたビデオなどを鑑賞し、沖縄出身の三線演奏者を招いて演奏や基地の実態についての話を聞く機会を設けた。現地ではひめゆり資料館や糸数壕、普天間基地などを訪ね、生徒たちはリゾート地のイメージだけではない沖縄の現実を実感した。
このほか各担任は、憲法で定められている「思想・良心の自由」について、卒業式前のホームルームで説明してきた。さらに、「日の丸・君が代」強制を違憲とした東京地裁判決、都教委の教職員処分、教育基本法の改定などの問題も社会科の授業で取り上げた。
授業では、識者の賛否の見解を紹介した新聞記事など資料を読ませた上で、感想を書かせた。
生徒たちの反応は率直だ。感想文の抜粋をいくつか紹介すると一。
「歌うのは本人の自由なんだから強制はおかしい。(東京地裁判決は)憲法19条がある限り当然の判決だと思う」
「僕が守りたいと思うのは大切な人であって、国じゃあない。僕らを巻き込むなっつうの」
「この判決(東京地裁判決)は間違いじゃないと思う。強制すること自体が間違っている。いい国になれば自然と愛国心は出てくるものだ」
「個人の尊厳がなくなり、愛国心を植え付けられる。日本は過去に愛国心を強制して多くの人が不幸になったのに、なぜまた繰り返そうとしているのか。今の学生、これからの学生に何を求めているのか」
「愛国心なんてものは学校で教わったり、人に強制されて覚えるものではない。戦争時代の日本の考え方だと思う。人の精神面をむりやり強制してほしくない。政治家は国民を自分の道具とかと思っていると思うよ」
感想を読んだ教師たちは、「生徒一人一人の自主性を大切に、授業やホームルームや行事に取り組んできた。生徒たちは現実を直感し洞察する力を持っている。種を蒔けば育つんだなあ。われわれが生徒から教えられたような気がします」と感慨深げに話した。
卒業生代表の一人として、「同じ価値観を持った人間なんていない。ボクはボクらしく生きていこうと思います」と答辞を読んだ女子生徒は、「群れたり他人に依存したりしないで、自立した生き方を大切にしょうということを伝えたかった」と振り返る。
「PTA会長の挨拶は、流されることなく自分の意思を大切に、個人の意思を尊重しましょうということですよね。担任の先生にも、そういうことを教わりました」
国歌斉唱の際に着席した男子生徒は、「すぐ目の前の教師席で座っている先生の姿を見て、泣きそうになった。クビ(定年退職後の嘱託採用拒否)を覚悟しているんだなと思うと辛かった」と話した。
「自分たちはどう思うのか、どうずればいいのか、みんなの意見を聞きながら考えさせる授業を先生はしてくれた。一人一人の答えすべてが正解だって。自分の成長につながっていると思います」
(以下略)
『創』(2007年5月号)から
※池添徳明 60年生まれ。新聞記者を経てフリージャーナリスト。教育・人権・司法改革・メディアなどの分野に関心を持って取材している。著書に『教育の自由はどこへ』(現代人文社)等。
『セカンドインパクト』
http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/
昨年9月の違憲判決、さる2月の音楽教諭への最高裁判決など「日の丸・君が代」をめぐっていまだに教育現場が揺れている。幾つかの都立高校卒業式に潜入し、現場の状況を観察した。
「日の丸・君が代」都立高校卒業式潜入ルボ
池添徳明(ジャーナリスト)
「日の丸・君が代の強制は違憲」とする東京地裁判決が昨年9月に出されてから、初めての卒業式シーズンを迎えた。しかし、判決を不服として控訴した東京都教育委員会の姿勢に変化はない。「校長の裁量」を強調しながら、実質的には都教委の定めた通りの式典を強要し、国歌斉唱の際は教職員に起立やピアノ伴奏を命令。そればかりか、生徒の内心の自由にまで踏み込もうとしている。
多くの都立高校では、生徒に「思想・良心の自由」の説明もないまま、当たり前のように「厳粛な式典」が執り行われた。生徒自身が自分たちの卒業式のあり方を考えるといった動きや、「手づくりの卒業式」を求める声もほとんどない。その一方で、懸命に生徒と向き合おうとしている教師たちもいる。卒業式をめぐる都立高校の現状は一。
☆ 「あえて地雷を」とPTA会長挨拶
都内東部地域。ある都立高校定時制の卒業式で、司会の声が体育館に響いた。
「国歌斉唱。ご起立ください」
しかし、保護者席の一部と、卒業生の多くは着席したままだった。司会を担当する教員が声を張り上げて、「卒業生は起立してください」と2回繰り返した。それでも半数以上の卒業生は起立しなかった。CDから「君が代」が流れ出した。「君が代」は歌う人もいたし、歌わない人もいた。
校長が登壇すると、卒業生は全員が礼儀正しく整然と起立して礼をした。校長は挨拶の中で、定時制の生徒たちの学校での生活を具体的に振り返り、「自分を必要としている人がいることを忘れないで。自分の居場所を見つけてください」と締めくくった。あたたかさを感じるメッセージだった。
都教委の型通りの挨拶に続いて、PTA会長に順番が回ってきた。「あえて地雷を踏ませてもらいます」と会長は語り始めた。
「先ほど国歌斉唱の時には着席した人や、歌わない人など、いろいろな人がいました。社会人になると長いものに巻かれて、自分の主張を通すというのはなかなか難しい。しかし(ずさんな品質管理が問題になった)不二家の事件などもそうですが、長いものに巻かれることで、会社が規模縮小や倒産してしまうこともあります。社会の中で自分の思っていることを貫くのは難しいですが、正しいと思う道を進んでください」
在校生の母親でもあるPTA会長が話し終えた瞬間、卒業生や在校生、保護者の席から共感の拍手が鳴り響いた。都教委の挨拶の時にはだれも拍手をしなかったのとは、対照的な光景だった。
☆ 強制はだれもが嫌、だれかが言わないと
実はPTA会長は、別のことを話そうと事前に準備していたという。ところが、直前に挨拶した都教委の指導主事の姿を目にして、思わず内容を差し替えてアドリブで話をしたのだった。
「都教委の人が日の丸に向かってぺこぺこ頭を下げているのを見て、引き金を引かされたという感じですね。卒業式に日の丸や君が代を持ち込まれるのは、はっきり言って不愉快です。卒業生や保護者には関係ない。押し付けられる雰囲気はだれもが嫌でしょう。ものすごく違和感があります」
関係者が神経質になっているのは、もちろん知っていた。都教委の役人や都議会議員も会場に来ている中、校長は板挟みになっているようで、かわいそうに思ったという。それに、高校生になればいろいろ考えて自分の意見を持って当然ではないかと、母親として会長は感じている。「卒業式の日の丸・君が代に対して、みんな気になっているはずなのに何も言わず、何も触れずに済ますのは納得できなかった。だれかが言わなければ。それは私の役目だろうと思ったのです。会社や組織の中ではにらまれたくないだろうけど、間違った方向に進んでいく時には勇気を持って言う、態度に表す姿勢をなくさないでほしい。そんな気持ちを言葉にしました」
答辞は7人が卒業生代表として発言した。全日制高校を中退し、鑑別所に入るといった挫折や、両親の離婚など、さまざまな家庭環境や人生経験が、それぞれ率直な口調で語られていく。
その上で、「アルバイトや学校がこれまで続けられたのは、友達や彼氏(彼女)、家族に支えられたからだ。自分たちを見捨てずに応援してくれた先生のおかげです」と、卒業生は異口同音に仲間や学校に感謝した。
卒業生代表の一人で、日本人の母と中国人の父との間に中国で生まれたという50歳代の女性がマイクの前に立った。女性は、文化大革命の中国では高校に行けなかったこと、仕事をしながら日本語を学んだこと、生き別れた母親と21年前にようやく日本で再会したこと、定時制高校の4年間について、数十分かけてとつとつと語った。教師たちも初めて聞くような話だった。
「母が悪いんじゃない、戦争が悪いんだ、そう思ったのは、この学校に来て社会科や国語で戦争のことを学んだからです。修学旅行で行った沖縄では、つらい目にあって死んでいった人たちのことを初めて知った。授業を一生懸命やってくれて、先生は生徒一人一人のことを親身に考えてくれた。この学校に来て本当によかった」
女性の話を聞きながら涙を拭う姿が、卒業生や在校生、保護者の席のあちこちで見られた。
☆ 違憲判決や教基法、授業で積極的に
この卒業学年を担当する教師たちは、平和教育や憲法、教育基本法の学習に積極的に取り組んできた。都教委が2003年10月に、卒業式や入学式で国旗掲揚と国歌斉唱の徹底を通達したのがきっかけになった。「過去の出来事」として戦争を教えるのではなく、「現代的な課題」として「戦争と平和」を考えさせる必要がある、というのが教師たちの基本的な考え方だ。
2年生の「総合的な学習の時間」では、米国人ベトナム帰還兵の戦争体験記を、計5時間かけて読ませて感想を書かせた。また、沖縄修学旅行に際しては、在日米軍基地の7割が集中する沖縄の現実を知るために、3年生と4年生の「総合の時間」や文化祭、ホームルームを使って事前学習をした。沖縄戦を描いたビデオなどを鑑賞し、沖縄出身の三線演奏者を招いて演奏や基地の実態についての話を聞く機会を設けた。現地ではひめゆり資料館や糸数壕、普天間基地などを訪ね、生徒たちはリゾート地のイメージだけではない沖縄の現実を実感した。
このほか各担任は、憲法で定められている「思想・良心の自由」について、卒業式前のホームルームで説明してきた。さらに、「日の丸・君が代」強制を違憲とした東京地裁判決、都教委の教職員処分、教育基本法の改定などの問題も社会科の授業で取り上げた。
授業では、識者の賛否の見解を紹介した新聞記事など資料を読ませた上で、感想を書かせた。
生徒たちの反応は率直だ。感想文の抜粋をいくつか紹介すると一。
「歌うのは本人の自由なんだから強制はおかしい。(東京地裁判決は)憲法19条がある限り当然の判決だと思う」
「僕が守りたいと思うのは大切な人であって、国じゃあない。僕らを巻き込むなっつうの」
「この判決(東京地裁判決)は間違いじゃないと思う。強制すること自体が間違っている。いい国になれば自然と愛国心は出てくるものだ」
「個人の尊厳がなくなり、愛国心を植え付けられる。日本は過去に愛国心を強制して多くの人が不幸になったのに、なぜまた繰り返そうとしているのか。今の学生、これからの学生に何を求めているのか」
「愛国心なんてものは学校で教わったり、人に強制されて覚えるものではない。戦争時代の日本の考え方だと思う。人の精神面をむりやり強制してほしくない。政治家は国民を自分の道具とかと思っていると思うよ」
感想を読んだ教師たちは、「生徒一人一人の自主性を大切に、授業やホームルームや行事に取り組んできた。生徒たちは現実を直感し洞察する力を持っている。種を蒔けば育つんだなあ。われわれが生徒から教えられたような気がします」と感慨深げに話した。
卒業生代表の一人として、「同じ価値観を持った人間なんていない。ボクはボクらしく生きていこうと思います」と答辞を読んだ女子生徒は、「群れたり他人に依存したりしないで、自立した生き方を大切にしょうということを伝えたかった」と振り返る。
「PTA会長の挨拶は、流されることなく自分の意思を大切に、個人の意思を尊重しましょうということですよね。担任の先生にも、そういうことを教わりました」
国歌斉唱の際に着席した男子生徒は、「すぐ目の前の教師席で座っている先生の姿を見て、泣きそうになった。クビ(定年退職後の嘱託採用拒否)を覚悟しているんだなと思うと辛かった」と話した。
「自分たちはどう思うのか、どうずればいいのか、みんなの意見を聞きながら考えさせる授業を先生はしてくれた。一人一人の答えすべてが正解だって。自分の成長につながっていると思います」
(以下略)
『創』(2007年5月号)から
※池添徳明 60年生まれ。新聞記者を経てフリージャーナリスト。教育・人権・司法改革・メディアなどの分野に関心を持って取材している。著書に『教育の自由はどこへ』(現代人文社)等。
『セカンドインパクト』
http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます