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再雇用2次最高裁判決、弁護団の解説

2018年10月19日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  =東京都立学校「日の君」強制事件・第2次再雇用拒否訴訟=
 ◆ 最高裁逆転敗訴「不当」判決報告 (被処分者の会通信)
第2次再雇用拒否訴訟弁護団 柿沼真利

 ◆ はじめに
 東京都立学校「日の君」強制事件・第2次再雇用拒否訴訟で、本年7月19日、最高裁第1小法廷は、2015年5月の第1審、同年12月の控訴審の原告教師らの一部勝訴判決を、180度覆し、全面敗訴とする不当な判決を言い渡したので、その報告及び批判をする。
 ◆ 事件の概要と訴訟の経緯
 本件は、2007年~09年の3月にそれぞれ、定年を迎えた都立学校の教師であった22名が、定年後の「再雇用職員」等への採用を希望したが、過去に「君が代」斉唱時に職務命令違反の「不起立」があったこと「のみ」を理由に、一律にその採用を拒否されたので、その違憲・違法を主張し、損害賠償請求を行ったものである。
 本件提訴は2009年9月であるが、その後2011年5・6月には、先行する同種事案の訴訟(第1次訴訟など)が、最高裁で全面敗訴となってしまった。これにより、本弁護団は「絶望」的状況となり、このままでは本件も先行訴訟同様の結末を迎えてしまうことが予想された。
 そこで、本弁護団は、この状況を乗り越えるため、先行訴訟の敗訴判決を分析し、新たに、公務員の定年後の再任用等に関する近時の法制度等のあり方(「原則採用」の流れ)、これに沿った新たな裁判例の存在、行政機関の裁量権行使の適法性判断に関する近時の最高裁判例の傾向(具体的で緻密な総合考慮)を示しつつ、弁護活動を行った。
 ◆ 第1審及び控訴審の一部勝訴判決
 そして、第1審・控訴審は、上記の主張を採用し、都による本件採用拒否は、その裁量権を逸脱・濫用する違法なものであり、原告らに対し、一人当たり、採用された場合の1年分の給与に相当する金額の賠償を行うことを、都に命じる判決を言い渡した。
 この第1審・控訴審判決では、
  ①教師らに「君が代」斉唱時に起立を命じるのは、「思想・良心の自由」に対する間接的制約になり得るものであり、これに対する不利益は慎重に行わなければならないこと、
  ②再雇用制度等は、教師らの定年後の収入確保などの趣旨があり、これに対する教師らの期待は法律上保護されるものであること、
  ③学習指導要領の「国旗国歌指導条項」について、「他の特別行事の実施や配慮すべき事項の内容と対比して特段区別した位置付けが与えられているとまでは認められない」とし、これのみを採用拒否の理由とはできないこと、
  ④再雇用制度等は、退職前の地位に密接に関連し、新規採用の場合と同列ではなく、懲戒処分の場合と別異に考えるべきではないこと、などが認められた。
 ◆ しかし、最高裁の不当判決
 ところが、都側が最高裁に上告受理を申立て、不当判決となった。
 最高裁判決は、端的に「極めて表層的な形式論・抽象論のみを言い切るだけ」のシロモノであった。
 “まず、控訴審判決から今回の最高裁判決までに、2年7ヶ月の時間が経過していた。そして、その控訴審判決を全面的に覆したにも関わらず、実質的な判決理由は「1頁半」程度の分量しかないものであった。
 具体的には、「再任用制度等は、定年等により一旦退職した職員を任期を定めて新たに採用するものである」こと、希望者の原則採用、従前の勤務成績の評価方法について「法令等の定め」がないことを重視し、都の裁量権の範囲を著しく広範に認めた上で、原告らの不起立について、「式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう作用をもたらす」、「式典に参列する生徒への影響も伴うことは否定し難い」などと、形式論・抽象論を述べるのである。
 この点、裁量権の範囲については、例えば、都自身が2001年に再雇用等について、「雇用と年金の連携」として雇用機会提供のための「継続雇用」である旨公的文書で説明していること、さらに、1999年の人事院通達でも、雇用と年金の連携のため、再任用希望者について、「できる限り採用するように努めることが求められる」と明記されていたのであって、第1審・控訴審もこれらの点を重視していたにもかかわらず、最高裁判決は、これらについて、そもそも全く触れることなく、判断しているのである。
 また、原告らの不起立の評価についても、これが原告らの世界観等の思想・良心に起因する行為であり、本件職務命令も、思想・良心の自由に対する間接的制約であることなどを再三主張してきたにもかかわらず、最高裁判決は、これらについても、全く触れないのである。
 このように、今回の最高裁判決は、この裁判の中で問題にされてきた重要な部分について、全く触れることもせずに、極めて表層的な形式論・抽象論のみをただ言い切るだけで、なぜ、第1審及び控訴審の判決を覆さなければならないのかについて、説得的な理由を示そうともしない、人権の砦たる司法の役割を放棄したものといわざるを得ないと思う。
『被処分者の会通信 119号』(2018年9月25日)

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