《週刊金曜日から》
★ 「久保提言」への「反論」に介入していた元特別顧問
~情報公開された大阪市教育委員会職員との130件のメールでわかった!
永尾俊彦(ながおとしひこ・ルポライター)
コロナ禍のオンライン授業の混乱に久保敬・元校長が送った「大阪市教育行政への提言」への「反論」などに、大森不二雄・元特別顧問が介入していたことが市民の情報公開請求でわかった。市議会も「不当な支配」だと追及していた。
コロナ禍の2021年4月19日、松井一郎・大阪市長(当時)が突然テレビで「緊急事態宣言が出されたら、原則オンライン授業に切り替える」と発言、通信環境が未整備だった学校は大混乱に陥った。
同市立木川南(きかわみなみ)小学校の久保敬(くぼたかし)校長(63歳、22年に定年退職)は現場の声を聞かず子どもの学びに気安く介入する市長の発言に教員としての信念から黙っていられず、「大阪市教育行政への提言『豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために』」を同年5月17日に市長と教育長に送った。
提言は、
「学校は、グローバル経済を支える人材という『商品』を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される『競争』に晒(さら)される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない、何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく」
「テストの点数というエビデンスはそれほど正しいものなのか」
と問題点を指摘。「『生き抜く』世の中ではなく、『生き合う』世の中でなくてはならない」と訴えている。
この提言はSNSやメディアなどで大きな反響を呼んだ。
★ 学力とは、学校とは何か
だが、「久保提言」に松井市長は「校長だけど現場がわかってない」「子どもたちは競争社会の中を生き抜いていかねばならない」(同年5月20日の囲み会見)と述べた。
同年6月29日、松井市長も出席した同市総合教育会議で、大森不二雄・特別顧問(当時、東北大学高度教養教育・学生支援機構教授)も、
①「学力調査やテストの成績について、子どもたちの将来にとって意味がないかのように言う意見が、本市において公然と述べられている。暴論である」、
②「この子に期待できるのは、この程度。(学校に)勉強以外で居場所があればよいなどと期待を下げる意識がその子の将来の可能性を狭める」(カッコ内筆者)、
と批判した。
①は学力とは何か、②は学校とは何かで、根本的な認識での対立だ。久保さんは、市教委宛てに次のような大森特別顧問への反論の手紙を書いた。
大森特別顧問の①へは、
「『学力』とは子ども一人一人のもの(略)その伸び方も人それぞれ。点数という『モノサシ』で他人と比べて評価できるものではない」。
②へは、
「点数による過度な期待が子どもを苦しめている(略)。勉強以外のことでも構わないから学校に来ることを支援し、『学び』から離脱しないよう何とかつなぎとめてきた。それでも、大阪の不登校は増え続けており、全国でも突出している」。
大阪市立小学校の不登校の生徒の比率はほぼ毎年全国平均を上回り、中学校は16年度までは4%台だったが年々増加、22年度は8・62%(全国平均5・98%)だ。
だが、久保さんはこの手紙を出さなかった。騒ぎが大きくなり、卒業していく6年生や保護者に迷惑がかかることを恐れたからだ。
筆者は、議論を深めるため、後日久保さんを応援するブログで公開された手紙を大森教授に送り、「ご都合に合わせ東北大学に行きます」と取材を申し込んだが、「都合がつかない」と断られた。
21年7月16日、市教委は幼稚園や小学校、中学校などの各校園長に「本市教育行政に関する教育委員会の基本的な考え方について」と題する久保提言への事実上の「反論書」を送った。
久保さんの名前は出していないが同市立小学校長より提言が提出されたとし、「本市の小学校学力経年調査、大阪府の中学生チャレンジテスト」は「学びの変化を数値的に測定する重要なツール」とテストの大切さを説き、「内部統制が機能することで(略)市民の信頼に応えることが可能」と、暗に市の方針に従えと求めている。
同年8月20日、市教委は久保さんを「独自の意見に基づき、コロナ禍での市教委の対応に懸念を生じさせた」とし、文書訓告処分にした。久保さんは、「『独自の意見』で処分するなら言論の自由が奪われます。懸念を生じさせたのは市長や市教委のとった措置の方やないですか」と言う。
★ どういう子を育てたいか
大森教授は元文部省(現文部科学省)官僚で、『ゆとり教育亡国論』(PHP研究所)という本を2000年に刊行している。
同書によれば、大森教授の教育観は、文部官僚時代に日本大使館の書記官として滞在した英国で、保守党政権による競争原理、(学校)選択の自由、自己責任の3点セットによる教育改革で公立学校の学力試験成績をはじめとする教育水準が向上した成果を見たことで培われたという。
弱肉強食とも言われる競争原理だが、その本質は切磋琢磨(せっさたくま)だと大森教授は捉える。ただ、小中学校で子どもたちとかかわった経験は大森教授にはないようだ。
だが、大森教授の教育観が全国学力・学習状況調査(全国学テ)の低迷を受けて08年に「教育非常事態」を宣言した橋下徹大阪府知事(11年から大阪市長)の目にとまり、大森教授は12年から同市教育委員、13年から16年まで同市教委委員長、その後も同市特別顧問をつとめている。
大森教授が教育行政にかかわってから、競争を激化させる施策が続々実施される。
全国学テの学校別平均正答率公表(13年)、
学校選択制導入(14年)、
大阪市中3統一テスト導入(15年、現在は廃止)、
大阪市立中学校進学実績の公表(同年)、
大阪市小学校学力経年調査実施(17年)……。
この他に、府立高校入試の内申書を相対評価から絶対評価に変更する際、「評価の基準」が必要だとして前述の大阪府のチャレンジテスト(中3)が16年度から始まった。全中学校が参加する統一テストを内申書(調査書)に反映させているのは大阪府だけだ。
大阪市立中学校の教員、鈴木恵子さん(仮名)は、「高校入試当日のテストで合否を決めるのは酷だから当日の点数の他に内申書で普段の努力も見ようとしたのに、チャレンジテストで内申書が決まるのでは『揺り戻し』です」と話す。
チャレンジテストは「団体戦」。各中学校の同テストの平均点と府の平均点を比較、各中学校ごとに内申点の平均(評定平均)の目安を府教委に決められるからだ。
だから「できる生徒の多い学校の生徒は『5』をとりやすく、そうでない学校の生徒は『5』をとりにくい不平等がある」と鈴木さん。職員室では、できる子が休むと「来てくれたらよかったのに」、できない子が休むと「あの子が休んだおかげで平均点があがる」と露骨に言つ教員もいるそうだ。
教員にとっても生徒が提出物を出したか、授業中によく挙手するかなど細かくチェックしていてもチャレンジテストの結果で覆るので空しくなる。本当の学びか、いい授業か、は問われない。
「どういう子どもを育てたいのかが見えません」と鈴木さんは言う。
しかも、府内で大阪市だけはチヤレンジテストを、上位12%は「5」、上位26%は「4以上」など(21年)と「個人戦」どしても実施している。これは教員の評価権の二重の侵害ではないのか。
この点を大阪市教委に質すと、増田洋平・総括指導主事は「あくまで目安なので、たとえば上位26%に入っていなくても『4』をつけても構いません」と答えた。
「ただ、『4』をつけたくても学校全体の人数が『団体戦』で決められているので『3』にせざるをえない場合もあるのでは」と重ねて質問すると、増田主事は「それは府の方の枠組みです」と言う。
だが、「府の枠組みが市の枠組みを制約しており、18年には多くの校長が批判の声を上げました」とさらに問うと、「施行から数年たち、現場は慣れたようです」。
ちなみに市教委によれば、この「個人戦」の制度設計にも大森特別顧問(教授)がかかわっている。
★ 「テストは教師のため」
足立須香(あだちすが)さん(65歳)は、在日コリアンの子どもたちが多く通う大阪市立御幸森(みゆきもり)小学校(生野区、21年閉校)で多文化共生の授業に取り組んできた。だが、定年の数年前に退職した。全員参加の全国学テの復活(07年)など子どもに順位をつけ、格差が広がる施策に抗えなくなったからだ。
新任の時に出合った大阪の「解放教育」では、「テストは教師のため」と教わった。
この子はここでつまずいていると、教える側に知らせるのがテスト。「テストは必要だが、点数をつけるのは教育の目的ではない」と考える。
だから足立さんは、大森教授の一言う切磋琢磨は疑問だ。そもそもさまざまな事情や課題を抱える子どもたちが切磋琢磨できるのか。何より「『君にはこういういい所があるよ』と一人ひとりの自尊感情を育てることが大切」と話す。
規模は小さくても「オンリーワン」の物づくりをしている地域の町工場などを見学し、社会にある多様な生き方を子どもたちとともに学んできた。「これも自尊感情を育てることにつながる学びです」と足立さんは言う。
久保さんの教え子で、同市立小学校の教員になった山田厚彦さん(仮名)も、大森教授の切嵯琢磨には懐疑的だ。
学力とは他人と比較するものではない。普段は10点の子が20点とったら「スゴイやん」とほめる。「自分ができることをやっていたらそれでエエ。過程が大切」と山田さん。
そして「勉強も大事だけど、勉強ができなくても人としての生き方がちゃんとしていればやっていける」と子どもたちに話す。
「同級生の濱家(はまいえ)はやんちゃで、それまでの先生とはうまくいっていなかったけど、久保先生が担任になって『リーダー的要素がある』と励ましたら、実際にクラスを引っ張るようになまりました」と山田さんは言う。
「濱家」とは、人気お笑いコンビ「かまいたち」の濱家隆一(はまいえりゅういち)さんだ。
★ 59分後に幹部が謝罪
昨年2月21日、久保さんは大阪弁護士会に、市教委に文書訓告を取り消す勧告を出してもらうよう人権救済を申し立てた。その際、元教員や市民らで「久保敬元校長の文書訓告取り消しを求める応援団(ガッツせんべい応援団)」(注)が結成された(現在約200人)。
「応援団」が前述の市教委の「反論書発出」の経緯を知るため情報公開請求をしたところ、大森特別顧問が市教委職員との間で交わした130件(1123枚)のメールが昨年7月に開示された。
その結果、市の規定で特別顧問ができるのは「調査、審議及び助言」であって、市教委職員に直接指示や命令ができないことは市も認めているにもかかわらず、大森特別顧問自身が反論書に対し「内部統制を通して」を「内部統制が機能することで」に書き直すなど細部にわたり三度も修正していた事実が明らかになった。
久保さんの問題以外にも、21年のチャレンジテストを大森特別顧問は「個人戦」としても実施すべきと提案していたが、市教委がコロナ禍で1000人以上の生徒が受験できない見込みなので今年は見送りたいと申し出ると、同顧問は「コロナ禍を口実として内申点改革をチャラにしたいとの狙いがプンプン臭います」「吉村知事にも連絡をお取りし」と知事の名前を出して実施を迫るメールを市教委幹部に返信、わずか59分後に幹部が謝罪、個人戦も実施すると方針を変えたことなど数々の介入の事実も判明した。
応援団の元府立高校教員・井前弘幸さん(65歳)は、教育委員会会議録が1年3カ月分も作成されず、開示請求しても「不存在」とされたので、21年9月に情報公開審査会に申し立てたところ、1年以上たって公開された。
しかし、公開された会議録には前後関係が不整合の部分があった。「迅速に公開すると、特別顧問の立場では教育委員会の会議に出席できない大森さんが外から介入している事実が明らかになってしまうので、わからないよう改変するために会議録の公開が遅れたのではないか」と井前さんは疑っている。
★ 暴かれた「不当な支配」
24年2月の市議会では、各会派が大森特別顧問の介入は(教育基本法の)「不当な支配」であると追及した。その後、同顧問は「一区切りとしたい」と辞任。筆者は大森特別顧問に、名誉にかかわるので「不当な支配」への反論もお願いしたが取材拒否だった。
5月21日、応援団は大森メール問題をめぐり市教委と協議した。市教委職員を糾弾しても意味がないので、公務員どして子どもたちのために自律的に働くよう励ます態度で臨んだ。
その席で前出の井前さんが、「市教委は大森特別顧問に忖度、過剰適応し、命令に従属していたのでは」と質すと、市教委は否定したが、「教育委員会事務局の接し方が、あたかも大森特別顧問が意思決定権限をもっているかのような見え方になってしまっていたことは遺憾です」と一部非を認めた。
井前さんは「『遺憾』なら第三者委員会を設立してその原因の検証を」と提案したが、市教委は「必要ありません」と拒んだ。
★ 「久保提言」が大阪市教委の施策後押しか
同じく応援団の元大阪市立中学校教員・松田幹雄さん(68歳)は、21年8月の教育委員会会議で、次期大阪市教育振興基本計画に不登校への対応として初めて「『学校に行くのは楽しいと思いますか』という問いに肯定的に回答する児童生徒の割合を全国平均以上にする」目標が盛り込まれた経緯を知りたいと要望した。
「この問いは『不登校特例校』をつくるなどの対症療法ではなく、今の学校の根本的な改善につながる」と松田さんは指摘する。
市教委は、その場では回答しなかったが、6月20日に市教委を訪ねた松田さんに「前の教育振興基本計画ではいじめの解消率を目標にしていたが解消の定義が不明確なので変更が必要と考え、21年の5月か6月ごろ、『学校に~』を目標に決めた」と説明した。
当時はまさに久保提言が話題だった。
松田さんは、「久保提言が後押ししたのは間違いない」。久保さんは数年間市教委で人権教育などの仕事をしていた。「市民が後ろにいると思えれば市教委職員も子どもたちのためになる施策を進めやすいはず」と話す。
久保さんと応援団は、大阪弁護士会の勧告が出たら、改めて大阪の教育「改革」の問題を話し合う集会を開きたいと考えている。
(注)久保さんは時折「ガッツ!」と叫んで子どもたちを元気づけ、よく遊んでいたことから「この人は先生やない、『せんべい』や」と言われるようになった。
https://blog.goo.ne.jp./kubochan
※ 久保 敬さん
くぼ たかし・1961年、大阪府枚方市生まれ。大阪市立木川南小学校元校長。本当に必要なことだけをする「世界一平凡な学校」が理想だという。(撮影/永尾俊彦)
※ながおとしひこ・ルポライター。著書に『ルポ 大阪の教育改革とは何だったのか」(岩波ブツクレット)、『ルポ「日の丸・君が代」強制』(緑風出版)ほか。
『週刊金曜日 1483号』(2024年8月2日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます