パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

学校では民主主義の実践は今や危険思想なのです

2012年10月05日 | 暴走する都教委
  『週刊金曜日』【論争】から
 ◆ 職員会議採決の復活を
八角広道(やすみひろみち・59歳)

 生徒が自殺した件で、兵庫県川西市の県立高校は、生徒たちへの説明の場では「不慮の事故」とさせてほしいと、保護者に求めたとの報道がありました。道理を見失った、不甲斐ない姿勢に苛立ちます。
 同じような苛立ちを覚えたことがあります。横浜から千葉に移った時です。横浜の学校では、職員も生徒も自由闊達で、生徒職員の「成長」を目的にしていました。それに対して、重く硬い体制への、無条件の同化を強いる、自己規制という「秩序」を目的とするのが千葉でした。
 この差はどこから生まれるのか。答えは最初の職員会議で分かりました。
 議長は職員選挙による議長団ではなく、教頭(当時)が行ない、さらに、多数決による採決がないのです。会議は静かなものです。反対意見がなく、原案通りに決まるのが理想の会議とされていました。原案に反対すると後で、幹部たちに囲まれ糾弾されることも起きたのです。
 職員会議での採決学校の活気とどう関係があるのか。それは簡単です。自分の一票で、会議が決まるかもしれないのです。ですから、真剣に意見を聞くことになり、自分の意見も生まれます。
 初任教員にも「若い先生の意見も聞きたい」とむしろ、期待されました。職員会議は責任に緊張し、先輩の意見や見識を学び、己を作る成長の場でもあったのです。
 学校での民主主義とは「一人ひとりが校長のつもりで考え、発言し、行動することだ」。先輩の言葉です。
 その民主主義が機能せずにいる現在、民主的であれば問題がないとは思いません。しかし、今でも、民主主義以上の原理はありません。ですが学校では、言葉だけで済ませない民主主義の実践は今や危険思想なのです
 「学校は変わってしまった」「自分も早期退職したい」。旧同僚の声です。
 神奈川県立高校でも千葉方式が浸透、それは東京も同じです。都立三鷹高校の土肥信雄元校長の事件がその例証です。校長の裁量権を狭めに狭め、教員委員会の権限を強める動きは、中央集権の弊害が明らかになった今、時代に逆行しています。
 退職する直前の校長は私の質問に「教育委員会の言う通りにするのが私の仕事です」と言い切りました。
 今回の「自殺」を「不慮の事故」にとの校長発言には教育委員会の影が付きまといます。職員会議で、職員の声が反映されれば、生徒の死をうやむやにする、尊厳を傷つけるような結論は避けられたのではないでしょうか。
 職員会議での採決を校長が判断して学校の決定とする制度の復活は各学校の実情に合った教育を可能にするでしょう。職員会議を通じた団結で、生徒の成長を目的とした学校を再生したいものです。
 できないことではありません。民主主義の学校には職員の数だけ校長がいるのです。

『週刊金曜日』(2012/9/28 913号【論争】)

コメント    この記事についてブログを書く
« 原発推進のインドて入国拒否 ... | トップ | ここから裁判10月最高裁要... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

暴走する都教委」カテゴリの最新記事