=元文部科学事務次官・前川喜平氏に聞く (聞き手/永尾俊彦)=
◆ 「内心の自由は、国家権力による制約を一切拒否できる」 (週刊金曜日)
-文部科学省にとって、「日の丸・君が代」とはどういう問題ですか。
1950年代の天野貞祐(あまのていゆう)文部大臣の時代から続いている問題で、文科省の存在理由とも言えます。
文科省がずっと気にしてきたのは「日の丸」掲揚率、「君が代」斉唱率と日教組の組織率です。敵は日教組。日教組潰しのために「日の丸・君が代」が使われました。
その一番不幸な事件が、99年に広島県立世羅高校の校長が県教育委員会と組合の対立の中で自死したことです。文部省(当時)から出向していた県教委の木曽功(きそいさお)教育長が98年に文部省に是正指導を出させ、後任の教育長が「日の丸・君が代」を強行させたことが背景にあります。
-「日の丸・君が代」強制は、「同和教育潰しが目的だった」と指摘する教員もいます。
それが直接の目的ではないですが、身分差別反対の部落解放運動は「日の丸・君が代」反対と結びついていましたから、結果としてそうなったということです。
-東京「君が代」裁判の原告らは、「日の丸・君が代」強制の真の目的は、不服従の教職員を排除して都教委支配を実現し、生徒に起立させることだとしています。
私もそんな気がしますよ。文科省から見ても、東京や大阪は常軌を逸している。石原慎太郎元都知事、橋下徹元府知事らは、人を従わせることにほとんど快感を覚えていたんじやないですか。
-文科省内にも国旗国歌を教育内容の支配・統制の道具として利用しようとする官僚はいましたか。たとえば、国旗国歌法案が審議されていた99年、矢野重典教育助成局長は、「職務命令に従わなかった場合、地方公務員法に基づき懲戒処分を行うことができる」などと答弁しています。
「教育支配の道具にする」とハッキリロにした人は知りませんが、文科省には、明らかに戦前の「国体思想」が残っています。日本人のアイデンティティは天皇にあると言う人が、上司や先輩にたくさんいました。省内では小規模な式典でも必ず「日の丸」を掲げ、「君が代」を歌います。
-前川さんは「ロパク」ですか。
小さな声で歌います。私は国家という抽象的なものへの愛国心はありませんが、国旗国歌に抵抗感もない。しかし強制はよくない。内心の自由は、国家権力による制約を一切拒否できるものです。
◆ 私学に強制しない森元首相
国家権力をバックに個人を従わせるのは実利もあります。(10年まで文科省に在籍していた)先の木曽功さんは、退官後第2次安倍内閣で内閣官房参与に任命され、その後加計学園理事に就任、同学園が経営する千葉科学大学の学長になりました。
16年に、私に加計学園の獣医学部を設置する件を「早く進めてほしいのでよろしく」と圧力をかけた人ですよ。
-文科省、都教委や大阪府教委は学習指導要領に国旗国歌を「指導するものとする」と書いてあるから指導は義務だと言います。
学習指導要領は、学校設置者の如何を問わず法的拘束力を持つとされています。が、公立学校に国旗国歌を強制するのに私学にはせず、明らかに二重基準。
これは「私学族」という族議員が多数いるからです。森喜朗元首相も、その一人。日本私立中学高等学校連合会は政治力を持っているんですよ。
-えっ、日本は天皇中心の「神の国」と言った森さんは私学には国旗国歌を強制しないんですか。
そうです。私学族や同連合会などは、「私学の自主性」を強調する。だったら、公立学校には地方の自治があると言えるはず。公立学校の教育は本来、各目治体の自治事務(地方固有の仕事)ですからね。
-原告・弁護団は、憲法の立憲主義から、国の主人公である国民に国家が敬意の表明を求めることはできないと主張しています。
それは正当です。教育基本法の教育の目的は、国家および社会の「形成者」としての国民の育成です。国民が国家や社会を作るのです。
※ まえかわきへい・1955年生まれ。79年、文部省(当時)入省。文部科学事務次官を経て、2017年に退官。著書に『これからの日本、これからの教育』(寺脇研との共著、ちくま新書)ほか。20年公開の映画『子どもたちをよろしく」を企画。(撮影/永尾俊彦)
※ ながおとしひこ・ルポライター。最新刊に『ルポ「日の丸・君が代」強制』(緑風出版)。
『週刊金曜日 1326号』(2021年4月23日)
◆ 「内心の自由は、国家権力による制約を一切拒否できる」 (週刊金曜日)
-文部科学省にとって、「日の丸・君が代」とはどういう問題ですか。
1950年代の天野貞祐(あまのていゆう)文部大臣の時代から続いている問題で、文科省の存在理由とも言えます。
文科省がずっと気にしてきたのは「日の丸」掲揚率、「君が代」斉唱率と日教組の組織率です。敵は日教組。日教組潰しのために「日の丸・君が代」が使われました。
その一番不幸な事件が、99年に広島県立世羅高校の校長が県教育委員会と組合の対立の中で自死したことです。文部省(当時)から出向していた県教委の木曽功(きそいさお)教育長が98年に文部省に是正指導を出させ、後任の教育長が「日の丸・君が代」を強行させたことが背景にあります。
-「日の丸・君が代」強制は、「同和教育潰しが目的だった」と指摘する教員もいます。
それが直接の目的ではないですが、身分差別反対の部落解放運動は「日の丸・君が代」反対と結びついていましたから、結果としてそうなったということです。
-東京「君が代」裁判の原告らは、「日の丸・君が代」強制の真の目的は、不服従の教職員を排除して都教委支配を実現し、生徒に起立させることだとしています。
私もそんな気がしますよ。文科省から見ても、東京や大阪は常軌を逸している。石原慎太郎元都知事、橋下徹元府知事らは、人を従わせることにほとんど快感を覚えていたんじやないですか。
-文科省内にも国旗国歌を教育内容の支配・統制の道具として利用しようとする官僚はいましたか。たとえば、国旗国歌法案が審議されていた99年、矢野重典教育助成局長は、「職務命令に従わなかった場合、地方公務員法に基づき懲戒処分を行うことができる」などと答弁しています。
「教育支配の道具にする」とハッキリロにした人は知りませんが、文科省には、明らかに戦前の「国体思想」が残っています。日本人のアイデンティティは天皇にあると言う人が、上司や先輩にたくさんいました。省内では小規模な式典でも必ず「日の丸」を掲げ、「君が代」を歌います。
-前川さんは「ロパク」ですか。
小さな声で歌います。私は国家という抽象的なものへの愛国心はありませんが、国旗国歌に抵抗感もない。しかし強制はよくない。内心の自由は、国家権力による制約を一切拒否できるものです。
◆ 私学に強制しない森元首相
国家権力をバックに個人を従わせるのは実利もあります。(10年まで文科省に在籍していた)先の木曽功さんは、退官後第2次安倍内閣で内閣官房参与に任命され、その後加計学園理事に就任、同学園が経営する千葉科学大学の学長になりました。
16年に、私に加計学園の獣医学部を設置する件を「早く進めてほしいのでよろしく」と圧力をかけた人ですよ。
-文科省、都教委や大阪府教委は学習指導要領に国旗国歌を「指導するものとする」と書いてあるから指導は義務だと言います。
学習指導要領は、学校設置者の如何を問わず法的拘束力を持つとされています。が、公立学校に国旗国歌を強制するのに私学にはせず、明らかに二重基準。
これは「私学族」という族議員が多数いるからです。森喜朗元首相も、その一人。日本私立中学高等学校連合会は政治力を持っているんですよ。
-えっ、日本は天皇中心の「神の国」と言った森さんは私学には国旗国歌を強制しないんですか。
そうです。私学族や同連合会などは、「私学の自主性」を強調する。だったら、公立学校には地方の自治があると言えるはず。公立学校の教育は本来、各目治体の自治事務(地方固有の仕事)ですからね。
-原告・弁護団は、憲法の立憲主義から、国の主人公である国民に国家が敬意の表明を求めることはできないと主張しています。
それは正当です。教育基本法の教育の目的は、国家および社会の「形成者」としての国民の育成です。国民が国家や社会を作るのです。
※ まえかわきへい・1955年生まれ。79年、文部省(当時)入省。文部科学事務次官を経て、2017年に退官。著書に『これからの日本、これからの教育』(寺脇研との共著、ちくま新書)ほか。20年公開の映画『子どもたちをよろしく」を企画。(撮影/永尾俊彦)
※ ながおとしひこ・ルポライター。最新刊に『ルポ「日の丸・君が代」強制』(緑風出版)。
『週刊金曜日 1326号』(2021年4月23日)
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