◆ 右翼少年が「君が代」不起立になるまで
~大阪教員・増田俊道さんが講演 (レイバーネット日本)
※動画「イマジン(日本語詞:忌野清志郎・まっすん)」(4分20秒)
大阪府では、2011年に国旗国歌条例が成立して、教職員に「日の丸・君が代」の強制が始まった。さらに2012年には職員基本条例ができて、「君が代」不起立を三回すると免職にするとされている。府立高校社会科教員の増田俊道さん(57歳)は、2013年と今年2018年の卒業式で不起立をした。その増田さんをゲストに7月7日、東京・中野商工会館で講演会「『君が代』不起立の抵抗は続く」が開かれ、35人が集まった。主催は「君が代」解雇をさせない会。
増田さんは、自分のことを「純粋な右翼少年」だったという。小学校5年生のときにボーイスカウトに入り、「日の丸」掲揚や、「君が代」斉唱があたりまえの世界にいた。
祖父が「生長の家」の活動家で、憲法改正を主張する自民党議員の後援会にも連れていかれた。でも強制や暴力は嫌いだった。髪形や衣服にまで口を出す教師や学校には嫌悪感を持った。野球部では、罰としての「ケツバット」や「空気イス」が嫌で部活をやめた。
そうした増田さんが180度変わったのは大学に入ってから。受験寸前に父が倒れ、新聞奨学生になってやっと入学した。1981年、学費値上げ阻止闘争があり、機動隊とも対峙した。その中で、自分は抵抗する側にいる人間だと思ったという。
広島出身で父が被爆者の増田さんは、「大阪被爆二世の会」にも加わり、韓国で韓国人被爆2世の発掘調査にも参加した。在日韓国人だったことと被爆者であることの二重の差別に苦しむ人々を目の当たりにして、こうしたことを教えない日本の教育を考えるようになった。「加害より被害を強調する平和教育はダメだ」というのが増田さんの結論だ。
そうした思いが重なって1981年、増田さんは嫌いだった教員の道を歩むことになり箕面東高校に勤めた。指紋押捺拒否の韓国籍の生徒につきそったときには、間違った(違憲)の法律にどう向き合うかを問われた。増田さんは、「公務員が法律違反をすることはありうる。違憲の法律は変えなければならない」と考えた。数年後、指紋押捺は廃止された。
1999年に池田北高校に転勤した。ここは「障害」のある生徒がたくさんいる。
しかし法律で、タンの吸引など医療的ケアを教員はできないことになっていた。看護師さんがいつもいるわけではない。何かあれば命にかかわることもある。
増田さんは、「法律をやぶってでも命をつなぐ」決意で、医療的ケアを習った。今では教員も研修を受ければ医療的ケアができるようになった。
2011年大阪に国旗国歌条例ができ、卒業式・入学式の起立斉唱の職務命令が出されると、それまで自由だった大阪の教員は、処分を理由に一気に命令に従うようになった。
労働組合は、三回違反で免職の職員基本条例に対して「組合としては抵抗できない」として、不起立を止める側にまわった。
さらには「人権教育を守るために命令に従え」と言い出した。部落解放問題や在日問題で人権教育を熱心にすすめてきた大阪の学校。
「一番人権を犯すものにふれない人権教育とは何なのか」。増田さんの怒りは深い。
今年二回目の不起立をした増田さんは、定年まであと三年。普通、不起立をすると担任をはずされるが、何とか担任になりたいと言う。
東京の根津公子さんの連続不起立のたたかいや、最高裁判決を考えれば、大阪府は三回目の不起立でも免職にはできないはずだと増田さんは確信している。
講演の最後に増田さんは、ジョン・レノンの「イマジン」の替え歌を歌った。
『レイバーネット日本』(2018-07-09)
http://www.labornetjp.org/news/2018/0707hokoku
~大阪教員・増田俊道さんが講演 (レイバーネット日本)
※動画「イマジン(日本語詞:忌野清志郎・まっすん)」(4分20秒)
大阪府では、2011年に国旗国歌条例が成立して、教職員に「日の丸・君が代」の強制が始まった。さらに2012年には職員基本条例ができて、「君が代」不起立を三回すると免職にするとされている。府立高校社会科教員の増田俊道さん(57歳)は、2013年と今年2018年の卒業式で不起立をした。その増田さんをゲストに7月7日、東京・中野商工会館で講演会「『君が代』不起立の抵抗は続く」が開かれ、35人が集まった。主催は「君が代」解雇をさせない会。
増田さんは、自分のことを「純粋な右翼少年」だったという。小学校5年生のときにボーイスカウトに入り、「日の丸」掲揚や、「君が代」斉唱があたりまえの世界にいた。
祖父が「生長の家」の活動家で、憲法改正を主張する自民党議員の後援会にも連れていかれた。でも強制や暴力は嫌いだった。髪形や衣服にまで口を出す教師や学校には嫌悪感を持った。野球部では、罰としての「ケツバット」や「空気イス」が嫌で部活をやめた。
そうした増田さんが180度変わったのは大学に入ってから。受験寸前に父が倒れ、新聞奨学生になってやっと入学した。1981年、学費値上げ阻止闘争があり、機動隊とも対峙した。その中で、自分は抵抗する側にいる人間だと思ったという。
広島出身で父が被爆者の増田さんは、「大阪被爆二世の会」にも加わり、韓国で韓国人被爆2世の発掘調査にも参加した。在日韓国人だったことと被爆者であることの二重の差別に苦しむ人々を目の当たりにして、こうしたことを教えない日本の教育を考えるようになった。「加害より被害を強調する平和教育はダメだ」というのが増田さんの結論だ。
そうした思いが重なって1981年、増田さんは嫌いだった教員の道を歩むことになり箕面東高校に勤めた。指紋押捺拒否の韓国籍の生徒につきそったときには、間違った(違憲)の法律にどう向き合うかを問われた。増田さんは、「公務員が法律違反をすることはありうる。違憲の法律は変えなければならない」と考えた。数年後、指紋押捺は廃止された。
1999年に池田北高校に転勤した。ここは「障害」のある生徒がたくさんいる。
しかし法律で、タンの吸引など医療的ケアを教員はできないことになっていた。看護師さんがいつもいるわけではない。何かあれば命にかかわることもある。
増田さんは、「法律をやぶってでも命をつなぐ」決意で、医療的ケアを習った。今では教員も研修を受ければ医療的ケアができるようになった。
2011年大阪に国旗国歌条例ができ、卒業式・入学式の起立斉唱の職務命令が出されると、それまで自由だった大阪の教員は、処分を理由に一気に命令に従うようになった。
労働組合は、三回違反で免職の職員基本条例に対して「組合としては抵抗できない」として、不起立を止める側にまわった。
さらには「人権教育を守るために命令に従え」と言い出した。部落解放問題や在日問題で人権教育を熱心にすすめてきた大阪の学校。
「一番人権を犯すものにふれない人権教育とは何なのか」。増田さんの怒りは深い。
今年二回目の不起立をした増田さんは、定年まであと三年。普通、不起立をすると担任をはずされるが、何とか担任になりたいと言う。
東京の根津公子さんの連続不起立のたたかいや、最高裁判決を考えれば、大阪府は三回目の不起立でも免職にはできないはずだと増田さんは確信している。
講演の最後に増田さんは、ジョン・レノンの「イマジン」の替え歌を歌った。
♪「日の丸」はいらない/【佐々木有美】
「君が代」もいらない/
「元号」など必要ない/
天皇はただの人/
みんながそう思うさ/
簡単なことさ/
夢かもしれない/
でもその夢をみてるのは/
君ひとりじゃない/
仲間がいるのさ。
『レイバーネット日本』(2018-07-09)
http://www.labornetjp.org/news/2018/0707hokoku
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