渡辺厚子さんへの処分をはねかえす 「日の丸・君が代」強制反対
◆ 4.10集会にご参加を!
◆日時 4月10日(土)18:30~(18:15開場)
◆場所 ボランティアセンター会議室(飯田橋下車駅ビルセントラルづラザ10F)
◆資料代 500円
『日の丸』の尊重は儀礼だって本当?
――戦後65年を問い直し、もう一つの未来へ――
高橋哲哉さん(東大大学院教授)
田原 牧さん(東京新聞デスク)
司会:渡辺厚子
東京大学大学院教授の高橋哲哉さんと、東京新聞特報部の田原牧さんに来ていただき、「日の丸・君が代」の起立斉唱は儀礼って本当?戦後65年を問い、もうひとつの未来へ、と題したディスカッションを行います。
会場からの発言とも応答させながら、参加者が共に考えあえる集会にしていきたいと思います。
お二人からは、刺激的で単刀直入の意見、深い洞察などが発せられるだろうと、楽しみにしています。皆さん、是非ご参加ください。
主催:「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会
連絡先:練馬区豊玉北5-17-7 サポートねりま ねりま全労協気付 TEL&FAXO42-425-7583
◇ 『ほっととーく』(86号、2010/2/20)より
皆さん、新しい年のご挨拶が遅れましたが、お元気でいらっしゃいますか。
2010年の今年は日本による韓国併合100年にあたり、また日米安保50年にもあたります。日本という国家の植民地支配、戦争、戦後責任を見つめなおし、天皇制民主主義軍事大国を問い返す節目の年です。真に、あり様を問い返す年にするべくひとりひとりが責任を果たしていきたいものです。
(略)
学校現場では、昨年12月、ひとりに一台パソコンが導入されました。北特別支援学校は約150の教員がいますから150台が並びました。
人が人と顔をっき合わせ、肉声でモノを語る、ということがいよいよ少なくなり、画面に流れる連絡、指示、伝達、資料によって動かなければならなくなったのです。言えばすみ、配ればすむのにパソコン支配。教育って何でしたっけ?人が人格、存在をかけて人と向き合う、これが根底になくてどうして人の人格に関わる仕事ができるでしょう。大人とは向き合わずとも子どもたちには向き合える、とでも言うのでしょうか、これはあり得ません。
全都導入でいったい誰がどれ程の大儲けをしたのだろう、と同僚たちが言いあっています。そして案の定繰り返される情報流出事故(どこにも被害はでてないが)と処分により、管理職へ一元化するより厳格な管理体制ヘシフトしました。
パソコン導入による仕事のしかたの変化は、なにより一方的な指示、命令にいとも簡単に服従し、動いてしまう、この"習い癖"が一層助長されるようで恐ろしいです。
戦争は命令する人間だけでできません。服従し、自ら進んで遂行する人間がいてこそ可能です。だからこそ、戦争の命令者の責任を問う責任と自らの責任を問う責任がひとりひとりにあるのです。
「日の丸・君が代」のある壇上卒業式、入学式は処分を伴う強い命令によってやらされ、受け入れた私たち教員によって既成事実となり、多くの教員はそこに安住しています。そして今、パソコン指令です。
このままでは、やらされただけ、と自らの責任に頬被りする責任逃れ、疑えない、一方的な指示を待つ人間集団に堕してしまわないでしょうか。
保護者も地域住民も、同様です。各々位相は違いますが一つの価値観のみ“正”として国家や行政やマスメディアに支配され加担していく自らの責任を問い直す必要があるのではないでしょうか。
折りしも、オリンピックがTVを通じてお茶の間に入り込み、「日の丸」があがり「君が代」が流れることが誇らしいと刷りこまれる季節です。“国民的一体感”国威発揚がいともたやすくなし遂げられていきます。
私たちは今一度、立ち止まり、考え合う必要があるのではありませんか。当然の常識だ、変えられない現実だ、などと思わされていることがらを。
市民の会では、都教委や校長、裁判所が言う“「日の丸・君が代」を尊重するのは国民として当然で、起立斉唱は儀礼だ”というのは、本当か、という点を軸に哲学者の高橋哲哉さん、新聞記者の田原牧さんの問題提起をうけながら、参加者と一緒に考え合う集会を企画しました。
戦後の「日の丸・君が代」はどういう道を辿っできたのか.私たちの前にはひとつの道しかないのか、「日の丸・君が代」問題と貧困や孤立は関係ないのか、国家と個人の関係、自己責任論など、「不起立闘争」や「教員処分」に収れんしがちなこの問題を幅広く、できるだけ深く、多様な方々の参加を得て、考え合いたいと思います。
どうか皆さん、お忙しい時期でしょうが、4月10日集会へ足を運んでくださいますよう心より、お願いいたします。(渡辺)
◆ 4.10集会にご参加を!
◆日時 4月10日(土)18:30~(18:15開場)
◆場所 ボランティアセンター会議室(飯田橋下車駅ビルセントラルづラザ10F)
◆資料代 500円
『日の丸』の尊重は儀礼だって本当?
――戦後65年を問い直し、もう一つの未来へ――
高橋哲哉さん(東大大学院教授)
田原 牧さん(東京新聞デスク)
司会:渡辺厚子
東京大学大学院教授の高橋哲哉さんと、東京新聞特報部の田原牧さんに来ていただき、「日の丸・君が代」の起立斉唱は儀礼って本当?戦後65年を問い、もうひとつの未来へ、と題したディスカッションを行います。
会場からの発言とも応答させながら、参加者が共に考えあえる集会にしていきたいと思います。
お二人からは、刺激的で単刀直入の意見、深い洞察などが発せられるだろうと、楽しみにしています。皆さん、是非ご参加ください。
主催:「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会
連絡先:練馬区豊玉北5-17-7 サポートねりま ねりま全労協気付 TEL&FAXO42-425-7583
◇ 『ほっととーく』(86号、2010/2/20)より
皆さん、新しい年のご挨拶が遅れましたが、お元気でいらっしゃいますか。
2010年の今年は日本による韓国併合100年にあたり、また日米安保50年にもあたります。日本という国家の植民地支配、戦争、戦後責任を見つめなおし、天皇制民主主義軍事大国を問い返す節目の年です。真に、あり様を問い返す年にするべくひとりひとりが責任を果たしていきたいものです。
(略)
学校現場では、昨年12月、ひとりに一台パソコンが導入されました。北特別支援学校は約150の教員がいますから150台が並びました。
人が人と顔をっき合わせ、肉声でモノを語る、ということがいよいよ少なくなり、画面に流れる連絡、指示、伝達、資料によって動かなければならなくなったのです。言えばすみ、配ればすむのにパソコン支配。教育って何でしたっけ?人が人格、存在をかけて人と向き合う、これが根底になくてどうして人の人格に関わる仕事ができるでしょう。大人とは向き合わずとも子どもたちには向き合える、とでも言うのでしょうか、これはあり得ません。
全都導入でいったい誰がどれ程の大儲けをしたのだろう、と同僚たちが言いあっています。そして案の定繰り返される情報流出事故(どこにも被害はでてないが)と処分により、管理職へ一元化するより厳格な管理体制ヘシフトしました。
パソコン導入による仕事のしかたの変化は、なにより一方的な指示、命令にいとも簡単に服従し、動いてしまう、この"習い癖"が一層助長されるようで恐ろしいです。
戦争は命令する人間だけでできません。服従し、自ら進んで遂行する人間がいてこそ可能です。だからこそ、戦争の命令者の責任を問う責任と自らの責任を問う責任がひとりひとりにあるのです。
「日の丸・君が代」のある壇上卒業式、入学式は処分を伴う強い命令によってやらされ、受け入れた私たち教員によって既成事実となり、多くの教員はそこに安住しています。そして今、パソコン指令です。
このままでは、やらされただけ、と自らの責任に頬被りする責任逃れ、疑えない、一方的な指示を待つ人間集団に堕してしまわないでしょうか。
保護者も地域住民も、同様です。各々位相は違いますが一つの価値観のみ“正”として国家や行政やマスメディアに支配され加担していく自らの責任を問い直す必要があるのではないでしょうか。
折りしも、オリンピックがTVを通じてお茶の間に入り込み、「日の丸」があがり「君が代」が流れることが誇らしいと刷りこまれる季節です。“国民的一体感”国威発揚がいともたやすくなし遂げられていきます。
私たちは今一度、立ち止まり、考え合う必要があるのではありませんか。当然の常識だ、変えられない現実だ、などと思わされていることがらを。
市民の会では、都教委や校長、裁判所が言う“「日の丸・君が代」を尊重するのは国民として当然で、起立斉唱は儀礼だ”というのは、本当か、という点を軸に哲学者の高橋哲哉さん、新聞記者の田原牧さんの問題提起をうけながら、参加者と一緒に考え合う集会を企画しました。
戦後の「日の丸・君が代」はどういう道を辿っできたのか.私たちの前にはひとつの道しかないのか、「日の丸・君が代」問題と貧困や孤立は関係ないのか、国家と個人の関係、自己責任論など、「不起立闘争」や「教員処分」に収れんしがちなこの問題を幅広く、できるだけ深く、多様な方々の参加を得て、考え合いたいと思います。
どうか皆さん、お忙しい時期でしょうが、4月10日集会へ足を運んでくださいますよう心より、お願いいたします。(渡辺)
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