(2)国際高校の保護者・卒業生による都教委宛要請書
2005年2月9日
東京都教育委員会
教育長 横山洋吉様
都立国際高等学校
保護者・卒業生・卒業生保護者等
関係者有志
要請書
私たちは都立国際高校の保護者・卒業生・卒業生保護者等関係者有志です。私たちは、国際高校に学ぶ子どもたちが、日々、先生方や職員の方々の熱心な教育活動によって、のびのびと、着実に成長してきていると感じてきました。そんな都立高校に子どもが学ぶことができた幸せを、心から感謝しています。
さて、まもなく卒業式・入学式の季節がやってまいりますが、国際高校の卒業式・入学式は、2003年度の入学式までは「これが国際高校なのだ」というメッセージが全体を通して伝わってくるようなものだったと私たちは感じていました。ステージには在籍する生徒の国の国旗が平等に並べてあり、国籍がどこであれ国際高校では分け隔てしません、という姿勢が感じられましたし、君が代斉唱のときも体校にはいろいろな生徒がいるので、それぞれの意思を尊重します」というようなアナウンスがあって感動を覚えたものです。国際高校は創立当時から、外国人生徒の人数も多く、「国際都市東京」で真の国際人を育てる学校であると再確認できるような式でした。
ところが、2003年10月の東京都教育委員会からの通達により、2003年度の卒業式から、日の丸をステージ正面に掲げなくてはならなくなり、君が代斉唱時のアナウンスはできなくなりました。どの都立高校も同じだと思いますが、国際高校も教育目標や方針が変わってしまったわけではありませんし、外国籍の生徒がいなくなったわけでもありません。今までの式では「本校の教育方針はこうです」というものが表されていたはずなのに、それが突然変わってしまうことは非常に奇異なことに思われます。「日の丸・君が代」に対する思いは人それぞれですが、生徒であれ教職員であれ、また日本人であれ日本に住む外国人であれ、内心の自由・表現の自由は本来すべての人に保障されるものだと考えます。いろいろな考え方や、立場を認め合う社会にならなければ、健全な社会の発展は望めず、国際社会においても日本が重要な地位を占めることはできないのではないでしょうか。
「あなた方は日本人だから」あるいは「ここは日本なのだから」というのはとても簡単でわかりやすい言葉です。しかしそのように都教委が国旗・国歌の扱いを「指導」するのは、やがてすべての国・都の施策や命令に、「日本人だから」、「ここは日本だから」という理由で従わなくてはならなくなることを意味します。従順なだけの愛国がどんなに悲惨な結果をもたらしたか、歴史が語っています。
子どもたちの将来を守るべき教育委員会が、あたかも一つの考え方以外は認めないというような立場をとることはあってはならないことです。国旗・国歌の強制をせずに、各学校で以前と同じように内心の自由が保障された式が行われるよう、強く要請いたします。
2005年2月9日
東京都教育委員会
教育長 横山洋吉様
都立国際高等学校
保護者・卒業生・卒業生保護者等
関係者有志
要請書
私たちは都立国際高校の保護者・卒業生・卒業生保護者等関係者有志です。私たちは、国際高校に学ぶ子どもたちが、日々、先生方や職員の方々の熱心な教育活動によって、のびのびと、着実に成長してきていると感じてきました。そんな都立高校に子どもが学ぶことができた幸せを、心から感謝しています。
さて、まもなく卒業式・入学式の季節がやってまいりますが、国際高校の卒業式・入学式は、2003年度の入学式までは「これが国際高校なのだ」というメッセージが全体を通して伝わってくるようなものだったと私たちは感じていました。ステージには在籍する生徒の国の国旗が平等に並べてあり、国籍がどこであれ国際高校では分け隔てしません、という姿勢が感じられましたし、君が代斉唱のときも体校にはいろいろな生徒がいるので、それぞれの意思を尊重します」というようなアナウンスがあって感動を覚えたものです。国際高校は創立当時から、外国人生徒の人数も多く、「国際都市東京」で真の国際人を育てる学校であると再確認できるような式でした。
ところが、2003年10月の東京都教育委員会からの通達により、2003年度の卒業式から、日の丸をステージ正面に掲げなくてはならなくなり、君が代斉唱時のアナウンスはできなくなりました。どの都立高校も同じだと思いますが、国際高校も教育目標や方針が変わってしまったわけではありませんし、外国籍の生徒がいなくなったわけでもありません。今までの式では「本校の教育方針はこうです」というものが表されていたはずなのに、それが突然変わってしまうことは非常に奇異なことに思われます。「日の丸・君が代」に対する思いは人それぞれですが、生徒であれ教職員であれ、また日本人であれ日本に住む外国人であれ、内心の自由・表現の自由は本来すべての人に保障されるものだと考えます。いろいろな考え方や、立場を認め合う社会にならなければ、健全な社会の発展は望めず、国際社会においても日本が重要な地位を占めることはできないのではないでしょうか。
「あなた方は日本人だから」あるいは「ここは日本なのだから」というのはとても簡単でわかりやすい言葉です。しかしそのように都教委が国旗・国歌の扱いを「指導」するのは、やがてすべての国・都の施策や命令に、「日本人だから」、「ここは日本だから」という理由で従わなくてはならなくなることを意味します。従順なだけの愛国がどんなに悲惨な結果をもたらしたか、歴史が語っています。
子どもたちの将来を守るべき教育委員会が、あたかも一つの考え方以外は認めないというような立場をとることはあってはならないことです。国旗・国歌の強制をせずに、各学校で以前と同じように内心の自由が保障された式が行われるよう、強く要請いたします。
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