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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

遠藤比呂通弁護士のZAZA連続講座が、新たな講演・論文を加えて書籍化された

2021年03月30日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 『国家とは何か、或いは人間について―怒りと記憶の憲法学』の紹介
   (遠藤比呂通著、勁草書房・2700円+税)

 遠藤比呂通弁護士が『国家とは何か、或いは人間について―怒りと記憶の憲法学』という本を新たに出版されました。
 この本を紹介しようと思っていたら、先に今日の朝日新聞に石川健治氏(東大教授)の書評が載りました。
 肝心なこと=「君が代」不起立の抵抗は国家論の中に位置づけられるという遠藤比呂通弁護士の本書の論旨を換骨奪胎して、半分ぐらい書いていることが凡人には理解できない書評として、本書が紹介されています。
 それはともかく、遠藤弁護士が新たに出版された本書を紹介します。
 第1講から第4講までが、2019年、遠藤比呂通弁護士にZAZA連続講座で『国家とは何か』というテーマで講演していただいた内容です。
   「第1講 国家とは何かを問う」
   「第2講 平和とは何かを問う」
   「第3講 国民とは何かを問う」
   「第4講 象徴とは何かを問う」

 しかし、読んでみると、失礼ながら、実際の講演、『講演録』よりだんだん論点が整理され、分かりやすくなってきていると思いました。
 それに新しい本には、さらに
   「第5講 人間とは何かを問う」
・・・これは右のテーマで、2019年12月14日、福島県いわき市で講演された内容。
   「第6講 差別とは何かを問う」
   「第7講 釜ヶ崎の貧窮問答歌」
   「結   あまり普遍的でない後書き」
 という構成になっています。

 以下、石川・東大教授が触れていない、あるいは避けている?本書の肝心要に当たる論旨です。
 「君が代」不起立の抵抗と闘いが、本書の「第1講 国家とは何かを問う」で取り上げられています。
 (「君が代」起立斉唱の)「職務命令に反して『君が代』不起立で反対の意思を示すこと。この意思表示こそ、国家のもっとも重要な、不可欠な、要素です。それを言った憲法学者がヘラーです」。(P35)と「君が代」不起立という抵抗を国家論の中に位置づけていただいています。
 これはすごいことです!

 1933年に逝去したドイツの憲法学者ヘラーと遠藤比呂通弁護士に「君が代」不起立の抵抗と闘いを国家論の中にしっかり位置づけてもらっています。
 「君が代」不起立の抵抗と闘いは、ヘラーと遠藤弁護士によって強い味方を得ました。
 「反対の意思を示すこと」。その抵抗と闘いがなくては国家は成り立ちません。
 「反対の意思」を押しつぶす国家、抵抗と闘いを認めない国家はやがて滅ぶでしょう。
 堂々と胸を張って、「君が代」不起立の抵抗を続けよう!

 本書を読んでみたいけど、2700円+税で値段が高いと思われる方は、本書の第1~第4講までの内容ですが、遠藤弁護士講演録という冊子をZAZAから出版しています。
 ZAZAや大阪ネットの集会等でも販売していますので、その時にお買い求め下さい。
 500円+メール便(167円)+振り込み手数料=820円ぐらいで送ることもできます。個メールで山田宛申し込んでいただければ送付します。

   山田肇

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  『朝日新聞』(2021年3月27日)
 ◆ その場に存在する権利こそ尊厳
   『国家とは何か、或(ある)いは人間について 怒りと記憶の憲法学』

   (遠藤比呂通〈著〉勁草書房 2970円)


 「わたし」を主語とし「人間の尊厳」を問う憲法学の本である。
 尊厳とは、人間相互が、個人的記憶と集合的記憶の双方によって人格を形成された「歴史的人間」として、「その場に存在する権利」を保障しあうこと。
 「釜ケ崎」に加えて、集合的記憶の改竄(かいざん)による個人的記憶の改竄行われがちな「国家」を「その場」として主題化することで、一層彫りの深い「人間」論を実現したのが本書である。
 著者は、ダイゼンハウスのヘルマン・ヘラー解釈に触発されて、恩師芦部信喜の問題意識をヘラー国家学のなかに深読みする
 国家権力への関与の型として承認さるべき異議申立(もうしたて)の拠点を、個人の「法的良心」に求める読み方だ。
 そしてこの見方が、かつて東北大学や法学部長・柳生圀近(やぎゅうくにちか)から辞表を受理する条件として厳命された、神学者パウル・ティリツヒ研究、殊に象徴論への関心を触発する。
 我々の知らない魔的な自分自身を引き出す作用を持つ国家象徴を、象徴天皇に一本化するのは危険だとして、そこからの「脱出」の契機を、尹東柱の詩・林光のカンタータ・村上春樹の『騎士団長殺し』のなかに探る思索は、鬼気迫る。
 そして本書を貫くのは、鞏固(きょうこ)な応答「責任」の観念である。
 親友川上隆志に応えて沖浦和光の賎民(せんみん)文化論に向き合う。
 被災地いわきで安易に避難と移住の権利を語ったことの過ちを悟り、「これはちゃんと責任をとらないといけない」ともう一度現地に赴き、その「場」に留(とど)まる権利の根源性を語る。
 かつて「ニュートラル」だった学者が、怒りと記憶に立脚した実務家として、特定の思想でも党派でもなく、釜ケ崎の現実から、やむにやまれず立ち上げた痛切な異議申立の数々。
 もちろん、ヘラーを問題含みの邦訳だけで論ずるのは苦しい。尹美香への肯定的な言及など無防備な点も目立つ。けれども本書には本物の「問い」がある。書評とは自らの「責任」を発見する行為でもあると知った。
  評・石川健治 東京大学教授・憲法学

 ※ えんどう・ひろみち 60年生まれ。
   東北大教授を辞し釜ケ崎で護士として活動。著『人権という幻』など


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