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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「核兵器で平和を築くことはできない」被曝者の訴え

2017年06月26日 | フクシマ原発震災
  《Nuclear Free Now 脱原発世界ニュース》
 ◆ 核兵器禁止 ヒバクシャがニューヨークで被ばく証言


 ピースボートが行っている広島・長崎の原爆の被爆者とともに世界をめぐり、核廃絶のメッセージを各地に届けるプロジェクトが現在実施されています。
 また、被爆者は核兵器禁止条約が討議されている時期に、国連本部内でマーシャル諸島共和国国連代表部とピースボート共催のイベントにて、多くの国々の人に証言を話しました。
 ※「折り鶴プロジェクト」について:http://ameblo.jp/hibakushaglobal/entrylist.html
 ◆ 「すべての核兵器禁止を」 国連演説で被爆者が訴え (東京新聞)

19日、米ニューヨーク国連本部で、核廃絶への願いを語った
田中さん(右)と三瀬さん(左)=東條仁史撮影


 【ニューヨーク=東條仁史】日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の和田征子(まさこ)さん(73)ら被爆者が19日、核兵器禁止条約の制定交渉が行われている米ニューヨークの国連本部で演説した。
 条約草案に被爆者に配慮した文言が入ったことに感謝の言葉を述べつつ、核廃絶への思いを切々と訴えた。
 和田さんは「前文で私たちの苦しみへの思いやりを示してくれた。被爆者にとって極めて大きな希望だ」と強調。
 さらに「被爆者の苦しみは深く、終わりがないようだ。これは、一つの核兵器がもたらした非人道的な結末だ。すべての核兵器を禁止し、廃絶につなげていこう」と呼び掛けた。
 国連内の別の会場では、1940~50年代に米軍が核実験を行っていたマーシャル諸島とNGO「ピースボート」によるイベントが行われた。
 この中で、広島で被爆した田中稔子(としこ)さん(78)は、右腕に大やけどを負って髪の毛まで焼け焦げ、その後も耐えがたい疲労感と闘い続けた自らの経験を交えながら「広島は地上も、川の表面も市民の遺体で覆われた」と当時の惨状を紹介。
 「70歳になるころに、やっと被爆体験を語れるようになった。今、禁止条約へのメッセージを世界に伝えることが、生き残った私の責任だと思う」と述べた。
 長崎で被爆した三瀬清一朗さん(82)も「核兵器で平和を築くことはできない。核兵器のない世界こそが人類共有の世界遺産である」と訴えた。
   『東京新聞』2017年6月20日 夕刊
   http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201706/CK2017062002000257.html
『Nuclear Free Now 脱原発世界ニュース』(2017vol.25 2017.06.24)
http://npfree.jp
世界の原発の動きはここでチェック!


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