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近藤順一〈中国通信851〉から「国旗炎上事件」

2016年05月09日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 皆様へ、日中友好と教育の自由のために〈中国通信851〉を送ります。
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 ◆ 星条旗,炎上
     作者:林達
     原文:『読者』20151・1
     (日本語訳の簡約:近藤)


 “アメリカでは国旗を燃やすことができる”という情報が海を超えて伝わったとき、人々を驚かせた。尋常ではない行動だ。
 アメリカの国旗は憲法と一緒に決められたものではなく、象徴として、それほど重いものではない。重視されるようになったのは、第2次世界大戦がはじまってからであり、愛国の熱情が高揚し、国旗を燃やすなどは想像できなかった。
 国旗を燃やす契機となったのは、60年代、ベトナム反戦と黒人民権運動が過激化し伝統的価値観が崩壊し、ついには国旗を燃やすに至った。
 1966年6月、黒人ジェームスがミシシッピ州で撃たれた。彼は有名人で、南部の種族隔離政策が打ち破られたとき、初めてミシシッピ州立大学の黒人学生となった。
 6月6日、ニューヨーク市のストリットと呼ばれる黒人がジェームスの怪我のことを聞き怒った。彼は戦争の勲章をもつ退役軍人で最も愛国的な集団で、引き出しにはきれいに折りたたんだ国旗があって祭日には門前に掲げていた。
 しかし、その日、国旗をもって門の外に出て火をつけ地上に投げ捨て、集まった人々に怒りを語った。その結果、彼は警官に逮捕された。
 これがアメリカで初めて連邦最高裁に送られた国旗炎上事件である。裁判官は前例のない事件に直面し考えた。
 1970年、アメリカの大学ではベトナム反戦運動が広がり、ケント大学の学生は警官隊と衝突し、発砲によって4名の学生が死亡した。
 シアトルのスピッツという学生は、黒いテープをインディアンが平和の象徴とするようにアメリカ国旗に貼り、それを窓の外に突き出した。警察は、“不正使用”によって彼を起訴した。
 彼はこの行動はカンボジアへの爆撃に対する抗議とケント大の学生弾圧への抗議だった。裁判結果は、10日の拘禁、執行猶予付きで罰金75ドルだった。アメリカでは政府に不満でいろいろ抗議はするが、国旗に怒りをぶつける者はまれだ。
 1989年、シカゴのある学生が芸術展覧会をひらいた。ここで、国旗を焼きその国旗で覆われた棺の写真を展示した。
 さらに、主催者は参観者とメッセージ帳の間にアメリカ国旗を広げた。メッセージを書きたいですか?それなら必ず国旗を踏んで国旗の上に立つことになる。
 これには大きな抗議が挙がり、ブッシュ大統領も非難した。1989年3月16日、上院は97:0で連邦《国旗冒?報》を修正し、以後は国旗を地上に敷くのは違法とされた
 直後、国旗を燃やす事件が起き、多発した。こうして事件が起こる度に議論し、法廷やマスコミで取り上げアメリカ人の国民的教養を高めた。
 1998年末、連邦上院は国旗冒?法の修正案を拒否した。我々は、アメリカでは国旗を燃やすものは極少であるが、いったん火をつけると、彼らの挑戦の矛先は、政府の権威と社会の主流世論に向けられる。そして、この少数で非主流の観念の提出・討論・検証は保障される
 このような討論の過程で、理性的思考、一定の段階の結論を出し、また、反復し前へ一歩一歩進む、着実に、社会はゆっくり進歩する。
 実際に、アメリカ国旗が燃やされて以後、さらに国旗を燃やす者はいなくなった。皆が言うには、国旗さえ“燃やされる“国家で、あなたはまだ何をしようと言うのか。
 (李中が、生活・読書・新知識三連書店《落ち葉を掃いて冬を過ごす》より選定)

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