《教育労働者全国通信 第54号から》
◆ 福岡/過労死と闘う労働組合を
「教育の民営化に反対する教育労働者の会」を立ち上げ学習会
◎ 終業式後に心筋梗塞で突然死
昨年2月から始めた教労学習会は、今年3月で第7回目を迎えました。その学習会を「仲間の過労死を許さない」というテーマに変更しました。それは、学習会に積極的に参加してきたAさんの職場で過労死が発生したからです。
今年3月で退職を迎え、同じ職場に再任用されたと喜んでいた矢先の死でした。終業式後の「お疲れさん会」で腹痛を訴え、タクシーで救急病院に行く途中、意識を失い、そのまま意識が戻らず他界されました。「急性心筋梗塞」でした。連れ合いは、「徹夜で仕事をしていたりと、ずっと寝不足状態が続いていた」と語っています。
Aさんは「この仕事は死と隣り合わせなのだ」と思ったとのことです。同僚の死への怒りから、葬儀に来ていた市教組委員長に「これは労災だ」と伝えたそうです。だが、「労災は大変だ」と思ったのか、尻込みしている風でした。
他の分会員たちも「明日は我が身だ」と感じたようですが、「労災だ」とまでは考えきれない状況でした。
これは、日教組本部が文科省との「パートナー路線」によって、職場での突然死を告発してこなかった結果です。
同僚の過労死は、教育現場での働かせられ方、すなわち強労働・強ストレスの問題なのです。この問題を教育労働者みなの問題としてとらえ返し、「怒り」を組織し、闘いに転じなければ、さらに仲間が殺されていくのです。これは国家による殺人です。
◎ 青年と共に闘う労組の再生めざし
2014年度から「道徳の教科化」や「土曜授業」など、さらなる労働強化が迫っています。この死を無駄にせず、二度と起こさせてはならないのです。泣き寝入りはダメです。個人の問題ではありません。家族も含めた職場の団結で「過労死を許さない闘い」が求められていると思います。
福岡における闘う市教組の再生と、何よりも青年教育労働者の獲得を目指して私たちは、2カ月に1回の学習会を開催してきました。新採研に対しても学習会案内のビラをまき、市教組大会や教研などへのビラ入れも行ってきました。
そうした中、新採の若者との交流も生まれました。また、すさまじい強労働の中で働いている実態も見えてきました。
しかし、ほとんどの人が非正規を何年もやっているため、「やっと正採用になって賃金が安定し生活ができるようになり、ほっとしている。多少無理をしてもこの仕事は逃したくない」という思いをもっています。
「我慢して頑張る」と17時までの研修後、ほとんどの人が職場に戻り、遅くまで仕事をしているのが現状です。仕事以外のことを考える余裕もなく、自分のことだけで精一杯という状況です。
今回の過労死問題は、こうした青年や教育労働者を闘う路線に獲得する闘いでもあります。
◎ 命奪われる労働とは―吉本医師から学ぶ
この間、北九州市の精神科医・吉本哲郎さん(ふくしま共同診療所建設全国よびかけ人)を招いて、2回連続の学習会を行いました。テーマは「私たちの労働が、命を削られる(奪われる)労働であっていいのか」です。過労死問題に立ち向かう示唆を与えてくれるものでした。
その内容は――
第一に「自分たちの労働を見直そう」ということ。
現在、自分たちが「生きている=人間らしい」と感じる時間はいつか。
私たちは8時から17時、否、実際はもっと長く資本家のため、国家のために働かされている。これは、強制であり、その時間はますます長くなってきている。その極限的状況から過重労働による過労死やうつ病、自死が表出している。
家庭にまで仕事を持ち帰らないと仕事が終わらない。やっと終わっても、自分のための時間は、食べる時間、寝る時間を除いたほんのわずかだ。自分の時間、すなわち生きていると感じる時間は、ここしかない。「教師も労働者である」ととらえ返そう。こうした過酷な現実の中にいることをしっかり自覚し、こういうあり様はおかしい、逆転していると見直すこと。
第二は、この現実は資本主義社会だから起こっているということ。
賃労働と資本の関係を軸に成り立っているこの資本主義社会は、それを改善するために闘うことは必要だ。だが、この制度、すなわち賃金奴隷制を変えない限り、根本は変わらない。世界大恐慌が激化すればするほど、大失業と戦争の中でこのあり様はもっと極限化していく。
だが、資本主義は永遠に続く社会ではない。私たち労働者階級の団結した力でつくり変えることができる。それは、労働者が主人公の社会だ。すなわち共産主義社会である。マルクスは、それが労働者の力で可能だと強く訴えている。
第三は、私たちがやるべきことをはっきりさせたこと。
①過労死をもたらす過酷な労働条件を改善する。休むこと。
②そのためには闘う労働組合が必要だ。仲間をつくろう。
③病気・過労死に負けないためには、希望をもって日々の「疎外された労働」(強制された、いやな労働)に立ち向かう。希望とは、この社会を変えることができるということ、すなわちプロレタリア革命をやろうという気概である。闘っていることの喜びである――。
この学習会をとおして、今回の過労死問題を考えさせられました。問われているのは労働組合であり、私たち一人ひとりです。
残された家族は無念でならないでしょう。仲間を殺されたことに怒りを燃やし、Aさんの分会の団結を固めることが必要です。そして真っ向から立ち向かうことです。この問題に「教育の民営化に反対する教育労働者の会」として全力で取り組んでいきたいと思います。
◆ 福岡/過労死と闘う労働組合を
「教育の民営化に反対する教育労働者の会」を立ち上げ学習会
元福岡市教組 M
◎ 終業式後に心筋梗塞で突然死
昨年2月から始めた教労学習会は、今年3月で第7回目を迎えました。その学習会を「仲間の過労死を許さない」というテーマに変更しました。それは、学習会に積極的に参加してきたAさんの職場で過労死が発生したからです。
今年3月で退職を迎え、同じ職場に再任用されたと喜んでいた矢先の死でした。終業式後の「お疲れさん会」で腹痛を訴え、タクシーで救急病院に行く途中、意識を失い、そのまま意識が戻らず他界されました。「急性心筋梗塞」でした。連れ合いは、「徹夜で仕事をしていたりと、ずっと寝不足状態が続いていた」と語っています。
Aさんは「この仕事は死と隣り合わせなのだ」と思ったとのことです。同僚の死への怒りから、葬儀に来ていた市教組委員長に「これは労災だ」と伝えたそうです。だが、「労災は大変だ」と思ったのか、尻込みしている風でした。
他の分会員たちも「明日は我が身だ」と感じたようですが、「労災だ」とまでは考えきれない状況でした。
これは、日教組本部が文科省との「パートナー路線」によって、職場での突然死を告発してこなかった結果です。
同僚の過労死は、教育現場での働かせられ方、すなわち強労働・強ストレスの問題なのです。この問題を教育労働者みなの問題としてとらえ返し、「怒り」を組織し、闘いに転じなければ、さらに仲間が殺されていくのです。これは国家による殺人です。
◎ 青年と共に闘う労組の再生めざし
2014年度から「道徳の教科化」や「土曜授業」など、さらなる労働強化が迫っています。この死を無駄にせず、二度と起こさせてはならないのです。泣き寝入りはダメです。個人の問題ではありません。家族も含めた職場の団結で「過労死を許さない闘い」が求められていると思います。
福岡における闘う市教組の再生と、何よりも青年教育労働者の獲得を目指して私たちは、2カ月に1回の学習会を開催してきました。新採研に対しても学習会案内のビラをまき、市教組大会や教研などへのビラ入れも行ってきました。
そうした中、新採の若者との交流も生まれました。また、すさまじい強労働の中で働いている実態も見えてきました。
しかし、ほとんどの人が非正規を何年もやっているため、「やっと正採用になって賃金が安定し生活ができるようになり、ほっとしている。多少無理をしてもこの仕事は逃したくない」という思いをもっています。
「我慢して頑張る」と17時までの研修後、ほとんどの人が職場に戻り、遅くまで仕事をしているのが現状です。仕事以外のことを考える余裕もなく、自分のことだけで精一杯という状況です。
今回の過労死問題は、こうした青年や教育労働者を闘う路線に獲得する闘いでもあります。
◎ 命奪われる労働とは―吉本医師から学ぶ
この間、北九州市の精神科医・吉本哲郎さん(ふくしま共同診療所建設全国よびかけ人)を招いて、2回連続の学習会を行いました。テーマは「私たちの労働が、命を削られる(奪われる)労働であっていいのか」です。過労死問題に立ち向かう示唆を与えてくれるものでした。
その内容は――
第一に「自分たちの労働を見直そう」ということ。
現在、自分たちが「生きている=人間らしい」と感じる時間はいつか。
私たちは8時から17時、否、実際はもっと長く資本家のため、国家のために働かされている。これは、強制であり、その時間はますます長くなってきている。その極限的状況から過重労働による過労死やうつ病、自死が表出している。
家庭にまで仕事を持ち帰らないと仕事が終わらない。やっと終わっても、自分のための時間は、食べる時間、寝る時間を除いたほんのわずかだ。自分の時間、すなわち生きていると感じる時間は、ここしかない。「教師も労働者である」ととらえ返そう。こうした過酷な現実の中にいることをしっかり自覚し、こういうあり様はおかしい、逆転していると見直すこと。
第二は、この現実は資本主義社会だから起こっているということ。
賃労働と資本の関係を軸に成り立っているこの資本主義社会は、それを改善するために闘うことは必要だ。だが、この制度、すなわち賃金奴隷制を変えない限り、根本は変わらない。世界大恐慌が激化すればするほど、大失業と戦争の中でこのあり様はもっと極限化していく。
だが、資本主義は永遠に続く社会ではない。私たち労働者階級の団結した力でつくり変えることができる。それは、労働者が主人公の社会だ。すなわち共産主義社会である。マルクスは、それが労働者の力で可能だと強く訴えている。
第三は、私たちがやるべきことをはっきりさせたこと。
①過労死をもたらす過酷な労働条件を改善する。休むこと。
②そのためには闘う労働組合が必要だ。仲間をつくろう。
③病気・過労死に負けないためには、希望をもって日々の「疎外された労働」(強制された、いやな労働)に立ち向かう。希望とは、この社会を変えることができるということ、すなわちプロレタリア革命をやろうという気概である。闘っていることの喜びである――。
この学習会をとおして、今回の過労死問題を考えさせられました。問われているのは労働組合であり、私たち一人ひとりです。
残された家族は無念でならないでしょう。仲間を殺されたことに怒りを燃やし、Aさんの分会の団結を固めることが必要です。そして真っ向から立ち向かうことです。この問題に「教育の民営化に反対する教育労働者の会」として全力で取り組んでいきたいと思います。
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