《AERA 時代を読む|「維新」で傷む大阪(下)》
◆ 体罰より悪い不起立
大阪から逃げる教員
教育費無償化を公約に掲げて実行するなど成果を上げる一方で、厳しい管理で教育現場の疲弊を招いた維新の「教育改革」とはー
大阪府立高校で40年近く教鞭を執ってきた2人の男性ベテラン教員が、目の前にいた。一人は理科、もう一人は社会科。
何千という教え子を、これまで世に送り出してきた。学力を伸ばすのはもちろんだが、個々の生徒が協力し合う中で、自身の才能や生きる道を探し出す手助けをすることが、教師の本分だと思ってきた。職員会議でも意見を出し、式典の在り方も生徒と一緒に考える。
しかし、周りを見渡せばいつの間にかそんな発言すら憚られるような雰囲気が、職場を覆っていた。そしてこの春、大阪府教育委員会は定年を迎えた2人の再任用を拒否した。
社会科教師であり3年生の担任だった岩谷智志さん(61)は2012年3月、東大阪市内の府立高校卒業式で君が代斉唱の際に着席、ほどなく戒告処分を受けた。
大阪維新の会が主導して11年6月に施行された「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」がその根拠。公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付けた全国で初めての通称「国旗国歌条例」のことだ。
処分を受ける際、岩谷さんは府教委が用意した「反省文」に署名するよう求められた。
条例に従わないようなことは「二度としません」と印字された部分に斜線を引き「自分の良心に従って行動します」と書き込んで提出した岩谷さんに、担当者は何も言わなかった。
その後は3年生の担任を受け持たなかったこともあり、卒業式では会場外の仕事が割り当てられた岩谷さんが「踏み絵」を踏む機会はなかった。しかし定年退職を間近に控えた今年1月末、5年ぶりに「反省文」を突きつけられ、校長にこう迫られた。
「正しいものに書き直しますか」
断った岩谷さんに3週間後、校長はこう告げた。
「府教委はあなたの再任用を不合格としました」
◆ 不起立で再任用拒否
職員会議は連絡伝達だけ
再任用は、年金受給開始が5年先に延びた分、無収入期間が発生しないよう雇用と年金を接続する生活権の保障制度。
民間企業に対しては高年齢者雇用安定法の改正で、年金受給開始年齢までの希望者は継続雇用を認められるようになったが、法的根拠のない公務員については、総務省通知で同様の措置が講じられてきた。
それゆえか、府教委が「不合格」とした理由は「総合的判断」。
そして校長は、非常勤講師としての継続雇用を申し出た。常勤の再任用と比べれば労働条件は下がるが、生活の糧を得られる代替措置を提案することは学校長として最善手を模索した末のことだろう。
距離的に近いもう一つの府立高校でも社会科の非常勤講師の枠が空き、岩谷さんはこの4月から2校で非常勤講師として再スタートを切るはずだった。
時間割も決まり、始業式直前の4月6日には教科書も受け取った。ところが同日午後、校長から携帯に電話がかかってきた。
「府教委の意向であなたを非常勤でも雇えなくなりました」
もう一校にも確認の電話を入れてみると、同様の理由でドタキャンされた。
「教職員組合を通じて府教委には抗議をしましたが、何のリアクションもありません。自分の状況を改善することはもはや望めないのかと諦めの気持ちもありますが、行政の一部とはいえ、教育機関がここまで徹底して見せしめのような処分をするということを多くの方に知ってほしい」(岩谷さん)
大阪府の「再任用教職員採用審査会」議事録を見ると、理由は明らか。
12年度からの6年間で再任用不合格になった懲戒処分者9人のうち7人が「君が代不起立」による戒告処分者だ。
驚いたことに、体罰や飲酒運転容疑で停職などの重い懲戒処分を受けた教員でも採用を認められているにもかかわらず、である。
この春再任用を拒否されたもう一人が、理科教師の梅原聡さん(61)だ。在籍していた学校は守口市内で岩谷さんと異なるが、同じように3年生の学年主任だった12年3月の卒業式で君が代斉唱時に着席、戒告処分を受けていた。
梅原さんは、自主性や考える気風を失い、士気の下がった教育現場そのものをこう嘆いた。
「かつて職員会議は、教員同士が意見を出し合って意思決定する機関でした。校長は会議の議決を尊重する、いわば民主主義を体現する場だった。ところが3年ほど前から意思決定の場として使ってはいけないと禁じられ、単なる校長からの連絡事項を伝達する場になってしまったのです」
府教委が14年6月に出した「学校組織運営に関する指針」がそれ。「校長・准校長のリーダーシップのもとでの組織運営の原則を確認し、一体性を確立する」ことなどを目的に「教職員の意見が校長・准校長の権限を実質的に制限することがあってはならない」と定めた上意下達を徹底するガイドラインだ。文部科学省の通知を受けたものであり、大阪に限った措置ではないが、これでは、教員間の自由闊達な議論など望むべくもない。
◆ 自由な卒業式はもうない
教育の多様性も否定
卒業式などの式典も、日の丸・君が代とは関係ない次元で自主性を奪われ、管理が強まっているという。梅原さんは言う。
「かつてはどういう卒業式が3年間の締めくくりにふさわしいかを教員と生徒会で話し合うのが基本でした。卒業生と保護者・在校生が対面するように椅子を配置し、その真ん中の通路で卒業証書の受け渡しをしたこともありましたが、今は証書を校長が壇上で授け与えるという画一化されたスタイルしか許されない」
生徒の自由な発想と、学校の秩序をうまく融合させてよりよいものを目指す。卒業式や文化祭、体育祭などの学校行事がそもそも何のためにあるのか。高校時代にそんなことを見つめ直す機会を奪われた生徒が大学で教職課程を専攻し、戻ってきた教育現場とは、いつたい何を考え、目指す場になっているのだろう。その兆候は、既にある。
日の丸は軍国主義のシンボルであり、君が代の歌詞は身分制度を固定化する天皇制の永続を願う意味があるのではないか。歴史的にそういう側面があったからこそ、一律に起立斉唱を強制することはアイデンティティーの抑圧につながると異を唱える民がいて、管理する側は既に戦後民主主義を象徴する旗であり、お互いを思い合う歌詞なのだと応酬してきたのではなかったか。
大阪は植民地時代の朝鮮半島から多くの労働者を集め、ことに平野川改修工事という大事業に、済州島から大挙して押し寄せた人たちが旧猪飼野地区(現在の大阪市生野区・東成区一帯)に集住した。その子孫が二世になり三世、四世、五世になった。ある者は国際結婚し、ある者は帰化という名のもとに日本国籍を取得し、ある者は朝鮮戦争後に韓国に籍を移し、ある者は祖国の南北分断で単なる「記号」と化した朝鮮籍にこだわってきた。彼らが抱く日の丸・君が代への思いもまた、一様ではない。そうした歴史的経緯に理解が深いからこそ、大阪府内の公立学校、特に府立高校は入学に際して民族名を使用する指導に取り組んできたのではなかったのか。
大阪府出身の在日三世で『ルポ京都朝鮮学校襲撃事件〈ヘイトクライム〉に抗して』などの著書がある中村一成(いるそん)さんはこう語る。
「全国に広がる朝鮮学校への補助金停止・廃止も橋下徹氏の『見直し発言』がきっかけで、石原慎太郎氏らがリレーのように続いていった。補助金をチラつかせて外国人学校の教育内容に介入し、最後は補助を打ち切るなど教育の多様性を否定することでしかない。『改革』とは名ばかりの少数意見の排除だと思う」
◆ ベテラン教員の流出
前教育長はセガに再就職
良心的な教育者はこうした状況に陥った大阪に心理的距離を置き始めている。ある教育ジャーナリストは嘆く。
「京都の私立高校の理事長と雑談していたら『最近、大阪府立高校を辞めたベテランの優秀な教員が流れてくるから助かってます』と真顔で言うので驚きました。その一方で『これ以上、教え子を大阪の公立学校に送り込みたくない』と大阪以外の近隣府県での教員採用を目指すように指導している教育大学や教育学部の教授も一人や二人ではありません」
公募校長を経て大阪府教育長になり、君が代斉唱の口元チェックで話題を呼んだ中原徹氏は、府教委職員らへのパワーハラスメントを問題視されて辞職、維新のカジノ構想に積極参入の意思を示す遊戯機器メーカーに再就職した。
一方、同僚らに「誰が傷つくわけでなし、書類にサインさえすればよかったんちゃうんか」と心配されながら信条を曲げられなかった硬骨漢。
2人から職を「奪った」理由をただすと、府教委はこう回答した。「総合的判断です」(完)
『AERA』(2017.6.12)
◆ 体罰より悪い不起立
大阪から逃げる教員
教育費無償化を公約に掲げて実行するなど成果を上げる一方で、厳しい管理で教育現場の疲弊を招いた維新の「教育改革」とはー
編集部 大平誠
大阪府立高校で40年近く教鞭を執ってきた2人の男性ベテラン教員が、目の前にいた。一人は理科、もう一人は社会科。
何千という教え子を、これまで世に送り出してきた。学力を伸ばすのはもちろんだが、個々の生徒が協力し合う中で、自身の才能や生きる道を探し出す手助けをすることが、教師の本分だと思ってきた。職員会議でも意見を出し、式典の在り方も生徒と一緒に考える。
しかし、周りを見渡せばいつの間にかそんな発言すら憚られるような雰囲気が、職場を覆っていた。そしてこの春、大阪府教育委員会は定年を迎えた2人の再任用を拒否した。
社会科教師であり3年生の担任だった岩谷智志さん(61)は2012年3月、東大阪市内の府立高校卒業式で君が代斉唱の際に着席、ほどなく戒告処分を受けた。
大阪維新の会が主導して11年6月に施行された「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」がその根拠。公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付けた全国で初めての通称「国旗国歌条例」のことだ。
処分を受ける際、岩谷さんは府教委が用意した「反省文」に署名するよう求められた。
条例に従わないようなことは「二度としません」と印字された部分に斜線を引き「自分の良心に従って行動します」と書き込んで提出した岩谷さんに、担当者は何も言わなかった。
その後は3年生の担任を受け持たなかったこともあり、卒業式では会場外の仕事が割り当てられた岩谷さんが「踏み絵」を踏む機会はなかった。しかし定年退職を間近に控えた今年1月末、5年ぶりに「反省文」を突きつけられ、校長にこう迫られた。
「正しいものに書き直しますか」
断った岩谷さんに3週間後、校長はこう告げた。
「府教委はあなたの再任用を不合格としました」
◆ 不起立で再任用拒否
職員会議は連絡伝達だけ
再任用は、年金受給開始が5年先に延びた分、無収入期間が発生しないよう雇用と年金を接続する生活権の保障制度。
民間企業に対しては高年齢者雇用安定法の改正で、年金受給開始年齢までの希望者は継続雇用を認められるようになったが、法的根拠のない公務員については、総務省通知で同様の措置が講じられてきた。
それゆえか、府教委が「不合格」とした理由は「総合的判断」。
そして校長は、非常勤講師としての継続雇用を申し出た。常勤の再任用と比べれば労働条件は下がるが、生活の糧を得られる代替措置を提案することは学校長として最善手を模索した末のことだろう。
距離的に近いもう一つの府立高校でも社会科の非常勤講師の枠が空き、岩谷さんはこの4月から2校で非常勤講師として再スタートを切るはずだった。
時間割も決まり、始業式直前の4月6日には教科書も受け取った。ところが同日午後、校長から携帯に電話がかかってきた。
「府教委の意向であなたを非常勤でも雇えなくなりました」
もう一校にも確認の電話を入れてみると、同様の理由でドタキャンされた。
「教職員組合を通じて府教委には抗議をしましたが、何のリアクションもありません。自分の状況を改善することはもはや望めないのかと諦めの気持ちもありますが、行政の一部とはいえ、教育機関がここまで徹底して見せしめのような処分をするということを多くの方に知ってほしい」(岩谷さん)
大阪府の「再任用教職員採用審査会」議事録を見ると、理由は明らか。
12年度からの6年間で再任用不合格になった懲戒処分者9人のうち7人が「君が代不起立」による戒告処分者だ。
驚いたことに、体罰や飲酒運転容疑で停職などの重い懲戒処分を受けた教員でも採用を認められているにもかかわらず、である。
この春再任用を拒否されたもう一人が、理科教師の梅原聡さん(61)だ。在籍していた学校は守口市内で岩谷さんと異なるが、同じように3年生の学年主任だった12年3月の卒業式で君が代斉唱時に着席、戒告処分を受けていた。
梅原さんは、自主性や考える気風を失い、士気の下がった教育現場そのものをこう嘆いた。
「かつて職員会議は、教員同士が意見を出し合って意思決定する機関でした。校長は会議の議決を尊重する、いわば民主主義を体現する場だった。ところが3年ほど前から意思決定の場として使ってはいけないと禁じられ、単なる校長からの連絡事項を伝達する場になってしまったのです」
府教委が14年6月に出した「学校組織運営に関する指針」がそれ。「校長・准校長のリーダーシップのもとでの組織運営の原則を確認し、一体性を確立する」ことなどを目的に「教職員の意見が校長・准校長の権限を実質的に制限することがあってはならない」と定めた上意下達を徹底するガイドラインだ。文部科学省の通知を受けたものであり、大阪に限った措置ではないが、これでは、教員間の自由闊達な議論など望むべくもない。
◆ 自由な卒業式はもうない
教育の多様性も否定
卒業式などの式典も、日の丸・君が代とは関係ない次元で自主性を奪われ、管理が強まっているという。梅原さんは言う。
「かつてはどういう卒業式が3年間の締めくくりにふさわしいかを教員と生徒会で話し合うのが基本でした。卒業生と保護者・在校生が対面するように椅子を配置し、その真ん中の通路で卒業証書の受け渡しをしたこともありましたが、今は証書を校長が壇上で授け与えるという画一化されたスタイルしか許されない」
生徒の自由な発想と、学校の秩序をうまく融合させてよりよいものを目指す。卒業式や文化祭、体育祭などの学校行事がそもそも何のためにあるのか。高校時代にそんなことを見つめ直す機会を奪われた生徒が大学で教職課程を専攻し、戻ってきた教育現場とは、いつたい何を考え、目指す場になっているのだろう。その兆候は、既にある。
日の丸は軍国主義のシンボルであり、君が代の歌詞は身分制度を固定化する天皇制の永続を願う意味があるのではないか。歴史的にそういう側面があったからこそ、一律に起立斉唱を強制することはアイデンティティーの抑圧につながると異を唱える民がいて、管理する側は既に戦後民主主義を象徴する旗であり、お互いを思い合う歌詞なのだと応酬してきたのではなかったか。
大阪は植民地時代の朝鮮半島から多くの労働者を集め、ことに平野川改修工事という大事業に、済州島から大挙して押し寄せた人たちが旧猪飼野地区(現在の大阪市生野区・東成区一帯)に集住した。その子孫が二世になり三世、四世、五世になった。ある者は国際結婚し、ある者は帰化という名のもとに日本国籍を取得し、ある者は朝鮮戦争後に韓国に籍を移し、ある者は祖国の南北分断で単なる「記号」と化した朝鮮籍にこだわってきた。彼らが抱く日の丸・君が代への思いもまた、一様ではない。そうした歴史的経緯に理解が深いからこそ、大阪府内の公立学校、特に府立高校は入学に際して民族名を使用する指導に取り組んできたのではなかったのか。
大阪府出身の在日三世で『ルポ京都朝鮮学校襲撃事件〈ヘイトクライム〉に抗して』などの著書がある中村一成(いるそん)さんはこう語る。
「全国に広がる朝鮮学校への補助金停止・廃止も橋下徹氏の『見直し発言』がきっかけで、石原慎太郎氏らがリレーのように続いていった。補助金をチラつかせて外国人学校の教育内容に介入し、最後は補助を打ち切るなど教育の多様性を否定することでしかない。『改革』とは名ばかりの少数意見の排除だと思う」
◆ ベテラン教員の流出
前教育長はセガに再就職
良心的な教育者はこうした状況に陥った大阪に心理的距離を置き始めている。ある教育ジャーナリストは嘆く。
「京都の私立高校の理事長と雑談していたら『最近、大阪府立高校を辞めたベテランの優秀な教員が流れてくるから助かってます』と真顔で言うので驚きました。その一方で『これ以上、教え子を大阪の公立学校に送り込みたくない』と大阪以外の近隣府県での教員採用を目指すように指導している教育大学や教育学部の教授も一人や二人ではありません」
公募校長を経て大阪府教育長になり、君が代斉唱の口元チェックで話題を呼んだ中原徹氏は、府教委職員らへのパワーハラスメントを問題視されて辞職、維新のカジノ構想に積極参入の意思を示す遊戯機器メーカーに再就職した。
一方、同僚らに「誰が傷つくわけでなし、書類にサインさえすればよかったんちゃうんか」と心配されながら信条を曲げられなかった硬骨漢。
2人から職を「奪った」理由をただすと、府教委はこう回答した。「総合的判断です」(完)
『AERA』(2017.6.12)
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