◆ 「自分は生きているうちに何をしなければならないだろうか」 (「君が代」解雇させない会ニュース)
一連の熊本地震で最初の大きな揺れがあった日の翌日である4月15日、東京都教育委員会は、私に対し、「減給十分の一1か月」の処分を発令した。
処分の理由は「3月24日の都立石神井特別支援学校卒業式において、国旗に向かって起立して国歌を斉唱することという職務命令を校長から受けたにもかかわらず、国歌斉唱の際、起立しなかった」ことが「地方公務員法第32条に違反するとともに、全体の奉仕者たるにふさわしくない行為であって、教育公務員としての職の信用を傷つけ、職全体の不名誉となるものであり、同法33条に違反する」とのこと。
私は東日本大震災直後の2011年4月から毎年不起立によって処分を受け、今回で10回目になるが、今回も処分の理由は同じである。
減給処分と併せて、5月11日には教職員研修センターでの「服務事故再発防止研修」が行われた。さらに6月から8月まで領月1回、教職員研修センターで「服務事故再発防止研修」が行われる予定である。
震災のニュースを聞くたびに、過去の震災のことを思い出す。
1995年の阪神淡路大震災のときに、当時25歳の私は京都の美術工房に勤めていた。
零細企業だったその美術工房は、震災による経済停滞のために、その年の6月に私を含めて数人をリストラ解雇した後、1年ほどして倒産した。
社長が、リストラ状況の原因は震災とオウム真理教のテロのせいだ、と憎々しげに言っていたのを私は今でも覚えている。
その6月の給料は90パーセントの支給だった。もちろんボーナスも退職金も出なかった。
減給処分の度に、当時の状況と現在と、どちらが過酷だろうか、と考える。
幸い、その6月に、偶然、京都市立中学校での常勤講師になることができ、失業を免れた。
その後、文具店の営業の仕事を経て東京都の教員になったが、今から思えば、阪神淡路大震災が、故郷から遠い場所で教員をやる現在へ至るきっかけとなった。
その美術工房では、テーマパークの外装をよく作っていた。今も倒産していなければ、ユニバーサルスタジオジャパンの外装の仕事もあっただろうか、と、時々思う。
あるいは、大震災の度に、私と同世代の人を含めた多くの方が命を失ったり大切なものを失ったりする。
震災で自分も命を失ったかもしれない、自分は生きているうちに何をしなければならないだろうか、と考えたりもする。
私に対する10回の処分のうち、最初の3回は戒告処分だったが、2013年4月入学式の4回目から今回までは全て「減給十分の一1か月」の処分である。
2012年1月に、最高裁判決で、かつて減給処分を受けた人々が、減給処分は東京都教育委員会による裁量権の逸脱であるとの理由で取り消されて以降に、私に対して減給処分が出されている。
また、東京地裁は、2004年7月に「研修の意義、目的、内容等を理解しつつ、自己の思想、信条に反すると表明する者に対して、何度も繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容されている範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生ずる可能性があるといわなければならない。」との決定を出している。
にもかかわらず、東京都教育委員会は、卒業式・入学式での不起立による被処分者に対して、1年間に何度も「服務事故再発防止研修」を課している。
これらは、東京都教育委員会が最高裁の判例や東京地裁決定を軽視する態度の現れだと思う。教育行政は、このような態度を慎むべきである。
今年4月の入学式では、私は、入学式に参列しない小学部3年生の担任として教室におり、起立斉唱命令の対象にはならなかった。
私自身が入学式で処分を受けなかったのは2010年4月以来6年ぶりのことだが、今年の入学式では都下のどの学校においても不起立による被処分者が出なかった。
2003年に10・23通達が出されて以降、卒業式では少なくとも一人が不起立処分を受け続けているが、入学式で不起立処分がなかったのは、おそらく今年が初めてだろう。
今年度は、国政においては安保関連法案が施行されてしまったが、東京都での「日の丸・君が代」強制でも大きな節目の年となった。
『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇させない会ニュース 57号』(2016.7.6)
田中聡史
一連の熊本地震で最初の大きな揺れがあった日の翌日である4月15日、東京都教育委員会は、私に対し、「減給十分の一1か月」の処分を発令した。
処分の理由は「3月24日の都立石神井特別支援学校卒業式において、国旗に向かって起立して国歌を斉唱することという職務命令を校長から受けたにもかかわらず、国歌斉唱の際、起立しなかった」ことが「地方公務員法第32条に違反するとともに、全体の奉仕者たるにふさわしくない行為であって、教育公務員としての職の信用を傷つけ、職全体の不名誉となるものであり、同法33条に違反する」とのこと。
私は東日本大震災直後の2011年4月から毎年不起立によって処分を受け、今回で10回目になるが、今回も処分の理由は同じである。
減給処分と併せて、5月11日には教職員研修センターでの「服務事故再発防止研修」が行われた。さらに6月から8月まで領月1回、教職員研修センターで「服務事故再発防止研修」が行われる予定である。
震災のニュースを聞くたびに、過去の震災のことを思い出す。
1995年の阪神淡路大震災のときに、当時25歳の私は京都の美術工房に勤めていた。
零細企業だったその美術工房は、震災による経済停滞のために、その年の6月に私を含めて数人をリストラ解雇した後、1年ほどして倒産した。
社長が、リストラ状況の原因は震災とオウム真理教のテロのせいだ、と憎々しげに言っていたのを私は今でも覚えている。
その6月の給料は90パーセントの支給だった。もちろんボーナスも退職金も出なかった。
減給処分の度に、当時の状況と現在と、どちらが過酷だろうか、と考える。
幸い、その6月に、偶然、京都市立中学校での常勤講師になることができ、失業を免れた。
その後、文具店の営業の仕事を経て東京都の教員になったが、今から思えば、阪神淡路大震災が、故郷から遠い場所で教員をやる現在へ至るきっかけとなった。
その美術工房では、テーマパークの外装をよく作っていた。今も倒産していなければ、ユニバーサルスタジオジャパンの外装の仕事もあっただろうか、と、時々思う。
あるいは、大震災の度に、私と同世代の人を含めた多くの方が命を失ったり大切なものを失ったりする。
震災で自分も命を失ったかもしれない、自分は生きているうちに何をしなければならないだろうか、と考えたりもする。
私に対する10回の処分のうち、最初の3回は戒告処分だったが、2013年4月入学式の4回目から今回までは全て「減給十分の一1か月」の処分である。
2012年1月に、最高裁判決で、かつて減給処分を受けた人々が、減給処分は東京都教育委員会による裁量権の逸脱であるとの理由で取り消されて以降に、私に対して減給処分が出されている。
また、東京地裁は、2004年7月に「研修の意義、目的、内容等を理解しつつ、自己の思想、信条に反すると表明する者に対して、何度も繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容されている範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生ずる可能性があるといわなければならない。」との決定を出している。
にもかかわらず、東京都教育委員会は、卒業式・入学式での不起立による被処分者に対して、1年間に何度も「服務事故再発防止研修」を課している。
これらは、東京都教育委員会が最高裁の判例や東京地裁決定を軽視する態度の現れだと思う。教育行政は、このような態度を慎むべきである。
今年4月の入学式では、私は、入学式に参列しない小学部3年生の担任として教室におり、起立斉唱命令の対象にはならなかった。
私自身が入学式で処分を受けなかったのは2010年4月以来6年ぶりのことだが、今年の入学式では都下のどの学校においても不起立による被処分者が出なかった。
2003年に10・23通達が出されて以降、卒業式では少なくとも一人が不起立処分を受け続けているが、入学式で不起立処分がなかったのは、おそらく今年が初めてだろう。
今年度は、国政においては安保関連法案が施行されてしまったが、東京都での「日の丸・君が代」強制でも大きな節目の年となった。
『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇させない会ニュース 57号』(2016.7.6)
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