《田中聡史さんに対する「服務事故再発防止研修」中止を求めた行動の報告 (根津公子)》
◆ 反対する都民の声は聞かないの?~「都教委+施錠」で門前払い
8月27日は卒業式・入学式ともに「君が代」不起立をした田中聡史さん(板橋特別支援学校教員)に対し、都教委が学校を訪問しての「服務事故再発防止研修」(訪問研修)の3回目。
「君が代」起立の職務命令を校長に出させ、その職務命令違反を理由に不起立した教員を処分する都教委。さらに、処分をされた教員に対して、都教委は繰り返し「服務事故再発防止研修」を課し、反省・思想の転向を迫っています。こうした都教委の教員弾圧や教育破壊に対し黙ってはいないと、今回も私たちは行動をしました。呼びかけに応えてくださった方を含め21人の参加がありました。また、都教委や校長に要請文を送ってくださった方もいました。
→動画(YouTube 8分)
6月、7月に強行された訪問研修当日、私たちは6月には中止を求める要請書を手渡そうと、7月には予め送っておいた要請書に対する回答を得ようと、校長に面会を求めるべく受付窓口に行こうとしたところ、副校長は私たちの前に立ちはだかり、施設管理権を楯に「校長は会わないと言っている」「不法侵入、不法滞在」と叫び、警察に出動を要請。制服警官、私服警官が6月には23人、7月には18人やってきて、私たちは校長に面会できずに追い出されました。
27日の訪問研修の中止を求める要請については、前日学校に電話を入れ、10時に弁護士同伴で伺うこと、校長は市民の声を聴くべきこと、しかし校長が会わないのであれば、次の責任者である副校長が対応してほしい旨、話しておきました。以下に、昨日の報告をします。
7時40分から出勤する職員に2種類のチラシを手渡しました。河原井・根津らの「君が代」解雇をさせない会と板橋の市民のチラシです。雨が降っていたので、掲示物は用意しませんでしたが、田中さんについてのチラシであることをわかってくれたようで、8割もの職員が受け取ってくれました。
チラシ配りの後いったん学校前を引き揚げ、10時に戻ると、通用門には都教委1人と主幹1人、正門前から玄関前には副校長と主幹1人、都教委4人が立っていました。都教委の職員5人は研修センターに被処分者を集めて強行する「服務事故再発防止研修」の中止要請・抗議行動の際に、玄関前の警備に駆り出される人たちで、ほとんどが顔に見覚えのある人たちでした。
門はどちらも施錠されていました。通用門の扉には「御用の方は正門にお回りください」「学校説明会 こちらからお入りください」と書かれた紙が貼られていました。私たちが力づくで校地に押し入るはずのないことは、都教委にも校長にもわかっているでしょうに、ことを荒立てる意図でもあるのでしょうか。私たちの行動について、職員や来訪者に悪印象を与えるなどの。6月の訪問研修は、大勢の保護者や来年入学を考えている生徒やその保護者が来校される学校公開日の日でした。今回は学校説明会を並行して行ったわけです。いったい校長は何を最優先しているのでしょうか。非常に疑問です。教育より政治的判断優先のようです。
校長に要請書を渡すべく、私たちが正門前に集まると、数メートル中にいた副校長が走ってきて、「ここで30分対応します。要請書を受け取ります」と言いました。私たちは「校舎中に入れてください。通常の対応の中、要請書を渡したい」「なぜ、門の外で渡さねばならないのか、説明をしてほしい」と言いましたが、副校長は押し黙ったまま。口を開いた時には、「申し訳ありませんが、校長は会わないと言っています」を繰り返すのみ。
立ち会ってくれた弁護士も途中で副校長に懇々と話をしてくれたのですが、副校長は一切聞くつもりはなく、「ここで(門扉越しになら)要請書を受け取り、校長に渡します」と繰り返しました。
12時15分、休憩時間になると、職員のかなりの人が昼食を買いに外に出ました。この時間帯は行動参加者も昼食を摂るため学校前を離れ、正門前には私一人がいました。その私に気づいて、近くに副校長がいるにもかかわらず、何人もの人が私に挨拶をしてくれました。
学校側(主幹)は職員が出てくる度に通用門の鍵を開けて誘導し、通り終わると施錠するという陳腐な警備体制を、私一人しかいないときにも、続けていました。業者にはフェンス越しに対応し、学校説明会に来られたであろう人たちには、その度に鍵を外し、かけ直していました。
「研修」開始時刻直前の13時45分、副校長は最後の念押しをするかのように、「根津さん、要請書をここでならば受け取りますよ」と言いに近づいてきました。受け取らなかった、と宣伝されたくないということなのでしょう。私たちは、「通常の対応がなされる中で渡すのが礼儀というものでしょう。なぜ、それを拒否されるのですか」と訊きましたが、副校長はそれには答えず、元の位置に戻ってしまいました。
結局、門の外と中との攻防は、14時から15時までの服務事故再発防止研修が終了した後の15時半過ぎまで、静かに続きました。私たちはそれぞれに説得したり、質問したり、ジョニーHさんが途中から駆けつけて、歌でアピールしたりと。
正門前は人通りが少ないのですが、それでも、何人かの人が声をかけてきました。事情を説明すると、どの方も権力を振るう都教委や学校に怒りを表明されていました。ジョニーHさんがギター片手に「主権在民」の歌を歌っている時には、中学生4人が最後まで聞いていました。
自分たちに都合の悪いことは、どういう手段を使っても言わせない。聞かない。そのために、警察を導入したり、施錠して都教委職員が立つことの異常さを、私たちはなかったことにはしません。記録がないと人々の記憶からも抜け、なかったことにされてしまうので、記録を公開していきます。
今回、学校側は警察を入れずに、別の手段に出たわけですが、それは、警察が出動を歓迎しなかったのか、あるいは学校に警察を導入することを都教委がまずいと判断したのか、どちらなのでしょう。
この間、板橋の市民の方々は校長に申し入れや話し合いを求めて、8月22日にも学校に行ったのだそうです。その際、対応した副校長から、校長のことばとして「答えないし話もしない。返事は研修センターや都教委に聞いてください」と伝えられたと言います。開いた口がふさがらないとは、このことです。
ことあるごとに「校長の権限と責任において」と、校長も都教委も言います。都教委は「校長の権限と責任において」校長に「君が代」起立の職務命令を出させ、それに違反したとして田中さんの不起立を報告させ、田中さん処分に導いた。そしてさらに、20回近くに及ぶ「服務事故再発防止研修」を田中さんに受講させている。反対する市民の声を封じるために警察を導入し、施錠した。校長はご自身の「権限と責任において」やったことに対する説明責任を自覚しないのでしょうか。権限を乱用したとは思わないのでしょうか。
次回の訪問研修は9月24日(水)に予定されています。
私たちは6月に警察を導入して排除され、校長が要請書を受け取りに出て来なかったことについて、7月10日、都教委に質問と抗議書を出しました。
以前は2週間で回答書が出され、遅れる時には連絡があったものですが、近頃は連絡もなく、遅れることが度々あります。そこで提出から1ヶ月を過ぎた時点まで待ったうえで電話を入れましたが、1週間を過ぎても連絡はなし。再度電話を入れると、教育情報課担当者は「失念していた」。服務事故再発防止研修が終了する10月半ばまで、回答をしないつもりなのかと思いつつ、今日、都教委定例会を傍聴した後、教育情報課を訪ねました。
担当者は「遅れたことは申し訳ありません」とは言いますが、誠意のひとかけらも見えません。1週間以内(9月4日まで)に回答することを約束させてきました。
以下に、板橋特別支援学校で受け取りを拒否された「中止を求める要請書」を紹介します。
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板橋特別支援学校 校長 真下智様
正直こんなにも早く「戦争は嫌だ・生きたい!」と若者に叫ばせる時代が来るとは誰も思っていなかったのではないでしょうか。
8月は誰にとっても「戦争」に改めて向き合う月でもあります。とりわけ「日の丸」を振らせ「君が代」を歌わせお国のために死ぬことを押し進めてきた教育に、直接ではなくとも関係の深い職にある者としては格別の念がおありのことと思います。
戦後は子どもの命を守ることを最優先させていく決意で民主主義教育がスタートしました。そして「二度と若い命を戦禍に散らさない」道を3重のガードで固めました。
一つは、二度と戦争をしないと誓った「平和憲法」、二つ目は、教育はお国のためのものではないと掲げた「教育基本法」、三つ目は、教諭の仕事は〈校長の命に従い〉を削除し〈児童の教育を司る〉の部分だけに改訂した「学校教育法」です。
板橋特別支援学校にも(3) 学校の教育目標(普通科 重度・重複学級)③ 基礎学力の充実に努め、興味・関心を広げながら豊かな個性と創造力の伸長を図る。④ 日常生活の中に起こる身近な出来事を自ら考え、自主的・積極的に取り組んでいこうとする態度、習慣の確立を図る。とあり、「平和を願う」香りを感じます。
自ら考え、自主的・積極的に取り組んでいこうとする態度、習慣の確立は、様々な人の考えや行動に触れ、排除すること無く違いを認めあう中で図られるものだと思います。
しかし残念なことに上記の「不戦のガード」は、今や三つともが大きく揺らぎ、「戦争をする国づくり」に向かっている状況です。多くの国民は「二度と騙されまい」の決意のもと自分で調べ考え判断し、「戦争をしない道」作りの行動に取り組んでいます。
「君が代」不起立をした教員たちも、自ら考えぬき悩んだ末に自主的に取り組んだ結果、子どもたちの「思想及び良心の自由」の制約・侵害に手を貸すことはしない、戦前のように全員が同じ考え同じ行動に染まる道を教員として押し進めることはしてはならないと考えて、不起立をしてきたのです。
不起立という表現は子どもたちに対する教員としての職責を考えての行動ですから、「服務事故」を起こしたのではなく、「再発防止研修」を受講する理由はまったくありません。
2004年7月23日の東京地裁決定は、当時は1回の「再発防止研修」でしたが、それについてさえ、「・・・自己の思想,信条に反すると表明する者に対して、・・・自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容されている範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生じる可能性がある」として、違憲違法の恐れを指摘しました。
それと比較し、昨年都教委が田中さんに対しておこなった「研修」は19回。常軌を逸しているとしか思えません。私たちは、都教委が田中聡史さんに対して予定している「服務事故再発防止研修」を中止するよう要求しています。
戦後「汽車ぽっぽ」と題名を変えた歌を再び唱歌「兵隊さんの汽車」に戻し、「ぼくらも 手に 手に 日の丸の 旗を振って送りましょう」「万歳 万歳 万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳」と歌わせる日を来させてはなりません。
そのためには市民をはじめ教員一人ひとりが自ら考え、自主的に取り組む力が必要ではないでしょうか。
「日の丸・君が代」の強制と処分、「服務事故再発防止研修」が必要か否かを教育に関わる人間として自ら考え、自主的に取り組む姿勢でご判断くださいますよう重ねて要請いたします。
また市民の申し入れに対し、警察に出動要請するような非民主的な対応が続いていますが、残念です。
私たちはルールに従って声を届けに行っただけです。校長としては、まず会って話を聞くべきではないでしょうか。
以上
『レイバーネット日本』(2014-08-29)
http://www.labornetjp.org/news/2014/0827nezu
◆ 反対する都民の声は聞かないの?~「都教委+施錠」で門前払い
8月27日は卒業式・入学式ともに「君が代」不起立をした田中聡史さん(板橋特別支援学校教員)に対し、都教委が学校を訪問しての「服務事故再発防止研修」(訪問研修)の3回目。
「君が代」起立の職務命令を校長に出させ、その職務命令違反を理由に不起立した教員を処分する都教委。さらに、処分をされた教員に対して、都教委は繰り返し「服務事故再発防止研修」を課し、反省・思想の転向を迫っています。こうした都教委の教員弾圧や教育破壊に対し黙ってはいないと、今回も私たちは行動をしました。呼びかけに応えてくださった方を含め21人の参加がありました。また、都教委や校長に要請文を送ってくださった方もいました。
→動画(YouTube 8分)
6月、7月に強行された訪問研修当日、私たちは6月には中止を求める要請書を手渡そうと、7月には予め送っておいた要請書に対する回答を得ようと、校長に面会を求めるべく受付窓口に行こうとしたところ、副校長は私たちの前に立ちはだかり、施設管理権を楯に「校長は会わないと言っている」「不法侵入、不法滞在」と叫び、警察に出動を要請。制服警官、私服警官が6月には23人、7月には18人やってきて、私たちは校長に面会できずに追い出されました。
27日の訪問研修の中止を求める要請については、前日学校に電話を入れ、10時に弁護士同伴で伺うこと、校長は市民の声を聴くべきこと、しかし校長が会わないのであれば、次の責任者である副校長が対応してほしい旨、話しておきました。以下に、昨日の報告をします。
7時40分から出勤する職員に2種類のチラシを手渡しました。河原井・根津らの「君が代」解雇をさせない会と板橋の市民のチラシです。雨が降っていたので、掲示物は用意しませんでしたが、田中さんについてのチラシであることをわかってくれたようで、8割もの職員が受け取ってくれました。
チラシ配りの後いったん学校前を引き揚げ、10時に戻ると、通用門には都教委1人と主幹1人、正門前から玄関前には副校長と主幹1人、都教委4人が立っていました。都教委の職員5人は研修センターに被処分者を集めて強行する「服務事故再発防止研修」の中止要請・抗議行動の際に、玄関前の警備に駆り出される人たちで、ほとんどが顔に見覚えのある人たちでした。
門はどちらも施錠されていました。通用門の扉には「御用の方は正門にお回りください」「学校説明会 こちらからお入りください」と書かれた紙が貼られていました。私たちが力づくで校地に押し入るはずのないことは、都教委にも校長にもわかっているでしょうに、ことを荒立てる意図でもあるのでしょうか。私たちの行動について、職員や来訪者に悪印象を与えるなどの。6月の訪問研修は、大勢の保護者や来年入学を考えている生徒やその保護者が来校される学校公開日の日でした。今回は学校説明会を並行して行ったわけです。いったい校長は何を最優先しているのでしょうか。非常に疑問です。教育より政治的判断優先のようです。
校長に要請書を渡すべく、私たちが正門前に集まると、数メートル中にいた副校長が走ってきて、「ここで30分対応します。要請書を受け取ります」と言いました。私たちは「校舎中に入れてください。通常の対応の中、要請書を渡したい」「なぜ、門の外で渡さねばならないのか、説明をしてほしい」と言いましたが、副校長は押し黙ったまま。口を開いた時には、「申し訳ありませんが、校長は会わないと言っています」を繰り返すのみ。
立ち会ってくれた弁護士も途中で副校長に懇々と話をしてくれたのですが、副校長は一切聞くつもりはなく、「ここで(門扉越しになら)要請書を受け取り、校長に渡します」と繰り返しました。
12時15分、休憩時間になると、職員のかなりの人が昼食を買いに外に出ました。この時間帯は行動参加者も昼食を摂るため学校前を離れ、正門前には私一人がいました。その私に気づいて、近くに副校長がいるにもかかわらず、何人もの人が私に挨拶をしてくれました。
学校側(主幹)は職員が出てくる度に通用門の鍵を開けて誘導し、通り終わると施錠するという陳腐な警備体制を、私一人しかいないときにも、続けていました。業者にはフェンス越しに対応し、学校説明会に来られたであろう人たちには、その度に鍵を外し、かけ直していました。
「研修」開始時刻直前の13時45分、副校長は最後の念押しをするかのように、「根津さん、要請書をここでならば受け取りますよ」と言いに近づいてきました。受け取らなかった、と宣伝されたくないということなのでしょう。私たちは、「通常の対応がなされる中で渡すのが礼儀というものでしょう。なぜ、それを拒否されるのですか」と訊きましたが、副校長はそれには答えず、元の位置に戻ってしまいました。
結局、門の外と中との攻防は、14時から15時までの服務事故再発防止研修が終了した後の15時半過ぎまで、静かに続きました。私たちはそれぞれに説得したり、質問したり、ジョニーHさんが途中から駆けつけて、歌でアピールしたりと。
正門前は人通りが少ないのですが、それでも、何人かの人が声をかけてきました。事情を説明すると、どの方も権力を振るう都教委や学校に怒りを表明されていました。ジョニーHさんがギター片手に「主権在民」の歌を歌っている時には、中学生4人が最後まで聞いていました。
自分たちに都合の悪いことは、どういう手段を使っても言わせない。聞かない。そのために、警察を導入したり、施錠して都教委職員が立つことの異常さを、私たちはなかったことにはしません。記録がないと人々の記憶からも抜け、なかったことにされてしまうので、記録を公開していきます。
今回、学校側は警察を入れずに、別の手段に出たわけですが、それは、警察が出動を歓迎しなかったのか、あるいは学校に警察を導入することを都教委がまずいと判断したのか、どちらなのでしょう。
この間、板橋の市民の方々は校長に申し入れや話し合いを求めて、8月22日にも学校に行ったのだそうです。その際、対応した副校長から、校長のことばとして「答えないし話もしない。返事は研修センターや都教委に聞いてください」と伝えられたと言います。開いた口がふさがらないとは、このことです。
ことあるごとに「校長の権限と責任において」と、校長も都教委も言います。都教委は「校長の権限と責任において」校長に「君が代」起立の職務命令を出させ、それに違反したとして田中さんの不起立を報告させ、田中さん処分に導いた。そしてさらに、20回近くに及ぶ「服務事故再発防止研修」を田中さんに受講させている。反対する市民の声を封じるために警察を導入し、施錠した。校長はご自身の「権限と責任において」やったことに対する説明責任を自覚しないのでしょうか。権限を乱用したとは思わないのでしょうか。
次回の訪問研修は9月24日(水)に予定されています。
私たちは6月に警察を導入して排除され、校長が要請書を受け取りに出て来なかったことについて、7月10日、都教委に質問と抗議書を出しました。
以前は2週間で回答書が出され、遅れる時には連絡があったものですが、近頃は連絡もなく、遅れることが度々あります。そこで提出から1ヶ月を過ぎた時点まで待ったうえで電話を入れましたが、1週間を過ぎても連絡はなし。再度電話を入れると、教育情報課担当者は「失念していた」。服務事故再発防止研修が終了する10月半ばまで、回答をしないつもりなのかと思いつつ、今日、都教委定例会を傍聴した後、教育情報課を訪ねました。
担当者は「遅れたことは申し訳ありません」とは言いますが、誠意のひとかけらも見えません。1週間以内(9月4日まで)に回答することを約束させてきました。
以下に、板橋特別支援学校で受け取りを拒否された「中止を求める要請書」を紹介します。
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2014年8月27日
東京都教育委員会 教育長 比留間英人様板橋特別支援学校 校長 真下智様
◎ 田中聡史さんに対する「服務事故再発防止研修」の中止を求める要請書
河原井さん・根津さんらの「君が代」解雇をさせない会
正直こんなにも早く「戦争は嫌だ・生きたい!」と若者に叫ばせる時代が来るとは誰も思っていなかったのではないでしょうか。
8月は誰にとっても「戦争」に改めて向き合う月でもあります。とりわけ「日の丸」を振らせ「君が代」を歌わせお国のために死ぬことを押し進めてきた教育に、直接ではなくとも関係の深い職にある者としては格別の念がおありのことと思います。
戦後は子どもの命を守ることを最優先させていく決意で民主主義教育がスタートしました。そして「二度と若い命を戦禍に散らさない」道を3重のガードで固めました。
一つは、二度と戦争をしないと誓った「平和憲法」、二つ目は、教育はお国のためのものではないと掲げた「教育基本法」、三つ目は、教諭の仕事は〈校長の命に従い〉を削除し〈児童の教育を司る〉の部分だけに改訂した「学校教育法」です。
板橋特別支援学校にも(3) 学校の教育目標(普通科 重度・重複学級)③ 基礎学力の充実に努め、興味・関心を広げながら豊かな個性と創造力の伸長を図る。④ 日常生活の中に起こる身近な出来事を自ら考え、自主的・積極的に取り組んでいこうとする態度、習慣の確立を図る。とあり、「平和を願う」香りを感じます。
自ら考え、自主的・積極的に取り組んでいこうとする態度、習慣の確立は、様々な人の考えや行動に触れ、排除すること無く違いを認めあう中で図られるものだと思います。
しかし残念なことに上記の「不戦のガード」は、今や三つともが大きく揺らぎ、「戦争をする国づくり」に向かっている状況です。多くの国民は「二度と騙されまい」の決意のもと自分で調べ考え判断し、「戦争をしない道」作りの行動に取り組んでいます。
「君が代」不起立をした教員たちも、自ら考えぬき悩んだ末に自主的に取り組んだ結果、子どもたちの「思想及び良心の自由」の制約・侵害に手を貸すことはしない、戦前のように全員が同じ考え同じ行動に染まる道を教員として押し進めることはしてはならないと考えて、不起立をしてきたのです。
不起立という表現は子どもたちに対する教員としての職責を考えての行動ですから、「服務事故」を起こしたのではなく、「再発防止研修」を受講する理由はまったくありません。
2004年7月23日の東京地裁決定は、当時は1回の「再発防止研修」でしたが、それについてさえ、「・・・自己の思想,信条に反すると表明する者に対して、・・・自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容されている範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生じる可能性がある」として、違憲違法の恐れを指摘しました。
それと比較し、昨年都教委が田中さんに対しておこなった「研修」は19回。常軌を逸しているとしか思えません。私たちは、都教委が田中聡史さんに対して予定している「服務事故再発防止研修」を中止するよう要求しています。
戦後「汽車ぽっぽ」と題名を変えた歌を再び唱歌「兵隊さんの汽車」に戻し、「ぼくらも 手に 手に 日の丸の 旗を振って送りましょう」「万歳 万歳 万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳」と歌わせる日を来させてはなりません。
そのためには市民をはじめ教員一人ひとりが自ら考え、自主的に取り組む力が必要ではないでしょうか。
「日の丸・君が代」の強制と処分、「服務事故再発防止研修」が必要か否かを教育に関わる人間として自ら考え、自主的に取り組む姿勢でご判断くださいますよう重ねて要請いたします。
また市民の申し入れに対し、警察に出動要請するような非民主的な対応が続いていますが、残念です。
私たちはルールに従って声を届けに行っただけです。校長としては、まず会って話を聞くべきではないでしょうか。
以上
『レイバーネット日本』(2014-08-29)
http://www.labornetjp.org/news/2014/0827nezu
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