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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

河原井・根津裁判控訴審第1回審理 原告意見陳述(2)

2014年09月26日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  河原井 陳述書
 ◎ 教育活動に欠くことのできない教諭と児童・生徒との人格的触れ合い
2014年9月25日
 東京高等裁判所第14民事部御中
控訴人 河原井純子

 (1)「停職3カ月処分は精神的にも経済的にも重たく厳しい」何をもってしても一生涯、慰謝されない
 2007年、私は「卒業式に不起立する」ことを理由に、高等部2年生から高等部3年生への持ちあがりの担任を強く希望したのですが、認められませんでした。当時、卒業後の進路決定もあり、高等部2年生から3年生への担任は持ちあがりが原則でした。実践の継続の断絶と青年たちとの不本意な別れを強いられました。そして私は再び高等部2年生の担任となりました。しかし「停職3カ月処分」が強行されたため、4月からスタートすることができませんでした。
 1年の始まりの大切な1学期、青年たちとの触れあいも実践の蓄積もないまま、1学期のまとめの時期に入る7月2日にやっと学校に戻れて、青年たちと向き合うことができました。この空白の3ヶ月は何を持っても取り返すことができませんが、1学期終了まで残された19日間、青年たちひとりひとりと、「憲法」や「子どもの権利条約」を授業や生活のなかで活かしながら、大切に大切に過ごしました。
 しかし、奪われた「3ヶ月」は、何をもっても、一生涯慰謝されることはありません。「異論」や「異見」を認めない「学校」や「社会」は、死刑宣告の場と同然であり、人間として教員として生きることを拒絶されているからです。
 (2)3.24地裁判決「国家賠償法に基づく損害賠償請求棄却」棄却したその根拠がどこにも見当たらない
 損害賠償請求を棄却した一審判決文(89頁)には、次のようにあります。
 「最高裁24年1月判決がなされるまでは下級審の裁判例も分かれていたところである。本件対河原井停職処分は・・・積極、消極の見解がわかれ、これに関する最高裁の判決が示される前に、都教委により上記論点に関する積極説に基づいて行われたものであるから、上記の論点のうち一方の見解に立ってこの処分の遂行に関与した公務員に国賠法上の過失があるということはできず、また、都教委によるこの処分が国賠法上違法であるということもできない。」
 この棄却理由は、ただ当時の裁判と処分発令の状況説明をしているだけの内容にとどめ、意識的に2013年7月12日の最高裁決定(都側の上告受理申立の不受理決定)を無視した非人道的で悪質なものでした。
 停職1か月の処分について、国家賠償法に基づく損害賠償を認めた2012年11月7日の東京高裁の差戻審判決と、それを維持した2013年7月12日の最高裁の決定からしても、到底納得のいくものではありません。
 東京高裁の差戻審において、南敏文裁判長は、国家賠償法上の違法と東京都教育委員会の過失を認定しました。そして、さらに「教諭と児童との人格的触れ合いが教育活動に欠かすことのできないものである」として「控訴人(河原井)は児童・生徒との触れ合いを特に重視していたと認められることを考慮すると、財産的損害の回復のみによっては、控訴人の精神的損害が慰謝されるものではないことは明らかである」と、保護者と控訴人「河原井」の陳述書を証拠として引用し判示しました。
 この判決は、全国規模で希望と勇気を届け、全国からの手紙やFAXの中に「司法が動いた!!」というものまでありました。全国の人たちと「司法はまだ生きていた」と喜びを共にできた判決内容でした。
 私は、今まで門前払いであった「教育の営みの命」ともいうべき「教育活動に欠かすことのできない教諭と児童・生徒との人格的な触れ合い」を明示し認定したことは、教育裁判上、歴史に残る判決のひとつと確信していました。しかし、今回の「3.24判決」は「司法が大きく後ずさりした」と言わざるをえません。
 消されてしまった「教育の営みともいうべき人格的触れあい」を、一刻も早く、法の力で学校や教室に取り戻したいと切望しています。
 もう一刻も待てない程「学校」や「教室」は危機的状況です。

 (3)最後に教育の営みの命である「人格の触れあい」に耳を傾けてください。
 今、東京の学校は、安倍政権のもと国家統制への道、戦争のできる国・戦争のできる人づくりに邁進しています。世論を無視した、有無を言わせぬ「日の丸・君が代」の強制は、「教育活動に欠くことのできない教諭と児童・生徒との人格的触れ合い」を根底から破壊し続けています。
 一刻も早く、学校に、教室に、「命令や強制ではない人格の触れ合いのある教育の営み」を取り戻したいのです。学校は、そして教室は、「学習の場」であると同時に「生活の場」でもあります。この両輪こそが「人」を育む原動力になるのです。
 教育現場での学力スタンダードの暴走は学校や教室から「生活の場」を奪い、能力至上主義に陥らせています。これは「人」を育む教育ではありません。
 大飯原発を差し止めた2014年5月21日の福井地裁判決は、人道教育、命こそ宝など「これからの教育の営み」を鮮明に示唆しています。「この宇宙で私たちは何を大切にして生きていくのか」「真の国富とは何なのか」を示しています。
 裁判官の皆様
 私たちの主張・証拠を丁寧に審理していただき、「戦後の教育の最大の危機」を法の力で救ってください。「教育の営み」と照らし合わせて、「10.23通達」、それに基づく職務命令の違憲違法の憲法判断と、全ての処分の取り消しをここに強く切望いたします。私たちは、今「真の国富とは、一体何なのか」を論じ合い判断して行動しなければならない時に来ています。私たちの責任は重大です
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