今回の遠征での最後の100名城は郡山城。
ここは毛利氏の拠点。
一安芸の国人だった毛利元就は大国の大内氏と尼子氏に挟まれた中で
謀略の限りを尽くし中国地方のほぼ全土を掌握するに至った。
元就の孫の輝元の時代になると、居城を広島城へ移し、
更に関ヶ原の戦い以降は萩へと移り、そこが幕末までの毛利氏の居城となった。
織田信長が台頭するまでの戦国群雄割拠の時代は郡山城ような山城が主流で、
輝元が建設した広島城は豊臣秀吉の天下以降のもの。
戦に備える難攻要塞から、大名としての権威を象徴する姿に変わっていった。
毛利氏の城は上記の3城を巡ったが、
ここ郡山城は毛利氏の弱小から全盛までの歴史、
広島城は組下とはいえ、秀吉時代の大老120万石としての華やかな歴史、
萩城は理不尽な防長36万石移封を約260年耐えた歴史。
結果として江戸幕府を消滅させた一翼になるし、
この山口県から何人もの総理大臣を排出したのだから、
ある意味毛利元就のDNAが残っているのかもしれない。
そんな毛利元就の家訓や謀略の歴史が安芸高田市歴史民俗博物館で知ることが出来る。
100名城スタンプも博物館の受付に設置されている。
あの山全体が郡山城。
現在の城下は博物館の他、住宅地や田畑。
毛利元就の銅像。
案内図に従い頑張って元就のお墓とか行ってみようと思ったが、
ここから90分かかる空港への到着を優先した。
ここは毛利氏の拠点。
一安芸の国人だった毛利元就は大国の大内氏と尼子氏に挟まれた中で
謀略の限りを尽くし中国地方のほぼ全土を掌握するに至った。
元就の孫の輝元の時代になると、居城を広島城へ移し、
更に関ヶ原の戦い以降は萩へと移り、そこが幕末までの毛利氏の居城となった。
織田信長が台頭するまでの戦国群雄割拠の時代は郡山城ような山城が主流で、
輝元が建設した広島城は豊臣秀吉の天下以降のもの。
戦に備える難攻要塞から、大名としての権威を象徴する姿に変わっていった。
毛利氏の城は上記の3城を巡ったが、
ここ郡山城は毛利氏の弱小から全盛までの歴史、
広島城は組下とはいえ、秀吉時代の大老120万石としての華やかな歴史、
萩城は理不尽な防長36万石移封を約260年耐えた歴史。
結果として江戸幕府を消滅させた一翼になるし、
この山口県から何人もの総理大臣を排出したのだから、
ある意味毛利元就のDNAが残っているのかもしれない。
そんな毛利元就の家訓や謀略の歴史が安芸高田市歴史民俗博物館で知ることが出来る。
100名城スタンプも博物館の受付に設置されている。
あの山全体が郡山城。
現在の城下は博物館の他、住宅地や田畑。
毛利元就の銅像。
案内図に従い頑張って元就のお墓とか行ってみようと思ったが、
ここから90分かかる空港への到着を優先した。