おはようございます。こちらあやかし@。
お盆の行事も何とか終了しまして・・・ご苦労さま~。
忘れないうちに、記録を残しておこう!
曹洞宗、少林寺派の 某お寺さんのご住職におしえて頂いた事。
ものの名前が正確にわからないので、知りたい方は、自分でそれらのものの名前を調べてください。あと記憶違いがあるかも知れないので、そこのところはご容赦のほど・・・。
< 配置の仕方 >
一応、ご住職に前もって教えて頂いたように祭壇を設えてあったが、手直しが入った。ひとつはろうそく立ての位置、一対の場合は問題ない(左右にふりわける)が、一つしかない場合は、祭壇のむかって右がわに置く。
緑の蓮の葉っぱの上には野菜をお供えするが、それとは別に、祭壇(下段の中央、お皿の中に、生米 + なす(なま)のイチョウ切りのものが供えてあったが、その一部を、小皿に取り、祭壇の右下、畳の上に置く。
< その意味 >
成仏していないご先祖様 および その辺りに浮遊している(?)不成仏霊は、祭壇の上に上がれない。よって、この畳の上に置かれた小皿のものを頂くことになる。
それを用意しないと、こちらの人々に悪さをする。不成仏霊達は、( ここのところの記憶が怪しいんだけれど ) 施餓鬼 お盆 お正月 にこの世に?戻ってくることが可能。その時に、このお供えものを頂くことができる。確か、お彼岸とはおっしゃらなかったと思うんだけど・・・。
成仏したほとけさまというのは、いつでもこの世に、いつでも子孫のところにやってくることができる。まえ、フューチャーリーダーのみよこ先生っていう人が確か週刊誌に書いてましたよね。ex、お茶を飲む時、フト思いついたら 「 あなたさま(おじいちゃん)もどうぞ!」って、差し上げればいいんだって。
問題は成仏していない霊の場合だよね。
次、お位牌の位置。うち(=主人の実家)には 三体のお位牌がある。●●家のお位牌。じっちゃんの両親のお位牌(昔のものなので若干大きめ、大きすぎる場合は作りなおしたほうがいいらしい )。じっちゃんのお位牌。
上段、お仏壇の向かって右に、確か?代々のご先祖さまのお位牌。で、左側がじっちゃんの両親のお位牌。
下段、中央 じっちゃんのお位牌。・・・と位置の変更あり!
< 送り火 >
お供えした野菜等は、自宅に菜園などがあれば、畑に埋める。基本土に返すみたいだ。
ワラでできた敷物、玄関(外)にぶら下げてあった白い提灯、多分 おがらも焼く。ワラのお馬さんと、牛さんはどうするんだろう?間接的に主人に聞いたので、ちょっとわからない。
これらは、お寺さんが、卒塔婆を燃やす時に一緒に焼いてあげます。と言われたのでお寺に持っていくことになった。
<<< <<<
そういえば・・・去年のお盆に、●●家の先祖供養もどきを嫁いで初めてやったんだった。姑はうちは まだ仏さんがでていないから必要ない。という考えだったけれど、主人を通してお願いして、ちょっと それっぽいことをやらしていただいたんだったと思う。ん、確かそう。
で、十月にじっちゃんが逝ったんだよね。重度の肺気腫。人生終焉近く、息もまともにできない苦しい状況からやっと解放され、あの世に出かけたんだ。
死に臨む時、意識が混濁しているからと言って、病人はしらないわけではないし、聴こえていないわけでもないとワタシは思う。想念(こころ)は必ず伝わるのだ。
ワタシタチ夫婦はあの時、じっちゃんに約束をしたんだ。
( おばあちゃん達のことは心配しなくていいよ。ちゃんと面倒をみるからね。)って・・・。
その後だ。じっちゃんの苦しそうな息使いが、ふ~~っと楽そうになって、安らかな寝顔になったんだ。上の妹たちに最期の病院搬送をしてもらって、ワタシタチが出かけ、最後に下の妹たち夫婦がお見舞いにでかけたあと、じっちゃんは静かに病院のベットで一人息をひきとった。
最期の入院は一日のみ。高齢の姑(はは)とおばちゃんは献身的な介護によってじっちゃんを見送った。
+++ うらない +++
まだまだ、問題は沢山ある。各々の人の★☆に課題が書かれてある。単に、怪しげなる占いではないのだ。見事に人間関係が、その人々の心模様がそこには書かれている。子供の★をみれば親の生き方(過去)だってある程度よめる。
それは、それは、驚きの世界だ。
何をしなくてはならないか?多分 こちらの方へ・・・ワタシはそれが若干読めると思うのだけれど、問題は、各々が”我”を持っていることであって、例え助言をしたところで、その人々がその通り動くとは限らない。むしろ反発して逆の方向へ動いていったりする。
仕方ないわね、にんげんだもの。
結局のところ・・・”いのち”っていうのは、長短ではなくて、生かし方なんだと思う。”おかれたところで、咲く。”でしたね。出来る限り、不満の時間を残さないように、頑張ろうっと!
本日は、実家の父と、じっちゃんの月命日。
マンマミーヤがお護摩を焚きにでかけてくれることになった。
とうちゃんにもお願いをしてみたが無理だった。
( 九連休なんだけどな~、1年にたった一日、出かけることがどうしてできないのかな~と不満の気がおこるけれど、オトコ(大方の)って無理。神仏など、殆ど信じてないんだから仕方ないわね。)
ワタシには仕事が入った。ジャパンは具合いが悪いが、人手が足りないので、病気をおして出勤。
>写真は、お墓から持ち帰ったお花。この暑さでお墓のお花の水が干上がっていた。これからも、三日目くらいにはお花を下げてこようと思う。お墓で枯れているお花をみるのが嫌なんだ。
お盆の行事も何とか終了しまして・・・ご苦労さま~。
忘れないうちに、記録を残しておこう!
曹洞宗、少林寺派の 某お寺さんのご住職におしえて頂いた事。
ものの名前が正確にわからないので、知りたい方は、自分でそれらのものの名前を調べてください。あと記憶違いがあるかも知れないので、そこのところはご容赦のほど・・・。
< 配置の仕方 >
一応、ご住職に前もって教えて頂いたように祭壇を設えてあったが、手直しが入った。ひとつはろうそく立ての位置、一対の場合は問題ない(左右にふりわける)が、一つしかない場合は、祭壇のむかって右がわに置く。
緑の蓮の葉っぱの上には野菜をお供えするが、それとは別に、祭壇(下段の中央、お皿の中に、生米 + なす(なま)のイチョウ切りのものが供えてあったが、その一部を、小皿に取り、祭壇の右下、畳の上に置く。
< その意味 >
成仏していないご先祖様 および その辺りに浮遊している(?)不成仏霊は、祭壇の上に上がれない。よって、この畳の上に置かれた小皿のものを頂くことになる。
それを用意しないと、こちらの人々に悪さをする。不成仏霊達は、( ここのところの記憶が怪しいんだけれど ) 施餓鬼 お盆 お正月 にこの世に?戻ってくることが可能。その時に、このお供えものを頂くことができる。確か、お彼岸とはおっしゃらなかったと思うんだけど・・・。
成仏したほとけさまというのは、いつでもこの世に、いつでも子孫のところにやってくることができる。まえ、フューチャーリーダーのみよこ先生っていう人が確か週刊誌に書いてましたよね。ex、お茶を飲む時、フト思いついたら 「 あなたさま(おじいちゃん)もどうぞ!」って、差し上げればいいんだって。
問題は成仏していない霊の場合だよね。
次、お位牌の位置。うち(=主人の実家)には 三体のお位牌がある。●●家のお位牌。じっちゃんの両親のお位牌(昔のものなので若干大きめ、大きすぎる場合は作りなおしたほうがいいらしい )。じっちゃんのお位牌。
上段、お仏壇の向かって右に、確か?代々のご先祖さまのお位牌。で、左側がじっちゃんの両親のお位牌。
下段、中央 じっちゃんのお位牌。・・・と位置の変更あり!
< 送り火 >
お供えした野菜等は、自宅に菜園などがあれば、畑に埋める。基本土に返すみたいだ。
ワラでできた敷物、玄関(外)にぶら下げてあった白い提灯、多分 おがらも焼く。ワラのお馬さんと、牛さんはどうするんだろう?間接的に主人に聞いたので、ちょっとわからない。
これらは、お寺さんが、卒塔婆を燃やす時に一緒に焼いてあげます。と言われたのでお寺に持っていくことになった。
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そういえば・・・去年のお盆に、●●家の先祖供養もどきを嫁いで初めてやったんだった。姑はうちは まだ仏さんがでていないから必要ない。という考えだったけれど、主人を通してお願いして、ちょっと それっぽいことをやらしていただいたんだったと思う。ん、確かそう。
で、十月にじっちゃんが逝ったんだよね。重度の肺気腫。人生終焉近く、息もまともにできない苦しい状況からやっと解放され、あの世に出かけたんだ。
死に臨む時、意識が混濁しているからと言って、病人はしらないわけではないし、聴こえていないわけでもないとワタシは思う。想念(こころ)は必ず伝わるのだ。
ワタシタチ夫婦はあの時、じっちゃんに約束をしたんだ。
( おばあちゃん達のことは心配しなくていいよ。ちゃんと面倒をみるからね。)って・・・。
その後だ。じっちゃんの苦しそうな息使いが、ふ~~っと楽そうになって、安らかな寝顔になったんだ。上の妹たちに最期の病院搬送をしてもらって、ワタシタチが出かけ、最後に下の妹たち夫婦がお見舞いにでかけたあと、じっちゃんは静かに病院のベットで一人息をひきとった。
最期の入院は一日のみ。高齢の姑(はは)とおばちゃんは献身的な介護によってじっちゃんを見送った。
+++ うらない +++
まだまだ、問題は沢山ある。各々の人の★☆に課題が書かれてある。単に、怪しげなる占いではないのだ。見事に人間関係が、その人々の心模様がそこには書かれている。子供の★をみれば親の生き方(過去)だってある程度よめる。
それは、それは、驚きの世界だ。
何をしなくてはならないか?多分 こちらの方へ・・・ワタシはそれが若干読めると思うのだけれど、問題は、各々が”我”を持っていることであって、例え助言をしたところで、その人々がその通り動くとは限らない。むしろ反発して逆の方向へ動いていったりする。
仕方ないわね、にんげんだもの。
結局のところ・・・”いのち”っていうのは、長短ではなくて、生かし方なんだと思う。”おかれたところで、咲く。”でしたね。出来る限り、不満の時間を残さないように、頑張ろうっと!
本日は、実家の父と、じっちゃんの月命日。
マンマミーヤがお護摩を焚きにでかけてくれることになった。
とうちゃんにもお願いをしてみたが無理だった。
( 九連休なんだけどな~、1年にたった一日、出かけることがどうしてできないのかな~と不満の気がおこるけれど、オトコ(大方の)って無理。神仏など、殆ど信じてないんだから仕方ないわね。)
ワタシには仕事が入った。ジャパンは具合いが悪いが、人手が足りないので、病気をおして出勤。
>写真は、お墓から持ち帰ったお花。この暑さでお墓のお花の水が干上がっていた。これからも、三日目くらいにはお花を下げてこようと思う。お墓で枯れているお花をみるのが嫌なんだ。