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エンディングノート ( 2 ) 生まれおちたるは・・・おおさか

2013-10-07 04:52:34 | エンディング ノート
お葬式に行きたくても行けなかったりすることがあるだろう。みんなそれぞれに忙しいのだ。

でね、いい事を思いついたんだ。この場をお借りして( GOOさま ありがとうございます。)
故人(←ワタシが亡くなった場合の話 )をしのんでもらおう!っていうアイディアなんだわ。( どうですかね? )

このブログを見ていただいて、( ひょえ~~っ こんな人だったのか~~~ ) って思って、色々感じていただければ幸い。
ほんの一部分のワタシだけれど、所々に真実をちりばめておきましたんで・・読んで懐かしんでくんつぇ。

写真をアップしていきましょう。



ワタシは大阪の西九条と言う場所で生まれた。
姉さんは父の実家の近くで生まれたと思うので山口県生まれと言う事になる。
どこで生まれたか?という事は左程問題ではないのかも知れないけれど、ワタシは『 産土神社 』( うぶすなじんじゃ ) に関心があるのでね。

写真に写っている鳥かご、この鳥かごの角っこに額をぶつけて、眉間に3センチ位の傷ができた。当然今もその傷は残っている。おてんばだったのか?運動神経が鈍かったのか?さだかではないが、後頭部 左側にも切り傷がある。

その後頭部の傷は、恐らく 3 ~ 4 歳頃のものであると思う。ブロック塀の上を綱渡りみたいにして歩いていて落っこちたんだ。落っこちたあとの記憶は

1、診療所の外の水道で 頭の血を洗い流している。
2、ぐるぐるまきの包帯。
3、そんな状況下、どうやらその日( その日から何日かたっているかも? )はお地蔵さんのお祭りだったとみえて家の前で行われていた盆踊りに参加し、まちがって閉めだされる。

どこかのおじさんが、おうちの玄関を叩いて あけてもらう。母はワタシがお布団の中にいると思っていたらしい。

その時、たいの形をした、オレンジ色のお菓子の袋を持っていたようにも思う。盆踊りよりも、お菓子をもらいに外に出たのではないだろうか? 食い意地がはっていた。

盆踊りの歌は ♪ どっこい どっこい チ―ン チン どっこいどっこい チン もっちゃげて ほい(=持ち上げてほい?)
それ い~とこ は~とこ いとはとこ? それよよいとサッサ ♪   なんだか そんな歌詞 


チンは お鈴か? い~とこ って 従兄のこと? なんだろうね? しってるヒトいたら 教えてくんつぇ 

着ているお洋服( 編み物も含めて )は、もらったものもあるかも知れないけれど、全部母の手作りである。母は父の姉妹のために、男物の学生服をほどいて、女学生のセーラー服をつくることができる、そんな人だった。

母は世が世なら、フランスに行ってデザイナーになっていただろう。
高校生の時だったか?母の口から フランスやデザイナー という言葉がでたのに驚きだったが、本当に器用なヒトである。中学生の時も先輩がきていた私服に憧れて、こんなこんなお洋服が欲しいといったら、その通りのお洋服を作ってくれた。

ワタシはそのお洋服をきて、SING OUTのコンサートに出かけたのだった。

>写真 「 スイカを食べる姉妹 」
むかって 右側がワタシ。よう太っとりまんな~。
この頃、すきやきの牛脂を姉と争って食べていた。( らしい )今は流石に食べないわね。

暗~~い感じのワタシの写真もあるのだけれど、明るい写真のみ載せときます。





コメント (2)
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