大切な友人が一足先にでかけてしまったあと・・・。
いろいろな方々から メールをいただいた。
その中でも すごく尊敬している先輩から頂いたメールが、何とも嬉しく 美しく 前向きであるので自分の為にここに記しておこうと思う。
表にだすことは如何なものであるかとは思うけれど、ここに書いておくとなくならないし、みる機会にも恵まれるので お許しはいただいていないのだけれど 書いておこう!っと
ワタシ個人あてにくださった お言葉なんですけどね。。。
”思いをよせていた人がなくなると、その人はワタクシになったといえるだろう。
水の本質のごとくカタチをかえただけ。( ⇒ 同化する。)
「 これからスバラシイもの一緒にみていきましょう!」と
それが証拠に 想いでというかたちで強くワタクシの中にあるではありませんか。
確かに 誰かは 誰かのいのちをいただいて 只今存在しているとワタシは思う。
だから 亡くなった人はある意味犠牲者であるというような発想をワタシはこれまでしてきたけれど、そうではなくて、もっと 有りがたくて、美しいものである。という立ち場にたてることのほうが 何倍も幸せなような気がしてきた。
そして それは人間だけではなく、いただいたお食事の中の豚さんだったり、小松菜さんだったりするのだ。
「 いのちをありがとう! 感謝していただきます。」
はかないいのちであるのだからこそ、いとおしく 大切にしなくてはならない。