地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

透きとおる その一瞬は・・・ 

2016-01-20 11:15:56 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
おはようございます。久しぶりの更新になりました。
Gooさまから、どんな記事が読まれているのか?というお知らせがありますが、たまに ( どんな記事なんだろ? )と思って読んでみることがあります。昔の記事は読んでいて 超恥ずかしいです。

どういうところが恥ずかしいかというと・・・自分の書いた記事が自分の生活とかけはなれているところです。意見とか、主義主張とか、生きる姿勢とか・・・自分自身の生き方がその主張なり主義なりに、十分とはいえないまでもほぼほぼ重なっていてくれなくては誠にお寒い感じがするのであります。(恥ずかし~~ィ)

 恩師 上原輝男先生には いつも 普段着を整えるようにいわれました。( 普段着 = 普段の生きる姿 の意味だと思う。

とはいっても この時にこの記事を書いていたワタシも ワタシなわけなので それはそれで  すてきだよ~とか かなしかったよね~ とか あッたまきてたよね~ とか まずは認めてあげることが大事なように思います。そこからスタートすることが、なんとなくですが、スピリチュアルの癒しの世界と繋がっていくのではないかと思えます。

下の記事( 紫色の記事 )は 2009.4.3 のものである。

ps、たぬきちへ・・・記事の入れ替えがあったみたいなので H21.4.1の記事を丸ごと コメント欄にいれておいていただけるとありがたいです。


おはようございます。~あやかし@です。

昨日、たぬき先生のところに出かけたら、素敵な記事があったので、またどこかに行ってしまっては困るので、勝手に拝借してきました。
http://www2.plala.or.jp/WANIWANI/tubuyaki/tubuyaki.htm
< 学習だより > H21年 4月 1日の記事に飛んでください。

あこがれの 佐藤初女さんのご著書からの抜粋  

食材を「いのち」として調理するのと、「物」として調理するのでは、まったく違ってきます。いのちだと思うと、かけがえのないいのちを私たちに差し出してくれる食材に深い感謝の気持ちが生まれ、素材のすばらしさを生かしてお料理をすることにつながります。

  ・・・たとえば、野菜をゆでているとき、火のそばを離れずにじっと見ていると、野菜が大地に生きていたときより鮮やかな緑に輝く瞬間があります。そのとき、茎が透き通っているのです。私はその状態をとどめるために、すぐに火を止めて水で冷やします。

 透明になったときに火を止めると、じつにおいしく、体の隅々まで血が通うお料理ができあがります。透き通る瞬間は、素材の味が残っているだけではなく、味がしみ込みやすいときでもあるからです。映画『地球交響曲』をお撮りになった龍村仁監督にそのことを話したとき、監督はこうおっしやいました。

 「 野菜が地面に生えているときの緑色は、自分のいのちのために生き、光をはねかえす美しさなんですね。そして、野菜は調理され、自分のいのちを他者のために捧げるとき、透き通って輝くのでしょう。その瞬間を逃すと、野菜は『 いのち 』ではなく『 物 』になってしまう。料理とは、食材の『いのち』を生かすことなんですね 」

 野菜がなぜ透き通るかといえば、野菜のいのちが私たちのいのちとひとつになるために、生まれ変わる瞬間だからなのです。ですから、私はそれを「 いのちの移し替えの瞬間 」と呼びたいのです。蚕がさなぎに変わるときも、最後の段階で一瞬、透明になるといいます。また焼き物も同じで、いままで土だったものが焼き物として生まれ変わる瞬間に、窯のなかで透き通り、まったく見えなくなるそうです。

いのちが生まれ変わったり、いのちといのちがひとつになる瞬間に、すべてが透き通るのかもしれません。

 私は、透き通るということは、人生においても大切だと思うのです。心を透き通らせて脱皮し、また透き通らせて脱皮するというふうに成長しつづけることが、生涯の課題ではないでしょうか

>>>>   >>>>
あやかし@のこと・・・
生まれてこのかた、ワタシは自分の人生をどこかずっと恨みっぱなしで歩いてきたたようなところがある。

たぬきどん(=たぬき先生)とワタシには、ちょっとした共通点があるように思う。”いつも、ひとりぼっちだった”そんな感じなのかな?と思う。→これはワタシの勝手な解釈 )

昔のワタシにとっては「 児言態 」の研究会の中で、学者タイプの、何を考えているんだかわからない、たぬきどんは、実は苦手なタイプだったのだ。

しかしながら、時はすぎ、再び、再会したたぬきどんは意外な人物だった。( ひとは話をしてみなければわからない。)

恩師  上原輝男先生の退官記念講義が行われたとき
会場となった広い教室は老若男女、沢山の教え子達が集まった。立ち見が出るほど盛況だった。

あのときもワタシは 恨み の中にあったように思う。
( こんな大事な日に、なぜ子供を預かってもらえないんだ。)
ジャパンはまだ1歳になっていなかった。

広い会場で、乳のみ子を抱えた人はワタシ位のもので、ワタシはジャパンが泣いたらすぐに教室を出ることができるように、一番後ろの席に陣取った。

ミルク瓶も用意して、前だっこで90分間の時を過ごした。しかし、泣き虫ジャパンは一度も泣かなかった。
気もそぞろで、講義終了後、残った記憶は”ジャパンが泣かなかった”ということだけだった。
 >>> 20年の時 流れる >>>
たぬきどんが、この講義のビデオを撮っていることは全く知らなかった。

20年たって、ワタシの後ろ姿とジャパンのしゃっくりが入っている恩師の最終講義のDVDを見るとき、このビデオを三脚なしで撮り続けた、たぬきどんに「 本当に、ありがとう! 」と言いたい気もちになる。

もちろん、このDVDを観たところで、難解な恩師の講義内容は今もって理解不能なのだけれど、たまたま、映っている若かりし頃の、ジャパンをだっこしたワタシの後ろ姿がそこにあるのが、今、何だかとっても嬉しいんだ。( 頑張っていたんだよね。)
思い出、記憶というものは、自分自身が、今の生き方の中から、新しく紡いでいくものだろうと思う。

「 結婚前の約束とちがうじゃないか!」という思いは、結婚後、自分の思い描いていた、自分が座るであろう「 場 」と違うじゃあないか!ということであって、結婚するとか、嫁に行くということは、それ自体が、大層不自由な「 場 」に自分を置くことなのだと思う。違っていて当然なんだ。

それを、良い思い出に変えていくか、苦々しい思い出のままとどめるかは、自分の只今の生き方一つにかかってくるのだろうと思う。

自分にないものばかりを数えていてはいけない。あるものに目をむけて、じゃあ何が出来て、何ができないのか?そこをよくよく考えて生きていれば、自ずと選択ができてくるのだろう。

10代までのトラウマ、その後10年残る「 気 」これを解消するために、家族をいうものを与えられたり、世間様という人々を与えられたりして、日々、奮闘しながら生きているような気がする。

自分に透きとおる瞬間があるとするならば、それはきっと あの世に旅立つ時の魂が、肉体から離れる、その瞬間なんじゃあなかろうか?そう思った。

>写真は、広島市現代美術館に 展示されている
   岡本太郎さんの 「 明日の神話 」の原画  姉さんの手の大きさと比べてください。

注)この原画は美術館内、地下にあります。タダで、この原画だけをみることができます。それは、万人にこの壁画を解放したい という岡本太郎さんの希望を反映しているんじじゃあなかろうか?と思います。

だから、変な言い方だけれど、浮浪者の人にだって、この原画や壁画(渋谷)は解放されているわけです。


恨み事を 明るい光に変化させることができるのは 他でもない 自分しかいない。
スクールで 暗示文を作った。最終的には、私が作ったので どなたでも遠慮せずに使ってくださって結構です。著作権などありません。
『 あなたが あなたと共にいるとき、光はいつもあなたに降り注いでいます。』
コメント (4)
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