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「 子供に教えるのではない 」 こだわりからの脱出 & 夢を持つということ (1) 

2015-01-23 07:28:34 | 上原輝男先生の てるてる ワールド

 1982年 児童の言語生態の研究会、夏合宿のもの。テープを発見したので より正確なテープ起こしに努めた。

先生方の名前は 名字の一文字目を使わせていただきました。ワタシは 恩の字使用(黒)。読みやすいように色を変化させておきます。申し訳ありませんが ”先生 ”の文字は省略させていただきます。

恩師 上原輝男先生は流石に”上”ではなく上原と書かせていただきます。
  はじまり はじまり・・・。
飯 ・・・ しかも中身をチラッと見ますと耳目に関わることのようで二重の意味でおもしろいんじゃあないかと・・・。じゃあ恩さん今日の素材を配った気持ちを言ってください。

恩・・・はい。えっとですね、こないだ4月の会の時に六年生は思い切って何かをすることがないとか、妙に老成ぶっている。彼らにも夢を与えたいということが話されたんです。

で、あの そこで論理性と言う事を問われたんですけれどもね、論理的思考を育てる教材というのを私は良く知らないんですけども、私の知っている中では、まあ「 ワニの話 」っていうのと「 一休さん 」の話とあるんですね。

で、その話がどうしてその子供の夢を育てることにつながるのか良くわからなかったので、今日はそれが聞きたいことが一点と、それから何か教材を持って来たいということで、どんな教材があるか分からなかったので 葛 にお聞きして、あ、こういう教材があります。ということでね、今日はそれを印刷してきたということなんです。

この教材を読んでみて自分が感じたことは 子供たちの視点とは違った捉え方をして、より高い、高度な、というのか、高尚というのか、の目で作者が捉えていることを子供たちが一体どういう風に受け取るだろうか?というのをみてみたいな、と言う風には感じたんですけれど、

只この教材をどういう風に使ったらいいのか、わからないものですからもし何か一点で使えるとしたら それが何なのか?というのを教えていただきたい。というのが二点目なんですけれども・・・。二つのヒントを頂けたらと思うのですけれども・・・。
( 間・・・ 教材に目を通していると思われる。 蝉の声 )
上原・・・二つ言ったね。研究発表じゃなくて 皆に聞いて帰る。っていうの?
恩・・・はい。
上原・・・何を?
恩・・・一つ目は、だから その、六年生の子供に夢を与えたい っていうことを言われたんですけれども、それとね、あの、私の知っているワニの話や一休さんの話を学習するということとどうつながるのか?
上原・・・こっちのほうは?( トン ) 
恩・・・それからこの教材を使うとしたら どういうことで使えるか?( 声が一気に小さくなる )
上原・・・使うためには”使いたい”とするものがなくちゃあダメだ。ん~。昨日も言ったけども これを教えるんではない。

恩・・・これを読むと、あの、子供が今まで気がつかなかった見方というのが・・・。

上原・・・ほらね。それの姿勢がもう違うんだ。ん~。これを読めば今まで子供たちが見ていた見方とは違う何か、っていうと、”これ”(ドン、机をたたく音)が中心になっている。

だから、あなたが六年生の子供たちをやっぱりこういう方向へ持っていくんだという あなた自身が”夢 ”を持たなくちゃあダメだ。あなたが描く六年生の子供達へ近づけること自体が、あなたが夢を持って、で、私がやりたいっていう、で、その時に これは利用できる。
こういう態度でなくちゃあいかんっていうことだよ。

だから まずみんなの意見を求めて そしてそれを持ち帰りたい。というのは非常に謙虚な言い方なんで
私はこうしたいんだって、六年生の子供をこうしたいと思っている。そうして こういうものを用意しかかったんだけれども、みなさんお知恵をかして下さい(トン) って言うんだったらよくわかる。

あなたが何をやりたいのか?それがわからないのにね、これはこういう風に教えるものですよ、なんていうようなこと誰も言ってくれないよ。この会だから そりゃあ言うだろうけれどね。

他の会合に出て ちょっとこれを教えてくださいなんて言ったって誰も教えないよ。それが大人の社会だ。皆忙しいんだもの。皆自分の事をやりたいんだ。

飯・・・恩さん(以下 さん 省略)が 六年生に夢を与えたいっていうのが恩の夢だとすると、論理の領域の中でどういうふうな事を考えれば夢を与えることになるのか?と言う風な事にもなろうかと思うんだけれど・・・さっき説明していたのを聞いて言いかえるとそんな形になろうかと思うんだけれど・・・。

上原・・・あのちょっと 夢を与えるということは、う~ん、昨日までの仕事でいうならば感情面であると、で、片一方 論証性であるとか論理の問題とかは思考の問題であると、この思考と感情のつなぎ目をどうするのか?
なんで 論理的なものをやれば夢を与えることになんて変わるのか?
世界が違うんじゃあないか?ていう疑問を提出してみるということなんですか?

それとも、それはやっぱり論理を発見するということは六年生段階にとっては夢なんだというふうに考えるべきなんだということが言いたいのか?その辺はどうなんですか?


恩・・・ちょっと前者の方をもう一度言っていただけますか?

上原・・・論理の世界と感情の世界とは別ではないか、って まずその事について私は疑問を起こします。ところが六年生には夢がないと言っている。その夢は、六年生段階における夢は必ずしも感情面ばっかりとは限らない。

何か一つの論理の発見って言う事も子供たちにとっては夢を与えるということにつながるんでしょうか?あるいは繋がると私は思いますから敢えてこの材料を提出したんです、と言う風に言うのか どちらですか?って

市・・・子供は何を求めているかを言えばいいんですよ。したらこの教材はダメとか・・・この教材は ・・・とか・・・。

上原・・・いえ つまり・・。
飯・・・あのね、恩が一休さんの話とワニの話っていうことを材料にして思考教材だっていうことはわかるんだけれども それがどうして子供に夢を与えることになるのかよくわからないから教えてくれっていったでしょう。

それについて先生(上原)がその疑問の中身は、夢っていうと非常に感情領域のものだと考える。
感情領域の教材で夢を与えたいと言うならば、新しい境地に入るっていうことを夢だとするとね、感情領域のほうがやりやすいということを考えたうえで、論理と夢が結びつかないんじゃあないか?ということを考えてこれを提出したのか、その疑問なのか、ということ。

それとも思考でも新しい思考を見つけることによって夢が出来る。その為にはこの教材がいい。と言う風な意味でこれを提出したのか どうか っていうこと。
感情とのつながりでこれを提出したのか?・・・。

恩が一休さんの話とワニの話が思考教材だっていうのは分かるんだけれど、それがどうして夢だと言う風にされるのだろうか?って恩が疑問に思ったところの疑問をもう少し解きほぐして行きなさい、っていう・・・

僕なんかは最初、先生の発言がある前は いや思考の面の論理で新しい論理形式を身につけさせることは子供にとっては 新しい境地を切り開くことになるから夢ではないか。なんて言う風に単純に考えていたんだけれどね。

今先生の発言があって少しそうか~と思いながら・・・。

恩・・・わかるんですけど・・・でも・・・

・・・つづく
                         
>写真は イメージ。なんとなく。2005年 11月23日頃のもの。
# 当時の体感を思い起こしてみるならば・・・
研究会に、資料を持って出かけ、”一つの疑問点を述べることと、何かヒントをください。”と言う意見を言うだけでも当時の私にとってはとても勇気のいることであり、精一杯の事であった。

上原 ”研究発表じゃあなくて 聞いて帰るっていうの・・・?”
と言われた段階で私はかなり縮みあがったト思われる。声はかなり小さくなっている。
頭に血がのぼったのか?頭から血の気がひいたのか?どっちなのかはわからないのだが、いや、まて、ガンガンする感じに近かったと思うので頭に血がのぼったほうだト思う。

そういう状態になると、何を話されているのかがさっぱり分からなくなった。それでも、何とか皆さんがおっしゃっている意味を理解しようと努めたのだが、すでにこの時点でワタシは壊れかかってているように思う。#

>この記事は 2015.1.10のものである。
今 この時に聞きたかった質問の内容はなにか?を答えるならば、前者、すなわち、思考の領域と感情の領域は別ではないのか?夢というと感情の領域にはいるのではないか?ということになる。



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