
グッド。モーニング
早い朝 昨晩 夕方 チラシ仕上がる!家族の皆様のご協力のもと・・・
家族だから遠慮がない、言いたいことを皆が主張する。こちらは何の才能もないからひたすらお願いするしかないおばはんになる。
これは私の印象なのだからどうしようもないのだけれどこれまで、家族の中では自分の居場所がなかった。そんなこというとブログのお友達のみなさまは信じられないと思うけれど・・・(いつもえっらそうにしているからね)
家族というのは怒ったり泣いたりわらったりむちゃくちゃ本音で日々闘って初めてそこに存在できるのだと思う。家族の人数がふえれば増えるほどやっかいだ。
結婚してからのあっと言う間の二十数年間を振り返ると・・・
やっぱり嫁は辛かったなと思う。何やっても認めてもらえなかったし・・・
実家じゃあ あんたのわがままの一言で片付けられて・・・
帰る HOMEなかった。尤も実家で暮らしている時だって ず~~っと一人ぼっちだったけど・・・。(私のシェルター お隣のおうち)
元軍人の家で育つということは、大そう不自由なことで・・・私の母や姉さんは只今の同世代のそうではない(軍人以外のうち)で育った人に比べれば もっともっと、とてつもなく不自由な人生を送ってきたと思う。
主人は、長男だし、家族の中で大事に大事に育てられた人だ。おとうさんより主人中心にまわっている家庭だったっていっても過言じゃあないよな~って思う。三人の親に愛され、二人の妹に愛され・・・
私は子供かかえ、その大勢の中にいたからず~~と、どこか孤独感のかたまりだった。
主人の家族が越えてきたものも半端なく大変だったと思う。おうち何度もぽしゃったからね。家族はそれを共に越えてきた同志たちだったからそのの団結力は相当なもので私は何とか溶け込もうとしたけれど そとはともかく気持ち的には無理だった。
社会の第一線で働きつづけた企業戦士のとうちゃん(=昭和かれススキ組み)
わけわからん受験戦争で闘い続けた子供ふたり・・・。お一人さま 現在進行形。
二人とも、「ひきこもりに なりたい!」 ってか?いいかげんにしろ!とか言いたくなることだってあるけど・・・。
自分、家族を支えたんだか 足ひっぱったんだかわからないけれど・・・
世間様からみれば うちの家
「いいわね、お宅様!」状態なのかもしれないけれど・・・
自分は「いつだって 代ってあげるわよ!」と言いたくなるほど辛かったと感じる。
じゃなきゃあ、躁や鬱なんていうレベル吹っ飛ぶくらいの病気になんかなるわけないじゃない。
積もり積もった怨念とまでは言わないまでも、うらみつらみ、マイナス思考の想念は自らを病気にしていくんだと思う。
だけどね 今 ここ少ない人数のひとびと集まる ブログだからいうけど・・・
神様何だか仏さまなんだか わからないけれどね、地のそこ這い蹲ってのた打ち回っていたらね ひょっこり 「 まれびと 」さんがやってきたのよ。
どこからともなく ひょっこりとね。あっちからも こっちからも・・・。ぼんやりしてたから気づかなかっただけ。
いつも 思うようにしていることは・・・
それは・・・家族はもちろんのこと、誰にも信じてもらえずすべての自由をうばわれたと感じた院内。あの日々を決してわすれまい!ということ。
やったものにしか 決してわからないって!それをわかってくれ!って言ったって無理!絶対 無理!
だけど 自分の中にもし 仏さまとか神さまっていうものが存在しているならば その人達(=神様 仏さま)だけは
「 頑張ったね、頑張ったね、」って言って応援してくれて、いつだって見守っていてくれているんだと思うな~。
あの日々のことを思えば 今日のこの自由な一日は 感謝よ!ありがとう!
でもって とうちゃんと 子供達にはやっぱり「ありがとう!」っていわなくちゃあいけないよな!って自分に言い聞かせるんだ。
自分にできて 他の人にできないこと。他の人にできて 自分にできないこと。
お互いに穴をうめあって今日一日頑張る!きゃないわね。
今からご飯炊いて、一足先にイチョウ村にもどり マンマミーヤ様がお忘れになった美術の道具あとからやってくるマンマミーヤの電車までとどけますわ。
「過保護ってか?」そんなこと 百も承知よ!世間様はいろいろ言うのよ。わけもからないで・・・。
自分ととうちゃんとよくよく考えて意見交換して、自分はやっぱり母親だから、子供の目を見て健康状態判断して、一番よかれ、って言う方法を考えて行うしかないと思う。
ん じゃあいそがしいんで・・・。
本日も長々 お読みくださってありがとうね!今日は印刷やのおじさん 何ていうかな?すっごい 楽しみ!
早い朝 昨晩 夕方 チラシ仕上がる!家族の皆様のご協力のもと・・・
家族だから遠慮がない、言いたいことを皆が主張する。こちらは何の才能もないからひたすらお願いするしかないおばはんになる。
これは私の印象なのだからどうしようもないのだけれどこれまで、家族の中では自分の居場所がなかった。そんなこというとブログのお友達のみなさまは信じられないと思うけれど・・・(いつもえっらそうにしているからね)
家族というのは怒ったり泣いたりわらったりむちゃくちゃ本音で日々闘って初めてそこに存在できるのだと思う。家族の人数がふえれば増えるほどやっかいだ。
結婚してからのあっと言う間の二十数年間を振り返ると・・・
やっぱり嫁は辛かったなと思う。何やっても認めてもらえなかったし・・・
実家じゃあ あんたのわがままの一言で片付けられて・・・
帰る HOMEなかった。尤も実家で暮らしている時だって ず~~っと一人ぼっちだったけど・・・。(私のシェルター お隣のおうち)
元軍人の家で育つということは、大そう不自由なことで・・・私の母や姉さんは只今の同世代のそうではない(軍人以外のうち)で育った人に比べれば もっともっと、とてつもなく不自由な人生を送ってきたと思う。
主人は、長男だし、家族の中で大事に大事に育てられた人だ。おとうさんより主人中心にまわっている家庭だったっていっても過言じゃあないよな~って思う。三人の親に愛され、二人の妹に愛され・・・
私は子供かかえ、その大勢の中にいたからず~~と、どこか孤独感のかたまりだった。
主人の家族が越えてきたものも半端なく大変だったと思う。おうち何度もぽしゃったからね。家族はそれを共に越えてきた同志たちだったからそのの団結力は相当なもので私は何とか溶け込もうとしたけれど そとはともかく気持ち的には無理だった。
社会の第一線で働きつづけた企業戦士のとうちゃん(=昭和かれススキ組み)
わけわからん受験戦争で闘い続けた子供ふたり・・・。お一人さま 現在進行形。
二人とも、「ひきこもりに なりたい!」 ってか?いいかげんにしろ!とか言いたくなることだってあるけど・・・。
自分、家族を支えたんだか 足ひっぱったんだかわからないけれど・・・
世間様からみれば うちの家
「いいわね、お宅様!」状態なのかもしれないけれど・・・
自分は「いつだって 代ってあげるわよ!」と言いたくなるほど辛かったと感じる。
じゃなきゃあ、躁や鬱なんていうレベル吹っ飛ぶくらいの病気になんかなるわけないじゃない。
積もり積もった怨念とまでは言わないまでも、うらみつらみ、マイナス思考の想念は自らを病気にしていくんだと思う。
だけどね 今 ここ少ない人数のひとびと集まる ブログだからいうけど・・・
神様何だか仏さまなんだか わからないけれどね、地のそこ這い蹲ってのた打ち回っていたらね ひょっこり 「 まれびと 」さんがやってきたのよ。
どこからともなく ひょっこりとね。あっちからも こっちからも・・・。ぼんやりしてたから気づかなかっただけ。
いつも 思うようにしていることは・・・
それは・・・家族はもちろんのこと、誰にも信じてもらえずすべての自由をうばわれたと感じた院内。あの日々を決してわすれまい!ということ。
やったものにしか 決してわからないって!それをわかってくれ!って言ったって無理!絶対 無理!
だけど 自分の中にもし 仏さまとか神さまっていうものが存在しているならば その人達(=神様 仏さま)だけは
「 頑張ったね、頑張ったね、」って言って応援してくれて、いつだって見守っていてくれているんだと思うな~。
あの日々のことを思えば 今日のこの自由な一日は 感謝よ!ありがとう!
でもって とうちゃんと 子供達にはやっぱり「ありがとう!」っていわなくちゃあいけないよな!って自分に言い聞かせるんだ。
自分にできて 他の人にできないこと。他の人にできて 自分にできないこと。
お互いに穴をうめあって今日一日頑張る!きゃないわね。
今からご飯炊いて、一足先にイチョウ村にもどり マンマミーヤ様がお忘れになった美術の道具あとからやってくるマンマミーヤの電車までとどけますわ。
「過保護ってか?」そんなこと 百も承知よ!世間様はいろいろ言うのよ。わけもからないで・・・。
自分ととうちゃんとよくよく考えて意見交換して、自分はやっぱり母親だから、子供の目を見て健康状態判断して、一番よかれ、って言う方法を考えて行うしかないと思う。
ん じゃあいそがしいんで・・・。
本日も長々 お読みくださってありがとうね!今日は印刷やのおじさん 何ていうかな?すっごい 楽しみ!