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先日、一人息子の誕生日でした。40歳になります。
その日の朝でしたか、自宅の玄関ポーチと玄関を掃いていて、ふと、見上げたところに、この日本画が掛かっていました。自宅は、息子誕生の5ヶ月前に完成して、だいぶおおきくなったお腹を抱えて、引っ越してきました。
新築のために家財道具をあずかってもらえる棟梁の別宅に仮住まいをしていましたが、ムスコの誕生が判明してからずっと、欠かさず、その仮住まいの近くにあった小さいお社にお参りをしました。
そのお社をスケッチして、亡き母が描いてくれた日本画が、この40年間ずっと玄関土間のこの場所に掛かっています。ふだん、何気なく、そこにあるのが当たり前のように、気に留めませんでしたが、今年は、こうしてはじめて写真にまで納めるほど、見入ってしまいました。
母が鬼籍に入ってから、20年近くになります。生きていたら90代の終わりごろです。母亡き後、5年して父もかの地に旅立ちました。生きていたら、108歳くらいでしょうか。。。
そしてその後、10数年、お墓には両親だけが眠っていました。
先月、私の長兄が永久の旅立ちをしました。享年78歳。まだ1ヶ月にもなりませんので、両親の傍らに行くのには、日が浅いです。
大手商社に就職してのちに、当時はトラバーユと言われた脱サラ?を果たし、多年東京駅八重洲口に小さな会社を70歳まで持っていました。やがては、自分も加わるはずの両親の墓地の近くに、と、当地にマンションの一角を求めてやってきて8年、呆気なく、逝ってしまいました。前日は自分で運転して買い物にまででかけたそうです。いろいろの事情があって、長兄とはしばしば会うという関係ではありませんでしたが、この年の離れた兄にはよくかわいがってもらい、一度も叱られたこともたたかれたこともありません。数年前に、精進料理のお店で御馳走になったときには元気でした。
故あって、(それが兄の運命といえばそうなりますが)再婚した相手の人とは、親しく交際することもなくそれどころか、どこのだれかも知らない相手として、父は、生前、公式の遺言書も残したほどでした。次兄が祭祀権も含むすべてを相続したために、結局、父なき後は、三周忌あたりが、二人の兄の顔を合わせた最後の機会だったように思います。
私が、次兄に「次は訃報ということになるから、今のうちに普通の関係に修復して」と頼んだこともありましたが、次兄は「それでいい」と申し、実際、そうなってしまいました。
次兄は長兄を尊敬し、愛していました。やっと、肉体が動かなくなって、10年以上ぶりに再会、お兄ちゃん、と泣き崩れていました。私だけに知らせるけれど、次兄には連絡をとらないで、と、長兄の配偶者に言われましたが、私は自分の一存で、次兄にも知らせました。
お通夜、お葬式は省略の、何とも悲しい哀れな最期の別れでした。
仏心の豊かな家に育った長兄は、自ら、お寺の庫裏の修繕にも寄進したり、普段から、ご住職さまとも親しかったので、一切しきたりなど知らない兄の配偶者に期待せず、ボランティアのように、ささやかな一連の行事を施してくださいました。野辺の送り、というような最後です。
四十九日の間にも、何度もお参りに行きたいのですが、とてもそれを言い出せる雰囲気ではないので、納骨以降、心ゆくまでお墓の兄に会いに行こうと思いを変えました。
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木蓮が開花、そろそろ落下します。
桜の開花を待たずに逝った兄を想い、ますます、わびしいです。
そんなこんなで、遅くお迎えした私のおひな様のお帰りの行事もする暇もなく(時間的にはひまでしょうがない日常ですけれども)今夜も陋屋のお仏壇に手を合わせてだけきました。
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長兄の危篤の案内は、何故か、この家の義父の月命日のお参り日に、夫のケータイに入った市民病院からの連絡でした。個人のケータイ電話番号など普通わかるはずもないところ、きっと、義母の最後のときにお世話になり、連絡先が登録されていて、何とか私どもまで届いたのだと、不思議な気持ちがします。またその日月忌参りのお寺さまは、長兄の幼稚園から高校までの親友であられ、だれにも知らせない家族葬にも満たない最期の別れに、「友人として」お経をあげにきてくださったのでした。お香典以外に、枕花を供花しただけで、何もできなかった愚かな妹である私が長兄にできた偶然のプレゼントでした。
そういえば、マンションへ亡骸を運ぶという兄の配偶者の意見に従うしかなかったのですが、7階へ連れていくエレベータには棺は入りませんでした。その際のすったもんだがおどろおどろしくまだ記憶にあります。。。
とりあえず、新スマホで撮った写真のみ送信(もっと簡単に送れるはずですが)してみました。