最終章だけど、、、

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投稿方法も忘却の彼方へ

2023-04-22 23:13:28 | 日記
長いこと、電脳箱とは無縁の暮らしをしてきました。
最初に、ケータイの画像データの消失から始まり、
次には、PCのハードディスクが壊れて、
それは、さながら、私の脳内も同じ現象のように思えてなりませんでした。
2月中旬に、ささやかながら、私のお勤めが今年度の分終了して、それからちょうど2ヶ月。
つい数日前に、今年度の就業第一日目で、重すぎる腰をやっとこさ、起こした次第です。
長兄が急逝してはじめての月命日の日でもありました。

月遅れに出したお雛さまをお帰りいただく(片づける)のを日延ばせして10日ほど前に決行しました。
今までになく、お雛さまひとりひとりに、声掛けしてのお片付けでした。
仕丁の一人、下足をずっと持っている人には、「お疲れさまです。ゆっくり一年間ほど休養してね。いつ何時、お出ましがあっても、いいように、主君によく仕えられましたね。」と。
五人囃子の鼓を肩にしている人には、「雅な調べをありがとう。休憩したら来年もきっと変わらず登場してくださいね。」と。
以下、これ以上こんなセリフを延々とここにお示ししても、お笑いを誘うだけですよね。。。

私の兄は、長子として、期待を一身に背負って、一時期までは、一家の期待の星として君臨していた、そう幼い私は確信していましたし、
次兄も(多年、長兄次兄は仲が険悪でした、それなのに)「お兄ちゃんは、僕の誇りだった。自慢の兄だった」と絞り出すように声にならない声で、最期の一瞬まで慚愧の念に堪えない様子でした。

その長兄は、ひょうきんな人でした。私が小学校入学のころには、もう高校生くらいに年が離れていて、
お雛さまの前で遊んでいた私にこんなことを言ってくれたものです。
「あっ、ぽこちゃん、残念。今、ぽこちゃんがあっちを向いていた時、お内裏様が笑っていたよ。」
私、「えーーー、どこどこ、今度は真剣に見て待ってる」
兄、「今度は、随身の真っ白い髪の毛の男の人、お菓子を口の端につけていたよ、惜しーーーい」

こんなふうに、私をからかったものでした。
よく、私が(女の子がいない両親が思いあぐねて神仏に頼んで)お寺の階段の上におくるみごとかごにはいって、いたのを、偶然目にして、うちの子になったのだよ。だから、おとうさん、おかあさんは、本当のおとうさんおかあさんじゃないの」とも言って、私が「おかあさーん」と号泣しながら、その膝に泣き崩れていくのを楽しんだ人でもありました。「お兄ちゃん、またそんなこと言って!」と母に叱られても、えへへ、と笑っていました。
一度も、大きい声で叱られたり、命じられたことはありません。
どこへ行っても、お土産を忘れない優しい兄でした。
次兄とも7歳くらい離れていましたが、お互いの結婚まで同じ家で過ごして仲がよかったのを、長兄は、「このお人形さんがいつも、ぽこちゃんの味方をしてくれる。〇〇ちゃん(次兄の名前)がぽこちゃんだけの〇〇ちゃんでなくなっても、さみしいと思わなくていいよ。〇〇ちゃんは、いつもぽこちゃんの幸せを祈っている。口に出さなくても、僕も〇〇ちゃんもぽこちゃんが大好きだからね」と、大学生だった私を気遣ってくれたものです。
商社マンで、世界中を気軽に走り回っていた兄、駐在員の妻として同行できない、と最初の配偶者が離れましたが、後に再婚をしました。脱サラをして、東京駅八重洲に小さな商社を経営して、70歳近くに後進に会社を譲り、何を思ったか、半世紀ぶりに、この地に帰ってきました。両親の眠る地が落ち着くとのことでした。毎月お墓参りを欠かさなかったそうです。まもなく、自身もそこへ行こうとしていますね(涙)

長いこと、時が止まったように過ごしました。
陋屋のほうは、幸いまだ雑草の成長も見られず、除草はこれからです。玄関先のポストは木塀から入れる形で、受け箱が壊れていました。やっと、何とか探してとりつけました。



長兄は達筆の人でした。あの世からハガキを書いて、ここにいれてくれないかなぁ、というのが、壊れた受け箱を直す動機でした。お雛さまと語ったり、こんなことを思うなんてどうかしていますね、私。
初めて写真データをPCに落とすべく、初写メをしたわけです。

いつものかわらぬところですが、もう一枚。

玄関先から周囲数メートルは、自動的に人を認識して、ピンポンと鳴らすドアチャイムが取り付けられていましたが、最近不調でした。
中門の柱にワイアレスのアイホンを設えました。
何だか、おにいちゃんが、こっそり、いたずらっ子のように、中門のを押してくれるのでは・・・とも本気で思ったりします。家の中の画面の中にお兄ちゃんが出てくれたらいいのに、、、
チャイムを取り付けたところには、今までかけ花入れの籠を吊り下げていました。小さい花籠をまたアイホンの上にでもかけようと思います。
勿忘草や、ミモザが好きだった長兄が見ているから、ずっと、お花を生け続けます。

とことん、疲れ切ってやっと小さな仕事も始まり、こんな子供じみた発語をしている自分がいます。
何とか少しずつ、日常が戻ってきました。。。

スマホにはなれませんが、壊れたPCの代わりになるもとサブ役のPCが、いい相棒になってくれそうなので、昇天したPCのことは、白状にもすんなり忘れた私でした。
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