最終章だけど、、、

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コロナが及ぼした現象といえば、

2023-04-26 02:22:30 | 日記
いろいろありますよね。
密を避けるために、各種行事がほぼ休止状態、あるいは、規模縮小状態になりました。
それでも避けられないのが、葬儀関連です。

人の最期には、呼ばれなくてもお悔やみに伺うのは認められている、と聞いています。

東洋経済オンラインから借用します。

村八分とは、村社会の秩序を維持するために行われた処分のことで、共同決定事項に違反したり、共同労働を行わなかったり、あるいは犯罪行為をはたらいて秩序を乱した場合など、その家に対して交際を絶つなど人付き合いが制限されました。

八分とは冠・婚・建築・病気・水害・旅行・出産・年忌の8種のことで、これらは制裁が加えられる対象となるわけですが、残りの2種である火事と葬儀は別とされていました。

火事は、村全体へ火が回ってしまったら自分たちの生命や財産が危うくなるから、葬儀は村人への疫病の伝染を防ぐため、やむをえずであっても助け合わなければいけないというものです。

家族は、臨終から通夜等を通じて故人の側にいるため、感染症が原因であれば「濃厚接触者」である状態です。自分たちで葬儀の準備等を行い家の外に出ることによって、感染が拡大してしまうことも考えられるでしょう。死体の処理ができず放置されてしまったら、さらに事態は悪化してしまいます。

若い男性は墓穴を掘り、女性は台所でまかない仕事などを分担します。こうして死穢(しえ)を遠ざけようとしていたのでしょう。

コロナと満更無関係でもない話題です。
職場でも、この2,3年ほぼ定着したのが、家族葬というスタイルだと感じるようになりました。身内と、お寺さま、神主さま、神父さま、牧師さまなどだけで、儀式を行い、他人の出席や、香典・供物なども一切お断りする そんなやり方が、職場の方々の不祝儀にはよく見られ、すでに説明の必要もないほどです。
他人は、お世話になったあの方に、せめて香を手向けたいと思っても、容易にはできません。

家族葬では、家族の範囲は場合場合、あるいは、人々の思い次第なので、その規模は特定できませんが、最も親しかった親族だけで、最期の別れの儀式をする、というのは、意義深いようにも思います。
それでも、規模が小さいながら、家族葬にも通夜・葬儀というお弔いのステップを踏みます。

村八分の例外は、葬儀と火事だと先程のネットからの借用コラムに書かれていました。
ですから、〇〇には訃報を知らせたくない、最期の場に登場してほしくない、と主催者側がいえるものではありません(と、私は思います。気持ちのある人は誰だって、焼香の列に混ざることができる、と。コロナ禍は例外としても)
長兄の葬儀(とは言えない、私は今でも得心していません)に、次兄は来てほしくない、と長兄の配偶者が声を大にして言いました。人道的にも、常識的にも考えられません。喪主がこの人であることを呪いました。
さらに、家族葬ではなく、あとで、私がいろいろ調べたところ、長兄の儀式は「直葬」という範疇に属すことが分かりました。死亡が確認できてから丸一日は、火葬できないので、その間、霊安室などに保管してもらい、すぐに、火葬場へ見送ります。宗教的な儀式はほとんど、伴いません。
保管に費用がかかると聞いて、長兄の配偶者は、自宅に亡骸を運んでもらいました。火葬されるまで、何度も兄の顔を見に行きたかった、最期に心からの感謝を何度も言いたかった私ですが、兄一人にして、留守になっている時間帯が多くてかないませんでした。

コロナが及ぼした影響も「直葬」にはあると思われます。人目にさらさず、亡骸をなきもの とする必要があれば。

別れがたく、仮通夜、通夜、葬儀、とお線香とお経にどっぷりつかって、亡骸と時を共にする、家族葬であっても従来の葬儀であってもかわりません。

それを端折って、火葬を目的にするなんて、、、

いったんここで止めます。
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