国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

本能寺の変と明治維新

2014年01月22日 | 日本国内
本能寺の変が「堀川政略」と同様の茶番であったとするならばその目的は何だろうか?その背景として重要なのは、宣教師を保護し宣教活動を容認しなければ彼らから硝石(火薬の原料)を輸入できず、鉄砲隊による日本の統一も困難になるが、宣教の結果として北部九州を中心にキリスト教の普及と神道・仏教寺院の破壊が進み長崎の様にローマ教皇領になる土地もできて日本の植民地化が進んでしまったと言う信長のジレンマである。国際派日本人養成講座では信長は今までのキリシタン保護政策を「我一生の不覚也」と後悔したという。宣教師との関係を悪化させても日本統一が可能になるめどが立った時点で宣教活動を禁止すべきという考えが信長周囲の日本支配階層(信長本人を含む可能性が高い)にあったであろうことは想像に難くない。そして実際に信長の後を1582年に継いだ秀吉は1587年に中国・九州平定が完了すると、直ちに「宣教師追放令」を出し、軍事要塞化されつつあった長崎を直轄地とした。残るキリシタンも家光の時代の天草の乱で全滅している。このキリスト教に対する政策転換を実現するには国家指導者の変更が必要であり、そのために信長は自分が死んだことにして秀吉に後を譲ったという仮説を私は提唱する。あるいは朝廷と家康らの武士(場合によっては秀吉も?)が相談して政策転換に躊躇する信長を殺したという可能性もあり得るだろう。 . . . 本文を読む
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