唐茄子はカボチャ

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十五才 学校IV

2008年02月26日 | 男はつらいよ・山田洋次
十五才 学校IV

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学校のシーンが少ない「学校」です。
学ぶって何だろう・・・考えさせられます。
縄文杉を目指す旅の中で、いろんな人と出会い、心を通じ合わせたり傷ついたりして一回り成長しました。学ぶって、こういうことなんだろうと思えるわけです。
子どもの学んできた姿を見て、親はたぶん、たくましく思ったのでしょう。子も、ただ反発の対象だった親の見方が変わったのでしょう。

ひとりひとり、親が子をどう思っているか、子が親をどう思っているのか、近い存在で分かり合えるはずの関係が、実はわからなかったりして・・

親が子どもを見る基準は、どうしても、まわりの同世代の子なわけで、それは当たり前のことです。周りと違うことで、育て方が悪かったのかとか、色々悩んで自分を責めてしまうかもしれません。子どもの恥は自分の恥にもなります。
でも、それは仕方のないことのように思えてきました。周りがそういう目なんだから。そこで、それぞれの個性だからって、子どもを優先できる親は相当頑固者か、偏屈者か・・それに、子どものこれからの幸せを考えたら、この子を自分の手の及ぶうちに何とかしてあげないと・・・と強制的になってしまっても、気持ちとしてはわかります。

・・・でも、それをやられる方はたまったもんじゃないということでしょう。

子どもの立場からかんがえると、自分は本当に両親から愛されているのか、とても不安なんでしょう。おやがキーキーいう度に親の面子で自分は生きてるんじゃない!と反発するのもわかります。

そう。どっちが悪いか・・・とかじゃなくて、分かり合えていないだけの問題な気がしました。全部わからなくてもいいから、わかろうとする努力が必要なのではないのかなあ・・・

ありにままの自分を好きになることが一人前への一歩・・・どうじに、ありのままの自分を認めてくれる場所が必要なのでしょう。本当は、家庭だったり学校だったりがそうでなくちゃいけないと思います。

学校にも行かない、経験をつんでいない子ども、でもまっすぐな気持ちとやさしさを持っているわけです。欠点はいっぱいあるだろうけど、みんなが言うようにいいところもいっぱいあるし、魅力を持っている。

逆に大人だって、完璧なわけじゃないわけで、経験をつんだけど、人の気持ちがわからなくなっていたり、世間体を気にしたり、何が大事かわからなくなる時だってあるし・・・

人間社会って、いいところと悪いところを持った人間がつながって生活するところなわけで、だから支えあって生きていくわけで・・・その社会の中で生きていく力を身につけるのが学校なんだろうと思います。

学校自体が「社会」なわけで、人と人とのつながりが組織的に作られる場所で、そこでは授業だけでない色々な感情とかコミュニケーションとかも学んでいくわけです。

そうやって考えていくと、頭のいい悪いによってクラスを変えちゃうとか、色々ありますけど、それって一面よさそうに見えるけど、社会での人との関わり合いを学ぶという点では、いろんな人がいたほうがいいわけで、そういう暮らすわけをするというところに、成績でしかものを見ない考え方が見えてくるような気がしました。

一つ一つのエピソードがとても感動する映画です。

山田洋次監督の人に対する優しさを感じます。