つづれ日記

不定期更新です。日常の日記だったり、悩みだったりを綴ったりしています。内容は特に統一性はありません。

最後の…。

2013-03-31 | MSW(医療相談員)日記
一昨日、ついに、退職と相成りました。
この一週間は、ほんとう、長かったです。
心境としては、水曜日まで、「早くやめたい」が8割を占めていました。
その場にいたくない、職場の人に会いたくない、連携業務したくない、の「ないないづくし」。
それでもどうにか申し送り書作成と書類処理を終えまして。
関わっていた患者さんが来院してたら、自分が退職する旨の謝罪と、対応させて頂いたお礼を言って。
関わりの多かったケアマネさん方にも謝罪とお礼のお電話をして。
最終日には院内の各部署に挨拶回りして。
どーーーにか、無事(?)退職致しました。

一連の業務の中で印象深かったことがいくつか。
担当していたある患者さんから、「せっかくやっと馴染んできたのに、寂しくなる」と涙ぐまれたこと。
とても、申し訳なかったです。あの方にとって私は、あの病院で頼りにできる数少ない相手だったので…。
あと、以前から応援して下さっていたケアマネさんに退職報告した際、とても惜しまれた事。有り難く、申し訳ない気持ちでした。
あと…これは少し毛色が変わりますが、病棟に挨拶回りしたとき、師長から「次はもっと自分に厳しくならなきゃね」と言われたこと。
…やはりというか…私は「甘えた人間」だと、認識されてるのでしょうか。
甘えてるんですかね、私…。頑張ってたんですけど…。

などなど。他にもいろいろあったはずなんですが、何故かあまり思い出せません。
今となっては、病院で勤務していた記憶が、若干遠いです。
働いていた感覚自体は残っているので、なにやら不思議な感覚…。

沢山の職員から、「ここで働けたのだから、どこに行っても大丈夫」と言われましたが、
私自身は「働けなかった」という感覚の方が強いので、自信がありません…。
大丈夫かなぁ、私。
大丈夫じゃなくても、やっていかなきゃいけないんでしょうけど。



というところで、MSW日記は、今回が最終回になります。
(万が一、また病院で勤務になったら、再開するかもしれませんが。)
ここまで、稚拙な文章を読んでくださっていた方々、ありがとうございました。

今後なんですが、家の事情もあるので、一先ず、一週間は就活を忘れて自分のエネルギー充電と家の手伝いなんかに費そうかなと思います。




あと一週間。

2013-03-25 | Weblog
泣いても笑っても…というか、泣いたし笑った(?)MSW勤務も、あと一週間です。
(ちなみに今日は、引っ越し手続きのため代休を頂いてました。)

過去の勤務を振り返って、真っ先に思い出すのは、
私が調子を崩してから先輩と二者面談している場面。
あれはとにかく…うん、強烈だったから…。

当時は痛い、辛い、とばかりだったけれど、
今思えば、大事なことを指摘されていたのだなぁとも思える。
「自ら世界を狭めてしまってはもったいない」
「相手に理解してもらうことを諦めていないか」
「それはやっぱり甘えだと思う」
等々…
先輩の語気、視線、態度等と相まって、それはもう迫力満点で、
異論を唱える気すら起こさせず、絞り出した訴えは一刀両断され、
新旧両方の傷を抉られる威力でしたが。

とてもとても辛かったという気持ちが抜けず、
先輩にはその辛さが理解しがたいことのようなので、
素直に「有り難い」と思えない部分もありますが、
それでもやはり、指摘してもらったことは、今後に活かせると思います。



今回の病院勤務は、技術向上云々の前に、私の「生き方」というか、
自分に対する評価というか価値観と言うか、そう言う、
「私」の根本に大いに影響を与えた2年間でした。

過去の自分と大きく変わったのは、
「辛いと感じたことは、些細なことでも重大なことでも、
 口に出して構わない」
と思えるようになったこと。
過去の私は、
些細な困難であれば「人に言うほどじゃない」と黙し、
重大なことであれば「心配をかけてしまうから」と黙し、
結局、ほとんどの事を自身の中にためこんで、
でもそれらを消化することも出来ず、かってに落ち込んで、
何とか自分を保つために他者を否定していた部分がありました。

――こんなこと言ってもどうにもならないだろう。
――今私なんかの愚痴を言って、相手の負担を増やしてはいけない。
――どうせ口にしたところで、否定されるだけだ。
――私は一人で頑張らなければいけない。頑張れる。
――人から望まれる人間でなければならない。
等々。
歪んだ固定観念が多々あったけれど、
今も完全には払拭されてはいないけれど、
いくらかは、「それは思い込みで、実際はそうじゃない」
と思えるようになった。
大きな変化だと、思っています。



次の就職先は、まだ決まっていません。
それなりに、就職活動はしてるんですけどね…。
以前の私なら、「まだ決まっていない」ということを情けなく思って、
勝手に押しつぶされて、ふさぎこんでしまった事でしょう。
でも今は、「まぁ、いいか」と、思える自分もいて。
心構えが違うだけで、随分と楽になるんですね。



さて…あと一週間。
出来ることは限られている。
いくらか、時間を持て余す可能性もある。
出来るだけ、有意義に過ごせるように、がんばろう。
気負い過ぎないように、後悔のないように。


歓送迎会がありました。

2013-03-16 | MSW(医療相談員)日記
良いことと、悪いこと…というか、辛かったことと、両方ありました。

良いこと、としては、
まず、思ったよりも多めの人から、
「寂しい」と言っていただけたこと。
といっても、10人程ですが…。
もう一つは、自分が辞めることが、
病院にとっては損失であると言っていただけたこと。
(まぁ、仕事の戦力として、という意味では無いですが。)
それらは、裏返せば、
私の存在は病院にとってプラスに働いていた、
ということだから。
この病院で、ひいては職場で、
自分の存在が初めて肯定された気がしました。

辛かったのは…
私と同じく、今月で職場を変える人から
「頑張れよ!頑張らなきゃダメだ」と、
なんども何度も繰り返し言われ続けたこと。
その人は、頑張って頑張って苦労して、
自分の次の職場…夢を、掴んだ人でした。
その人は、
頑張らなきゃダメだ、頑張ってこそ人生だ、
と、信じているようで、それを後進の者にも
引き継ぎたいと考えているようでした。

そういう生き方もある。
わかってはいたんだけど、私にとってその言葉は、
励まされるというより、ただただ辛かった。
今回の私の選択を否定されるようで。
また、「生きる」…「生き続ける」ことが、
まだ恐怖の対象である私には、
「生きるために頑張る」こともまた、怖かった。
あの人は私のそういう状態を知らないので、
純粋に、応援してくれたのだろうけど。
ごめんなさい。つらかったです。
それでも否定の言葉を吐くわけにはいかないので、
精一杯笑顔で、同意を示したつもりだけど、
うまく笑えてたかなぁ。

失敗だったのは、
あの人が一度トイレに立ち去ったとき、
糸が緩んで、泣いてしまったこと。
同席には、相談員の先輩もいて。
楽しい席なのに、よくなかったなぁ。
それに、トイレから戻ってきたあの人に、
「大丈夫、今がどん底と思ってるかもしれないけど、
僕はもっとどん底だった。
そこから頑張ってはい上がってきたんだから。
努力すれば大丈夫。」
等など、涙の意味を取り違えた言葉を投げかけられ…。
聞く人によっては、嬉しい言葉なのでしょう。
でも私には、辛かったのです。

ーー今がどん底なんて、思ってない。
仕事は決まってないけど、以前の方が数倍辛かった。
あなたの経験談は、聞きたくない。
「あなたの辛さなんてまだまだ」だと、
言われている気持ちになるから。
頑張らなきゃダメだという強迫観念から、
ようやく抜け出しかけてるのに、
またそこに引き戻そうとしないで。

…と。
耳を塞ぎたい気持ちをなんとか押し殺し、
笑顔を作ろうと必死でした。


人を励ますというのは、本当に難しいことですね。
今回のあの人の言葉は、
私以外の誰かには、とても力強く聞こえたのでしょう。


その一連の出来事が、歓送迎会の最後に起こったため、
下手すると「辛い歓送迎会だった」という記憶に
なってしまいそうだけど、
嬉しかったこともあった。
それを忘れないようにしたいと思います。

やはり…。

2013-03-11 | 就職活動
先日記事に書いていた病院に、見学に行きました。
病院自体としては、わりと良い雰囲気だったよ。
でも…。

病院勤務ってことは、また連携業務が多大になってくるわけで。
また不特定多数の人、組織と繋がりを作ってさらに維持しなければならないわけで。
その作業が苦痛極まりない、ということに、
落ち着いて考えてから気付いた。

人は好きだけれど、
人を認識するのは苦手なんだよ…。
そして覚えられないという事実が怖いんだよ…。
際限なく広がる人脈はもう恐怖の対象です;

っていうことで、残念だけど、今回の求人はパス。
今後に期待。

3月中に決めなきゃ!って焦ってたから、
自分にとって何が辛いことなのか、ということを失念しかけてた。
危ない危ない。
また同じことの繰り返しをするところだった。
「なにがしたいか」と同じくらい、「何をしたくないか」も
大事なんだな―と思いましたとさ。

…はあ…。
先は長い、のかなぁ…。
まあちょっと、疲れたから、休みたい気持ちもあるけど。
一度だらけたら、復帰できなさそうで怖い…。

無題

2013-03-05 | Weblog
ふと、思った。

「心配してくれてたんだなぁ」と、思うことはあっても

「心配してくれてるんだなぁ」と、思うことは

殆どない。



相手の言動が

自分を思気遣ってのことだと

そういう発想に至ることが。