アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

99パーセントは、ロボット、もしくはブタ

2023-01-10 06:37:04 | 道教neo

◎本物のブタ

 

自分がブタ小屋から出たブタであることは知らぬが花。だがブタであることに気づいたら本物のブタになるしかない。

 

ダンテス・ダイジの未刊行の老子狂言の最後から2番目の詩を引用。

 

『格言5

知らぬが花なのよ、

少なくともブタ達にとっては。

言い古された言葉だが、

民主主義も共産主義も、

衆愚政治に他ならない。

不幸は、

ブタをブタ小屋から出したところから始まる。

現在の人間進化のステップでは、

99パーセントは、ロボット、もしくはブタである。

現文明の崩壊は、とっくの昔に始まっている。

そして、それは逃げるすべのない宇宙的テストでは、あるのだが・・・

 

ところで、

ブタが本当にブタであり、

ロボットが本当にロボットなら、

それはそれで素適だ。

賢者といい聖者といい超人というも、

結局、本物のブタでありロボットであることに違いはない。

老子よ、あなたは何という俗物なのか!

他のありとあらゆる者と同じように。

 

産まれて生きて死ぬというのに、

君は

この上、何を問題だというのかね?』

(ダンテス・ダイジ/老子狂言から引用)

自由な石屋さんものを読むと、現代の大衆は、洗脳された奴隷だったり、マインド・コントロールされた子羊であるというように描かれている。

誤解を恐れずに言えば、洗脳される側と洗脳する側とに大した違いはない。

どうして自分はブタ小屋から出てしまったのだろうか。どうしてアダムとイブは楽園から追放されてしまったのか。

 

この時代は、人を効率的にブタにするシステムが発達、完備していて、ブタ王なるマスコミが四六時中提供するニュースに、民主主義的なあるいは共産主義的な教育カリキュラム、個人の人権を先験的に認める神なき私権擁護の法体系、そして人間とは肉体人間であるという大前提を疑わない現代科学と、あらゆるブタをブタ小屋の外の柵から逃さない工夫がこらされている。

 

最近は、世界中ほとんどの人がスマホを持って移動するようになり、スマホこそは窮極のブタ管理マシーンである。スマホを持つ限り、ブタはブタの悲劇から逃れられない。

 

そうした時代も長くは続くまいが・・・。

 

最近の洗脳手法はすごい。人を覚めた意識のままでトランスに入らせることなく、言うことを聞かせてしまう。これがアメリカ流の実験心理学の成果というものなのだろう。

意識の側の洗脳と無意識の側の洗脳を効果的に組み合わせれば、人は見知らぬ第三者に金も渡すし、人も殺してしまう。それがオレオレ詐欺であり、オウムの洗脳でもある。

意識の側の洗脳と無意識の側の洗脳のサンドイッチとは、かくの如く恐ろしいものだ。

 

こうして人はロボットとして生き、ブタとして生きる。意識の側の洗脳とは、偽情報や情報の一部や都合の良い情報しか出さないこと、情報操作。

無意識の操作とは、最初直接本人には関係のない情報として与えるが、恐怖・驚愕・意表をつくなど情動を揺り動かして、本人が判断する時に大きな要素として働く暗示。

 

さて99パーセントの先には一厘の仕組だが、それは1%の側の話なのか、99%の側の話なのか。

この詩は、ネットで出回っている老子狂言では、最後の詩だが、原作ではこの後ろにもう一つ詩がついている。

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坐忘、ある冥想法-2

2022-12-07 17:13:21 | 道教neo
◎肉体を落とす

荘子大宗師篇で、孔子に対して高弟顔回が、その境地を語る。
顔回「先生、私は進歩しました。」
孔子「どういうことですか。」
顔回「私は仁義を忘れました。」
孔子「それはいいけれど、まだまだです。」

他日二人は再び会った。
顔回「私は礼楽を忘れました。」
孔子「それはいいけれど、まだまだです。」

顔回「先生、私はまた更に進歩しました、今度は坐忘ができるようになりました。」
孔子は、驚いて「坐忘とは何のことかね」

顔回「肉体を放棄し、聡明を退け、形を離れ、知を去り、大通なる道と一つになりました。これを坐忘と言います。」
孔子「道と一体になれば、もはや好悪差別の心はなくなるし、道と同化すれば、無常がわかる。あなたは本当に賢人だ。今後あなたを先生としましょう」


仁義という社会性を忘れ、礼楽という形式を忘れ、肉体を落とす(原文:堕肢体)。肉体を落とすということは死の世界に入るということ。

孔子は道と一体になることが、好き嫌いを超えていることを知っている。大通なる道と一つになることは、輝くすべてであるワン・テイストに同化することなのだ。

そして孔子は、自分を超えた境涯の弟子を一人打ち出したのだ。
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坐忘、ある冥想法-1

2022-12-07 10:23:03 | 道教neo
◎欲の深い者は天機が浅い

荘子は、ストレートなもの言いなので、老子よりはわかりにくい。読者がちゃんと理解してくれることを前提としていないからである。とりあえず真実を語って見せるが、その場の人物に対し、必要な前提やら注意事項を必ずしも与えない。それはOSHOバグワンの語り口と同じである。

その境地にたどり着くには、ある冥想法が必要なのだが、そこは、グルに任せるとして、真理のみを語る。

荘子の大宗師篇から
『古の真人は、眠っても夢を見ず、起きていても憂いがなかった。グルメをするのでもなく、呼吸は深い。真人の息は踵でし、衆人の息は喉でする。屈服する者の息は、喉につかえたものを吐き出すようである。欲の深い者は天機が浅い。
 
古の真人は、生も悦ぶことを知らず、死も悪(にく)むことを知らず、生死は無心に来て、無心に往くのみである。

生死の始まる所を忌まず、生死の終わる所を求めない。
受けてこれを喜び、失ってこれに帰る。

このことを、心を以って道を捨てず、人を以って天を助けずと言う。このことを真人という。

このような人の心は『忘』であって、その様子は『寂』であってのびのびとしている。また寒々と凄然として秋にも似て、また暖かく春にも似て、喜怒の感情の動きはあるが、あらゆる変化に通じ、物と調和しているので、その極みは計り知れない。』


まず冒頭の『眠っても夢を見ず』は、ウパニシャッドの「熟睡中の夢も見ない状態」を言っている。夢をみないほどぐっすり眠ることなどではない。

『真人の息は踵でし』は、踵を巡る周天のような技法があるのだろうか。なお足のチャクラは足裏の中心であり、踵ではない。

そして最も重要な記述『受けてこれを喜び、失ってこれに帰る。』。生は之(これ)を個で展開するが、死に際しては個で死の世界を展開するのでなく、死に際しては全体なるアートマンに帰るのだ。単純なマンツーマン輪廻説でなく、死の実態に即した表現を取っている。

このように生死を超えて生きる姿を『忘』と呼ぶ。
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悟っていないマスターは危ない

2022-11-24 19:15:59 | 道教neo
◎中心疑う者は、その辞(じ)枝(わか)る

易経の全体の構想を論じた繋辞下伝に、悟っていないマスターは危ないという記述がある。
それは、『中心疑う者は、その辞(じ)枝(わか)る』という部分。つまり宇宙の中心、本質が本当にはわかっていない人物は、言っていることが枝分かれして辻褄が合わないということ。

(大意:信義に叛いたり叛乱を起そうとする者は、その言葉には、何かを恥じているようなところがある。道について自分でも納得していない者は、言っていることが枝分かれして辻褄が合わない。
悟っている人の言は少なく、悟っていない人は多言なものである。善人、善行をくさす人の言葉は空回りしがちであり、節操を失っている人の言葉は、鬱屈、卑屈なものである。)

(書き下し:
叛(そむ)かんとする者は、その辞慙(は)じ、中心疑う者は、その辞枝(わか)る。吉人の辞は寡(すくな)く、躁人の辞は多し。善を誣(し)うるの人は、その辞游(ゆう)し、その守を失う者は、その辞屈す。)

これは、冥想シーンでは、資格を持っている人が教えていることは正しいみたいに思われている昨今、そもそも見仏見神、神人合一に資格などあり得ないことを改めて銘記させる。
また自分が正しくなければ、正しくない師を選ぶということはある。

易経は64卦をきっかけとし、自分の深層を覗き込むテクニックだが、そんなメソッドも寿命がきた。各人が悟れる時代というのは、64卦や亀の甲羅(亀卜)やホロスコープ、タロットなどを媒介とせずに、居ながらにして、その身そのままで世界の現状を感得し未来を予知できるほどに知性も肉体も進化した時代ということ。

易経繋辞下伝には、「善は積み重さなければ名声を得るには足らず、逆に悪事も積み重さなければ身を滅ぼすには至らない。だから小人は、小さな善行をしてもしょうがないとしてやらないし、小さな悪行をしても差支えがないとしてどんどんやる。
その結果、世界全体の悪事は積もり積もって隠せないほどになり、罪過が大きくなり過ぎて解決できなくなっている。この様子を、首枷をつけられて耳を怪我して正しい声が聞こえなくなる、凶とする。」というパートもある。

こういうのは、日常茶飯にあまりにも目にすること。
このような他者のこともさることながら、まずは自分が冥想を。
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藍采和

2022-11-24 16:35:21 | 道教neo
◎古人は混混、今人は紛紛

藍采和は唐末から五代にかけての人物。

いつも藍色の長衣を着て、幅三寸の帯を巻き、片足にしか靴をはかず、夏は破れた綿入れを着て、冬は雪の上で眠っても全身から湯気が立っていた。

『いつも城内に物乞いに出かけ長さ三尺の板(拍子木)を鳴らして、
「歌いながら踊る、藍采和、世界にどれだけの価値がある。紅顔は一春の樹、流光は一擲の梭(さ)、古人は混混として去りて返らず、今人は紛紛として来たりて更に多し・・・・」と歌いながら物乞いしていた。歌には仙意がたっぷりと盛り込まれているが、口から出まかせに歌っているだけであった。

それでも老若男女を問わず惹き付けられ、ずっと藍采和について歩くとともに、多額のお布施をした。藍采和は集まった銅貨を縄に通して背中にぶら下げていたが、縄が切れて銅貨が散らばってもまったく意に介さなかった。
もらった銅貨を貧しい人やいつも通っている店に贈ったりしながらあちこち放浪したが、どんなに年月がたっても少しも老いることがなかった。』
(道教故事物語/褚亜丁・楊麗編/青土社から引用)

この後、藍采和は、酒屋で酒を飲んでいるときに、空からやってきた仙鶴に乗って白日昇天する。

雪の上で眠っても身体から湯気が出るのはツンモだろうが、冥想により内分泌腺を活発化させることでできるものであって、坐り慣れた人の業である。

歌を歌いながら無常を説き、貧窮も気にせず、金銭に恬淡としているのは一休宗純を思わせる。昔はこんな人を単に狂人と思っただけで済ませられたが、いまは一個の成道者としてリスペクトすると同時に、そんな人に出会うことを、この世のドラマを見切って藍采和と同じ世界から生きるきっかけとしなければならないと思う。
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魏伯陽の死-2

2022-11-23 07:16:12 | 道教neo
◎我が身を死んでみせる

魏伯陽の故事の続きです。

『弟子たちは互いに顔を見合わせて、「丹薬をつくって長生を願ったというのに、服んで即死するとは、これはどうしたらよいだろう」と言いあった。

ところがその中の弟子一人だけは、「先生は非凡のお方であった。服薬して死なれたのも何かお考えがあってのことかもしれない」といって、丹薬を取って服むと、これまた死んでしまった。

残った弟子二人は、「丹薬を手に入れるのも長生を願えばこそだ。今これを服んで死んだ以上、何もこれを使用することはない。こんな薬を服まなくても、どうせ今後数十年間はこの世に生きておられるはずだから」と話し合って、ついに服まずに一緒に山を出て伯陽および死んだ弟子のために棺材を探そうとした。

さて二人の弟子が去ったのち、伯陽はすぐ起き上がり、服用した丹薬をば、死んだ弟子と白犬の口に入れてやると、みな生き返った。その弟子の名は虞といってついには二人とも仙人となった。

途中で山の木こりに出会ったので、郷里の人に礼を述べる手紙を書いて届けてもらった。二人の弟子はそれで初めて後悔したものである。 』
(出典:神仙伝)

魏伯陽は、呼吸停止、脈拍停止の仮死の状態にあったのだと思われる。ある冥想状態では、このような状態があることがいろいろな記録に残されているのでこれは、不思議とするには当たらないだろう。

残った弟子二人が死の丹薬を服まなかったのは、現代人としては妥当な判断であるが、内丹(クンダリーニ・ヨーガ)の道に進もうとする人間としては決定的な覚悟が欠けている。その覚悟とは、この世のあらゆるものに別れを告げる覚悟である。財産、家族、地位、名誉、世間の評判、親友、恋人、将来の夢こうしたものすべてを捨ててみせる覚悟のことである。

ここをわきまえている師匠であれば、入門時に徹底的に、弟子のこの部分をテストしてかかり、入門させないものだと思う。だからといって、魏伯陽が不徹底であると断ずることはできない。

むしろ弟子のカルマを見て、彼らのためになると見て、殊更(ことさら)に入門を許し、更に弟子のために我と我が身を死んで見せるのは、彼らへの大きな思いやりが見て取れる。弟子のために身を捨ててみせたのであってこれ以上の愛情はあるまい。
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魏伯陽の死-1

2022-11-23 07:13:18 | 道教neo
◎この世への未練をすべて捨てる

魏伯陽は、内丹(クンダリーニ・ヨーガ)の中国最初の専門書である周易参同契を著した人物。周易参同契の特徴は五行(木火土金水)、八卦の易の体系でもって内丹の手法を説明したところ。               

クンダリーニ・ヨーガといえば、この世の次元を超えて何かぶっ飛んだ素晴らしい体験が待っているかのようなイメージが先行するかもしれないが、その修行に入るためには、この世に対するあらゆる未練とか、世俗の欲望をすべて捨ててかからなければまず成功することはないだろうということが、以下の逸話の中に見て取れる。

魏伯陽は呉の人。ある日弟子三人とともに山に入り神丹を作った。
『丹薬は完成したが、弟子たちの心構えが、まだ十分に本気でないのを知って、これを験そうと思い、

「丹薬はできたが、まず犬にやって試してみるべきじゃ。もし犬が飛ぶようならば、その後で人間が服(の)んでよろしい。もし犬が死ぬようなら服むわけにはゆかぬ」といった。

そこで犬にやって服ませてみると、犬は即死した。

伯陽は、弟子たちにいった、「丹薬を作るのにひたすら完成を念じてきた。ところが今や完成はしたものの、犬がそれを食って死んだというのは、おそらくまだ神明の意にかなわないものと思う。服めば、たぶん犬と同様になるだろう。どうしたらよいだろうか。」

弟子たちが「先生は服用なさるおつもりでございますか。」と訊くと、伯陽は答えた、「私は世に背き家を捨てて山に籠もった。道が会得できずとも、再び戻ってゆくのは恥じゃ。死ぬも生きるも、とにかく私は服んでみる」

さて丹薬を服むと、口に入れるなり即死した。』(続く)
(出典:神仙伝)

師匠が自らの術の精華である丹薬を服用し、あっと言う間にこの世を去った。師匠亡き今、弟子たちが効果的な修行を続けて行ける保証はなくなった。
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道教排斥以後の山岳修行

2022-11-09 15:57:20 | 道教neo

◎役行者以後

 

壬申の乱(672年)の乱後、699年役小角は、一言主派との対立により、伊豆に配流され、不本意ながら母を伴って中国に帰国する。ただ役小角帰国後も、日本には吉野を中心とした山岳修行者が跡を絶たなかった。

 

求道者にとって陋巷で修行するのと山岳で修行するのは、本質には差がないというけれども、大きな差がある。山に籠れば衣食住すべてに制限がかかる。特に食については、松のみやら木の実・どんぐりやらを煎じて食するのが中心となり、おのずから五穀断ち(稲・麦・粟・大豆・小豆)となる。あるいは、文字通り食べない生活をする場合もあったろう。

 

山に籠る、山で坐るというのは、道教では山で松の実を食して修行し、チベット密教では盛んに行われ(食べ物は持参していた)、出口王仁三郎も高熊山に籠り、白隠も美濃の山に籠って、西行法師も奥駆けするなどわりにある。しかしながら好んで食の条件を悪化させるわけではなかろうから、山岳修行は、パワー・スポット巡行という動機の他、政治的圧迫、宗教的圧迫を受けたことが主たる原因で起きたのではないだろうか。

 

特に奈良時代以降の紀伊半島の大峯は、大日如来が鎮座する中台八葉院を中心として山岳修行が行われた。

この時代は、下界では、710年の平城遷都、745~752年に奈良の大仏建立と、平民に重い苦役がかかっていたという背景があり、このプレッシャーが求道者を山に追い立てたところがあるのではないか。

 

1.697年、役行者は、大峯を経て熊野三山に詣り、新宮川中の深谷明神の神前において権現からの霊告があったという。

 

2.701年、役行者中国に帰国(または逝去)

 

3.718年、朝廷は山岳修行を戒めた。

 

4.729年勅令を出し、山林に住み、偽って仏法を修行することを禁止した。もしこれを犯すものがあれば重罪に処するとした。(以後山岳修行は禁止)

 

5.758年、山林修行者のうちには験力にすぐれた者がいることや、十年以上も山林に隠れて修行する清行の行者がいることを認めて、山林修業者が得度することを許した。

 

6.770年僧侶の山林修行の禁止が解かれた。

 

これによって、漸次、僧の山林修行が次第に盛んになり、奈良時代から平安時代にかけて、吉野金峯における修行が盛んで、多くの僧たちが登っていた。

聖武天皇の時代に、禅師広達は、吉野の金峯山で修行し、岡寺を建立した。孝謙・桓武天皇の疾病を癒した僧報恩もまた吉野山に登って、観世音呪を侍したという。

 

幼少時に吉野から高野山に登ったという原体験を有する空海が、816年高野山を開いた。

(参考:大峯縁起/銭谷武平/東方出版)

 

この時代に実質50年以上も朝廷によって山岳修行が禁止されたということは、山岳修行を特徴とする道教を朝廷としても相当に意識せざるをえなかったことの裏返しである可能性がある。役行者を放逐してもそのタオイズム・コネクションは、連綿として継承され、やがて地上が大仏建立により仏教メインの方向性が固まって初めて、道教は仏教と習合するという形で地上に降りることになったのではないだろうか。最初から山岳仏教というのが存在したのではあるまい。

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女丹 女の悟り-3

2022-10-17 05:47:11 | 道教neo

◎オルガズムを生涯一度も体験したことがない女性が多い

 

ある日、ダンテス・ダイジがとある喫茶店でとても静かなバイブレーションを放つ女性がいることに気がついた。

 

そのバイブレーションが起こる原因は、彼女のオルガズムにあると彼は言った。世に夜のむつ言を交わす男女は多いが、女性がいかに十分なオルガズムを得ることが稀なことよ。

 

その事情は、単身世帯が増え、結婚する人が減り、4割がおひとりさまで暮らしている現在では、更に悪化しているのだろう。

 

エロスとタナトス、性と死を語る識者、マスコミは多い。だが死を語るのでは本も売れずアクセス数も増えず、コンビニに並ぶ本の主流はエロ系である。紙メディアでもwebでも男性の性的満足の視点で書かれるものばかりで、女性の性的満足で書かれるものは女性週刊誌の一部くらいのものではないか。

 

黙示録では、世の終わりの原因は叫びであって、平たく言えば、自己実現しないことへの欲求不満と男女の性的欲求不満から来るものが叫びとして表現されると思う。性的欲求不満はより女性において問題は大きい。

 

世界平和は夫婦の和合からという古いスローガンもそれを暗示している。

 

ウーマン・リブ、女性解放運動は、いろいろな側面はあるのだろうが、昔は性倒錯とされていたレズビアンが、LGBTとして公認されるという逆流を見ている。

 

だがそれは、本来の課題である女性のオルガズムの実現とは何の関係もない。

 

女性の悟りの位置づけは、女性にとってのオルガズムの位置づけと切り離せないところがある。

 

女性のオルガズムの問題では、オルガズムを生涯一度も体験したことがない女性が多く、“女性のオルガズム”をまともに議論するのがとても難しいという側面がある。

 

それは男性の側の問題でもあり、社会全体の問題でもある。

この議論は、世情大いに誤解を招くだろうが敢えて出さざるを得ない。

 

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女丹 女の悟り-2

2022-10-17 05:46:23 | 道教neo

◎太陰煉形で月経を止める

 

道教では、男性は射精を止めて太陽煉氣で気を用いる。女性は月経を止めて太陰煉形で、血を気に変える。月経を止めるのは斬赤龍(太陰煉形の主目的。月経が止まった後は男性と同様の冥想法となる由)と呼ぶが、その過程で乳房は小さくなり童女のような身体に戻るという。男性への性転換はしない

 

さて仏教における女人成仏の代表的な話は、法華経提婆達多品で、8歳の龍王の娘が、大神力(超能力)により、公衆の面前で性転換を遂げて男性になり成仏したエピソードである。

 

月経が止まるようになりホルモンバランスが崩れると、乳房が小さくなるようなことはあるのだろう。

それにしても女性の肉体は神人合一に耐えられるものなのだろうか。

 

スピリチュアル・シーンでは、女性はチャネリングの媒体として登場してくることが多いが、成道のエピソードはほとんどない。数少ない道教での女性成道者としては、孫不二が代表的だが、そのエピソードを見ると男性成道者と遜色ない境地であると思う。

 

女性の内丹を研究するのにどの書物が本当らしいかということの他に、誰が真の成道者であるかという点と、本当に男性並みの神人合一を目指す女性が多かったのかという視点は捨てることはできない。

 

法華経では、女性の成仏を強引に性転換エピソードとし、女性が男性と同様の死を賭したニルヴァーナへの進む道をあきらめさせようとしたふしがある。それはなぜなのか。

 

そのあたりに、プロセスとテクニックに行く前の、女性の覚醒、女性本来の人生の目標が隠れているように思う。

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女丹 女の悟り-1

2022-10-17 05:45:45 | 道教neo

◎女丹合編通俗序

 

先日、久々に神田神保町に行って、新刊の『煉丹術の世界/大修館書店』が平積みされていたのを買った。

 

その中に女性の悟りについてヒントとなるようなことが書いてあった。

 

女丹合編通俗序:

『男の命(生命エネルギーの源)は、炁穴(下丹田)の中にあり、女の命は乳房の中にある。・・・男は精を作り、その色は白く、名づけて白虎といい、女は血を作り、その色は赤く、赤龍という。』

(上掲書P238から引用)

【該当部分の原文:男命在炁穴中女命在乳房中、男以腰爲腎女以血爲腎、男爲精其色白名白虎、女爲血其色赤名赤龍。】

 

下丹田は、スワジスターナ・チャクラ

 

更に、

『男は先に本源を煉成してその後に形質を煉成するが、女は先に形質を煉成してその後に本源を煉成する。

 

男の陽気は下へ漏れていき、女の陽気は上へ昇っていく。

 

男は修練すると精液が漏れないようになり、これを「白虎を降す」という。女は修練すると経血が漏れないようになり、これを「赤龍を斬る」という。

 

男の精液は逆行して(上に昇ることで)神仙となり、女の経血はまっすぐ上へ昇って心竅(中丹田)に帰っていく。』

(上掲書P239から引用)

【該当部分の原文:

男先煉本元後煉形質、女先煉形質後煉本元、男陽從下洩、女陽從上升、男修成不漏精謂之降白虎、女修成不漏經謂之斬赤龍。

男精逆行而成仙、女血直騰歸心竅。】

 

以上は、男性はスワジスターナ・チャクラ(下丹田)をスタート地点として、サハスラーラから出神を目指す一方で、女性は、乳房にある気の中心から胸のアナハタ・チャクラを目指すということを述べている。

 

要するに男性は、体外離脱からの昇仙、つまり天上(中心太陽)に遊び帰って行き、死の世界の至福(坤徳)を味わうことを目標とする。それに対して女性は、ハートの充足、満足が最終的なゴールであるとしている。

 

求道というのは、おおむね人間からの超出だが、女性の場合は、必ずしもそうではないと言っているわけである。

 

原文では、これに続いて【男七蓮難放易收、女七蓮易放易收。男修曰太陽煉氣、女修曰太陰煉形、男曰胎女曰息。】とあり、

 

男の7チャクラは、開くのは難しいが、閉じるのは簡単、女の7チャクラは、開くのも閉じるのも簡単ということだろう。

 

これは、女性はスワジスターナ・チャクラがもともと開いている(肝が据わっている、できているということ)が、男性は閉じており開く努力をせねばならないということだろう。 

 

また一般論として、中途半端にチャクラが開くのは百害あって一利なしとされる。

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呂洞賓の10のテスト-2

2022-10-15 10:39:04 | 道教neo

◎他人のために命を差し出すことに躊躇なし

 

呂洞賓の10のテストの続き。

 

テスト6

呂洞賓が外出して家に帰った時、家の財産はすべて盗賊に盗まれ、食糧さえも無くなっていた。だが、呂洞賓は怒りの色も見せず、いつものように耕作をはじめた。ある日、畑を耕していると、鍬の下から数十枚の金塊を掘り出した。しかし、呂洞賓は一枚も取らずに、そのまま金塊を埋めた。

 

テスト7

呂洞賓が街で銅器を買って帰ると、その銅は全部黄金だと分かった。呂洞賓はすぐに銅器を売っていた人を見つけて、それを返した。

 

テスト8

あるヒッピーのような道士が、市場で薬を売っており、「この薬を飲んだらたちどころに死亡し、転生した後、得道できる」と話していた。10数日を経ても、その薬を買う客はいなかった。さて呂洞賓がこの道士の薬を買うと、道士は「速やかに死の支度をするが良い」と告げた。呂洞賓はこの薬を飲んだが、結局何も起こらなかった。

 

テスト9

呂洞賓が客船に乗って河を渡っていると、河の中ほどに至ると、河の水が急に氾濫し、風も波もにわかに猛り狂った。乗客はみな恐れおののき泣き叫んだが、呂洞賓は端座し、動かなかった。

 

テスト10

呂洞賓が一室で一人で修行していたところ、突然、目の前に無数の魑魅魍魎が現れ、撃たんとするもの、殺そうとするものが無数に現れた。しかし呂洞賓は毫も恐れることはなかった。

血だらけの一人の鬼みたいなものが、「あなたは前世で私を殺した。今日その借りを返してくれ」と泣きながら、呂洞賓を責めた。呂洞賓は「人を殺したならば、命で償わなければならない」と語り、刀を探しに行って自殺してその命で返そうとした。すると急に、空中に大音声が響き渡り、魑魅魍魎たちは一瞬のうちにすべて消え去った。

 

その後、呂洞賓のマスターの鍾離権が現れて、「私はあなたを10回試したが、あなたはすべて心を動じさせることなく乗り越える事が出来た。必ずや仙人に成ることができるだろう」と話した。その後400年間、呂洞賓は世の中に現れたり消えたりした。宋徽宗は政和年間に、呂洞賓を「好道真人」と封じた。

 

 

テスト6とテスト7は不意の不運と幸運に対処する姿勢を問われている。人間の財産はその積徳の多寡に応じて定まっていると見れば、不意の不運の後には幸運がめぐり、不意の幸運の後には不運が巡ると予想する。しかしこれは、功利性、自分のメリットの視点でしかない。

ここは、求道者としてすべてを捨てられるかどうかが問われているのだから、自分の生命維持に必要な分以上のものは天に返すという『天意』優先の行動規範を持っていると見るべきだろう。

 

テスト8は、呂洞賓は、薬を服用して自分の生命を捨てて道を成就(成仙)したいということに迷いもケレン味もない。果たして彼は、躊躇なく死の毒薬を飲んだがその結果は別のことである。

 

テスト9は、人間は髪の毛一本自分の思い通りに白くも黒くもできないからには、自分の船上の生命を自分でなんとかできるわけではない。

 

テスト10は、天国的なものを求めていく修行の途中の最終段階で、こうした魔が出現するもので、釈迦、イエスなどでもこういうのが出て来る。

また「他人のために自殺してあげる」のを厭わないのは、西郷隆盛の僧月照との入水や、ダンテス・ダイジの竹富島の幽霊に乞われて自殺した話と同じで、覚者なればこそできる業である。

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呂洞賓の10のテスト-1

2022-10-15 10:34:49 | 道教neo

◎無私と打算

 

呂祖全集などに道教のスーパースター呂洞賓の受けた10のテストが載っている。

 

最初は黄粱一炊の夢。そして10のテストの前半部。

 

呂洞賓は、唐代、山西省蒲坂県永楽鎮の人で、海州刺史呂譲の子と伝えられている。幼少より聡明で、科挙に行く途中に、仙人の鍾離権に出会い、修行の道に誘われたが、出世の夢を捨てられず断った。

 

 その日、鍾離権と一緒に宿泊した呂洞賓は、黄粱を煮る間に夢に入った。夢の中で、彼は科挙に合格して出世し、二度、裕福な家庭の娘と結婚し、たくさんの子供をもうけた。さらに40年後、一国の丞相となり、10年の間の国家を牛耳った。しかし、その後、罪を犯して、家財をすべて没収され、家族は離散し、一人で荒野をさまようことになった。

 

 鍋の黄粱(こうりゃん)が煮え切らぬうちに、夢から覚めた呂洞賓に、鍾離権は「先の夢に、浮き沈みと栄辱のすべてが示されたであろう。50年は一瞬であり、昇ったり下ったり、栄華を極めたり恥辱を受けたり、いろいろのことがあっても、世人の一生はまるで一つの夢に過ぎない」と語った。この話を聞いた呂洞賓は、鍾離権について救世の術を求め修行することを決心した。

 

テスト1

 呂洞賓がしばらく家を不在にして遠方に旅して後、帰宅したところ、家族が全員病に倒れ、亡くなっているのを目にした。彼は動揺することなく、棺桶をそろえ火葬の準備をした。すると、たちまちにして死んでいた家族が生き返った。

 

テスト2 

 呂洞賓が市場で物を売っているとき、客と交渉して売買の価格が決まったが、買手はその値段の半分しか払わなかった。これに対して呂洞賓は、何も言わずに商品を買手に渡した。

 

テスト3

 ある日、家の前に1人の乞食が来たとき、呂洞賓はすぐに金や物を上げたが、乞食は感謝するどころか、却って布施が足りないと言って呂洞賓を罵った。これに対して、呂洞賓は何度も笑顔で謝まった。

 

テスト4

 呂洞賓が山中で羊を放牧していたとき、空腹のトラが猛烈な勢いで駆けてきて羊の群れを追った。呂洞賓は羊の群れとトラの間に立ち、羊を守ろうとしたところ、トラはそこから離れた。

 

テスト5

 呂洞賓が山中のあばら家で読書していると、一人の18歳ぐらいの絶世の美女がやってきた。帰宅する途中で道に迷い、日も暮れたので、この家で休ませてほしいと言った。呂洞賓は承諾した。夜になると、この女性はあの手この手で呂洞賓に迫って、一緒に寝るよう求めた。呂洞賓は心を動かすことなく固く断った。この女性はこうして3日間呂洞賓につきまとったあと、立ち去った。

 

第一のテストは家族が生き返ったがそれはまずあるまい。話全体をオブラートに包んで不条理のショックを緩和している。ヨブ記に似ている。

 

第二、第三のテストでは悪人に理不尽な仕打ちを受けても反撃しないのは、相手もよくよくのことだろうと斟酌しないとできる業ではない。

 

第四のテストでは、誰も見ていない場所での無私である。これは現代人が最も欠くところ。

 

第五のテストでは、釈迦やイエスの成道前の誘惑みたいに誘惑がやってきた。この段階では、天国的なものを求めていたからこそ、これが起きたのだろう。

 

(続く)

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