◎OSHOバグワンの水平の道への型出し
OSHOバグワンがアメリカで失敗した理由は、そもそもアメリカでうまくやろうという気がなく、コミューン経営をまじめにやろうとしなかったことに尽きると思います。
だって荘子の生まれ変わりだから、荘子風の行動パターンだったから。
ただし、水平の道の型出しをしたというのが、真相ではないか。
※1. まず、OSHOバグワンは、コミューンを作って新時代へのエンジンとしようとする志は持っていた。そして彼は、インドのプーナとオレゴンにコミューンを形成することができた。しかしながらいずれも成功したとは言い難い結果に終わっている。最後は世界中から村八分になってインドに戻ってきた。
その原因は、OSHOバグワンが弟子の育成にあまり熱心とは言えない雰囲気だったこととコミューン経営にあまり関心がなかった風であることだと思う。いわばコミューンさえ作ってある程度のルールを与えれば、きっと覚者も多数生まれ、コミューンも拡大していくのではないかとでも思っていたのではないか。
※2. 1985年OSHOバグワンは、オクラホマシティで毒を盛られた。まず熟達したクンダリーニ・ヨーギならば、強い放射線を発する物質があれば、何か異常を感じるものだろうし、また毒入りパンを差し入れられても、毒のあることを見るものなのだろうと思う。
ここは、OSHOは、運命に従順に、放射性物質入りマットレスで眠り、毒入りパンも食らったと見たい。OSHOが覚者であることは間違いない。
しかしながら、OSHOは毒を食らったことでその寿命が20年短くなったことを嘆く一方で、ロールス・ロイスを乗り回し、数千人の前で、自分の脇に肉感的な数人の女性を踊らせるそのスタイルは、宗教というものについての既成概念を破壊するという名目ではあるものの、首尾一貫して純粋と言えるものだったのだろうか。
※3 あなたがたが嫉妬を感じるような状況を、私は意図的に創造したのだ。
※4.最近の世界的ZENブームを見ると、OSHOバグワンが生涯をかけて禅を推した影響が大きいと思う。日本の禅宗各派はそうは思っていないかもしれないが、OSHOバグワンの著作の半分は、禅関係で、最終講話も禅。
その点で、OSHOバグワンは、言うなれば水平の道への型出しをしたのだ。最初は失敗したかに見せて、後に大きく再生して成功するのが型出しの狙い。
そもそもアメリカ官憲がOSHOバグワンに毒を盛った理由は、今でいえばイーロン・マスクの百倍にもなろうかという至福千年に向かう影響力が彼にあったのを認めたからのだと思う。