◎月と物質と鏡
(2008-09-24)
アマテラスと言えば八咫の鏡だが、アステカにも鏡をシンボルに持つ神がいる。アステカの主神といえばケツァルコアトルだが、テスカトリポカは、それと対峙する重要な神である。ケツァルコアトルもテスカトリポカも、イザナギ,イザナミに相当する最初の夫婦神オメテクトリの子である。
ケツァルコアトルは、善玉主神として明けの明星の主であり、太陽のエネルギーを与える源であり、知性を司る。
テスカトリポカは、その右足を原初のエネルギーの象徴たるワニに食わせて、大地を創造したので、右足のない姿で表される。
テスカトリポカの鏡はアマテラスのように太陽をイメージさせるものではなく、煙を吐く鏡、煙る鏡である。鏡の素材は金属ではなく、黒曜石である。アステカの呪術者は、この鏡を覗き込んでトランスに入り、部族の将来や神の意図を見た。
テスカトリポカは、魔術をあやつる女神の背景に潜む力を司り、現世、現象を成り立たせているエネルギーの支配者である。つまりどちらかと言えばこの世的な、物質的な事象をカバーする神である。
鏡は月のシンボルであり、現世的なものを象徴するのが本筋である。だから、テスカトリポカがそのシンボルとして煙る鏡を用いるのに違和感はない。他方アマテラスは太陽であり、現世的なものではなく、スピリチュアルなものを司るにも係わらず、そのシンボルとして鏡を用いているのは、しっくりこないところがある。