◎日々の冥想と生き方
欧州における第三次世界大戦勃発の噂もさることながら、東アジアにおける戦争勃発の噂もSNS上でバンバン見かけるようになった。
そして来週には、毎年気になる3、4月。木の芽時は花粉症でなくとも体調の不調をかこつことが多いが、この冬は厳冬であって強風が特徴の冬だった。
イエスの一生を観想法で追体験するというのは、十字架上で大悟したイエスの一生という雛型をわが身に写すという先行予言のまねびである。
さて予言には、口述、文章だけの予言と自らの人生ドラマや一国全体、教団全体を先行モデルとして予言とする「雛型予言」というのがある。
一国全体を先行モデルとしての予言の典型例は日本であって、日本が世界に先行してみろくの世を実現するというもの。これは、いうまでもないが、毎日漫然と過ごしていた日本人が特定のある日が来ると全員が神を知っている人々になっているという漫画チックな未来ではない。その日以前に日々の冥想修行と、日常生活における「善いことをする、悪いことしない」というライフ・スタイルは、必要なものだ。
日本に生まれるというのは、そういう責務を負ってきたということで、神様から離れて特に恵まれた閑日月を長年過ごした人については、神様の側からの風当たりはあるのではないか。
日本は先の大戦で神洲不滅のスローガンの下で、世界で初めて原爆を落とされ、白村江の戦以来の敗戦国となった。この敗戦はもう一度あることを教団ごと雛型予言(教団を日本の雛型とみる)したのが、昭和十年の第二次大本教弾圧事件。次の敗戦では、また軍人内閣になることまで予見されている。それは、昭和神聖会の軍事教練で先行モデル出しをしたのだろう。
出口王仁三郎の関連した雛型予言はもう一つあって、モンゴルへの西遷である。
大正13年出口王仁三郎は、蒙古入りし、蒙古の地で御神業を4か月間にわたり展開。最後は同行していた植芝盛平と一緒に張作霖配下によって銃殺されかかるところまで行く。
この間、出口王仁三郎が、王文泰やダライラマ(弥勒下生達頼喇嘛(みろくげしょうだらいらま))、と名乗ったのは調子に乗り過ぎだったようにも見える。
さらに昭和10年第二次大本事件前夜、出口王仁三郎の密命を受け、笹目秀和氏が大本の御神体を崑崙に返還しにいったのは、まさにこのルートであった。その出発の際に日本民族のモンゴル西遷があることもほのめかされている。
その後出口王仁三郎は、モンゴルでの苦難の虜囚生活の影響か、生涯体調不良(肝炎?)に悩み、共に銃殺寸前まで行った合気道開祖植芝盛平も終生肝炎に苦しんだ由。
なおモンゴル西遷篇は、生き残った日本人達向けの話であろうことは想像される。
ネットでは、とかく日本人の生存率だけが注目されるが、自分が生きるか死ぬかというのは、自分で何とかできることではない。自分では髪の毛一本白くも黒くもできない。その延長線上に自分の生存可能性があるのであって、最大の関心事は、自分が神を知って(悟りを開いて)、それをもって生きていけるかどうかということにあるはずだと思う。