◎出口王仁三郎の古い伝承
2021年10月18日、中国軍とロシア軍の艦艇合わせて10隻が、津軽海峡を初めて同時に通過して太平洋に出た。同月21日10隻は太平洋を南下し、伊豆諸島付近を航行。同月23日、防衛省統合幕僚監部は、津軽海峡を抜け太平洋を南下した中国とロシアの海軍艦艇計10隻が、鹿児島県の大隅半島と種子島の間の大隅海峡を通過し、東シナ海に入ったと発表。中露の艦艇が一緒に日本列島一周したのは初。
ネットでは、地震予言、洪水予言は盛んだが、中露の日本侵攻予言はあまり顧みられないので、出口王仁三郎予言をまとめて出してみる。これには二本の軸がある。一つは、出口ナオ、出口王仁三郎の提携に係わるもので、もう一つは、出口王仁三郎入蒙の原因に係わるものである。
そもそも出口ナオ、出口王仁三郎が一緒に教団を立ち上げたのは、二人とも京都の寺社が中国軍の空襲で丸焼けになることを幻視したからである。
唐土の鳥とは中国軍の空襲であって、そのものズバリ。前の日中戦争にそういうシーンはなかった。これが西の憂い。
北の憂いはロシアであって、大本神諭などでも繰り返し出て来るビジョン。(『露国から初まりて、大戦争が在る』大本神諭明治36年旧7月13日)
以下は出口王仁三郎の短歌。
『空中ゆ翼拡げて迫り来る唐土の鳥をいかに防がむ
国人の改慎すべき時は来ぬ 西と北とゆ 迫る曲神
国難を眼前にひかえて気楽げに私慾のみおもふ人ばかりなる』
(言華 下巻/出口王仁三郎/みいず舎P262)
更に、
『○空襲の夢
京都に敵が来るときは千機ほど来る。二時間で焼ける。亀岡は一緒にやられる。(後略)』
(出口王仁三郎玉言集新月の光/木庭次守編/八幡書店から引用)
第二次世界大戦の京都空襲では、せいぜい10機程度の来襲。