モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

主の訓練

2020-03-11 22:38:37 | モルモン書
「主…は…この人たちを強くして自らを解放する力さえ与える」1ニーファイ1:20

神はその奇跡の力によって瞬時に人を強めるのでしょうか。
少なくともわたしにはそのような経験がありません。

主は人を強めるために訓練を与えます。
2~3日のこともあり、数カ月のことも、数年~数十年のこともあります。

その訓練は辛く苦しいことが多いようです。
しかもその辛く苦しい時に、その訓練が何の役に立つのか理解できないことが多いのです。

主の訓練が終わり、その結果に気付いたときに初めて感謝できます。
「この結果には感謝しますが、この訓練は二度とごめんです」と何度祈ったことでしょうか。
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腹を立てる

2020-03-11 22:17:54 | モルモン書
「ユダヤ人はこれらのことを聞いて…腹を立てた」1ニーファイ1:20

人が腹を立てる理由は色々とあるでしょうが、
腹を立てる人と、そうでない人の違いはどこにあるのでしょうか。

腹を立てるとき、そのほとんどは高慢が基になっています。
わたし自身、腹立たしい気持ちになった後に冷静になって
自分の心を振り返れば高慢が見えます。

自分で自分の高慢さを認めるのはまだいいのですが、
人から高慢を指摘されると、分かっていても腹が立つものです。

解決方法は「へりくだる心」を持つ以外にないのでしょうが、
理屈では分かっているつもりでも難しいものです。


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招き

2020-03-11 13:00:22 | 新約聖書
「彼らをお招きになると、すぐにイエスに従って行った」マタイ4:21~

彼らは自分の生活を捨ててイエスに従ったのでしょうか。
イエスが十字架上で亡くなった後、彼らは漁師に戻りました。
彼らが本当の意味で生活を捨てて主に従ったのは、主の復活後かも知れません。

主に従うには確かに覚悟が要りますが、
最初から生活を捨てるほどの覚悟を求められるわけではありません。

彼らはイエスの言葉に興味を惹かれ、
「ちょっと行ってみよう」程度の気持ちでついて行ったのかも知れません。

少なくともわたしは最初、その程度の気持ちでした。
「この教えが嘘ならやめればいい」から始まって、既に数十年です。 w
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神に仕える

2020-03-11 12:42:54 | 新約聖書
「主なるあなたの神を拝し、ただ神のみに仕えよ」マタイ4:10

うまい棒という子どもたちの大好きなお菓子がありますが、
わたしはこのお菓子を食べたいとは思いません。

味は美味しいのですが、腹に何も残らない、おなかが膨れないからです。
ご飯と梅干の方がおなかに残るのでいいですね。

多くの人がスマホでゲームを楽しんでいますが、わたしはゲームをする気になれません。
ゲームは楽しいのでしょうが、何も残るものがないように思えるからです。

神に仕えるのは退屈でしょうか。
神に仕えることで得られるもの、残るものは何でしょうか。

それを知らない人は神に仕える気にはなれないでしょうね。
このブログを読んでくださる方に、何かしら残るものがあれば感謝です。

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神を試す

2020-03-11 06:15:27 | 新約聖書
「主なるあなたの神を試みてはならない」マタイ4:7

改宗して間もないころ、「どうすれば祈りの答えを受かられるのか」を色々と試したものです。
思い付く限り何でも祈ってみましたが、「思うように答えを受けられない」と感じていました。

そこで「わたしは心が鈍いので、わたしに分るように答えてください」と何度も祈りました。
そんなある日、「あなたが分かるようになりなさい」と心に聞こえてきました。

その経験は「神を試みる」ことに当てはまるのでしょうか。
わたしは当てはまると思います。

「神であるならそのくらいできるはず」と思いながら
神を試すつもりで行っていたからです。

さて、それは「神の御心に反する」ことでしょうか。
その経験のおかげで今の自分があるのですが。
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