ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

光山文博少尉と「地球市民」な人

2012-06-12 | 日本のこと


鹿児島の知覧特攻平和記念館を見学したことをこのブログでお伝えしたことがあります。

四面の壁に貼られた特攻隊員の顔写真の下に、遺墨や遺書、遺品が展示されているのですが、
そのうちの何人かの写真には、会場の入り口で借りることのできる音声解説によって、
より詳しい説明が聞くことができるようになっていました。

本日画像の光山文博少尉は陸軍航空隊を志願し、第51振武隊、第7次航空総攻撃において
沖縄西海方面に陸軍戦闘機、隼で出撃、特攻戦死した士官です。

この光山少尉の写真に添えられた解説、それは
光山文博が本名卓庚鉉(タク・キョンヒョン)という朝鮮半島出身の搭乗員で、
他にもこの知覧基地からは11人の朝鮮出身者が特攻出撃したというものでした。

大東亜戦争時、朝鮮、台湾の若者が日本人として戦い、ある者は特攻隊員として散華していった。
この史実について語るのは非常に難しいことです。

日本人についてであれば、その自国を思う気持ち、特攻にどんな気持ちで赴いたかは、
終戦後数十年を経た今でも、我々が想像することはそう困難なことではありません。

しかし、当時統治されていた、他民族である人間が
「日本のために自分の命を捧げる」ということを果たしてどのように受け入れたのか。
現代の、しかも統治した側の国の人間には、そのとき彼らが
日本人として戦うことをどう受け止めていたのかということからして、想像もつきません。

少なくとも、その心情をあれこれ忖度することや、憐憫をかけたりすることだけは
不遜なこととして厳に慎まなくてはいけない、というのがわたしの考えです。



光山少尉は立命館中学から京都薬学専門学校(現京都薬科大)を卒業後、志願して
特別操縦見習士官の第一期生試験を受け、難関を突破して飛行士官になりました。
豊田穣著「日本交響楽」の「韓国人特攻に死す 光山文博大尉の突入」によると、
光山少尉が軍人を志したのは「日本社会に色濃くある朝鮮系への偏見と、微妙な差別を、
任従の中に努力して跳ね返すため」であった、という説明がなされています。

少尉任官してすぐにかれは母を病気で亡くします。
そのとき母は、
「文博はもうお国に捧げた身体だから、十分にご奉公するように言ってください」
と言い遺しました。
それを父から聞いた光山少尉は
「じゃあ、お父さんも、僕が戦死しても嘆きませんね」というと、父は
「日本が勝つか負けるか、大変な戦争だよ。お前も十分戦ってくれ」
と答えたと、「光山文博大尉の突入」には記されています。

光山少尉が特攻に志願したのは、この後基地に帰ってすぐのことでした。

この特攻隊員のことは、知覧にあった「特攻の母」鳥浜トメさんの食堂、
富屋食堂を模した記念館で、トメさん自身が「アリランを歌って出撃していった隊員」として
語っているのが録音として残されています。
映画「僕は君のためにこそ死にに行く」で取り上げられていましたから、ご存じの方も多いでしょう。



しかしここで、実に嘆かわしい(としか言いようのない)最近の事件について
お報せしなければなりません。
黒田福美という、最近は親韓を売り物にし、そのアイデンティティで禄を食んでいる女優がいます。

彼女は―もし彼女が本当に日本人なのであれば―少し、いやかなり控えめに言っても
首をかしげざるを得ない、不思議なそして香ばしいエピソードがてんこ盛りの人物なのですが、
ここでは本題ではないので、ご興味をお持ちの方は調べていただければと思います。

一言で言うと、自分の預かり知らない時代の日本の歴史を断罪し、その罪を自分一人が背負い、
何かというと謝罪と賠償を求める韓国人に、その身を呈してでも個人的良心に基づいて
贖罪をしようという、全くもって奇特な、いわゆる「地球市民」な方とでも言えばいいでしょうか。

この地球市民な女優が、ある日、夢を見ました。
夢に現れた飛行服を着たその青年は、こう語ったのだそうです。

「自分は飛行機乗りだった。
残念なのは、朝鮮人なのに日本名で死んだことだ」

その夢枕に立った人物について何かに書いたところ、何と靖国神社の広報(未確認)から
「それは靖国神社の英霊である光山少尉ではないか」という連絡があり、
遺影と対面した黒田福美は、夢枕の青年が光山少尉だと確信したというのですが、


・・・・・・・・・・・・。


えーと。
何から突っ込むべきでしょうか。
まず、黒田さんが聞いた「名前を奪われた民族の悲しみ」とやらですが、まず大前提として、
「創氏改名は強制ではなかった」
というのが、現在のところもっとも真実に近い歴史認識とされているわけですね。

創氏とは朝鮮の戸籍に対して家族単位の氏を新たに作成したことで、
これは日本が制定した法律のもとに定められていましたが、改名に関してはあくまでも任意でした。

何しろ、当時の日本には朝鮮名のまま軍人として将官になった人物までいるのですから、
この黒田さんの思い込みは、つまり出だしからして「大間違い」ということになります。

光山家は、朝鮮の事業に失敗し、京都で乾物商を営んでいました。
おそらく商売の便宜上日本名を選択していたか、或いは
当時の多くの朝鮮出身者がそうであったように「日本人になること」を受け入れたのでしょう。

何より、遺された光山少尉の家族との会話、そして特攻を志願したこと、どこをどう見ても、
わざわざ、しかも黒田福美の夢枕に立ってまで恨みつらみを訴えなくてはいけないような要素は、

無い

のです。
黒田さんが夢に観た朝鮮出身の搭乗員は、どうやら人違いだったとも言えます。
つまりは、このお調子乗りの媚韓人間の独りよがりな思いこみ、というわけなのですが、
ここで終わらないのが無駄に前向きで行動力のあるこの手の人々の常。
なんと黒田福美、光山少尉、いや卓庚鉉の慰霊碑を、韓国にある光山家の出身地に建てる
ことを思いついてしまったんですねー。

こういう地球市民な人たちにありがちな思考に、

「こちらがこんなに歩み寄って(あるいは謝罪して)いるのだから、

きっとそれを韓国の人たちは嬉しく思うはず(許してくれるはず)だ。
何しろわたしは加害者である日本人なのだから」

という風に、自分に都合のいいハッピーエンドを勝手に思い描く傾向があるのは、
皆さん「九条教」の人々のそれからもお分かりかと思いますが、
案の定、日本人とは全く対極の、「恨」(ハン)の文化を根底に持つあちらの人々からは
市民団体を中心にし猛反発を受けてしまいました。

私財を投じて完成までこぎつけたというのに、除幕式のとき近くに立ち寄ることもままならず、
黒田福美が帰国した後、慰霊碑は韓国側によって撤去廃棄されてしまったのでした。

韓国人たちの反発の理由はこうです。

「日本軍に協力した者は称えられない」
「特攻隊員は犠牲者かもしれないが加害者でもある」


死んでいった朝鮮人特攻隊員には実に気の毒としか言いようのない祖国の人々の扱い。

なにしろ戦争中は一貫して日本国民であることを歓迎していたはずなのに、
日本が敗戦するや国ぐるみの反日で国民をまとめ、それを国是として現在に至る国です。
特に戦争中のことについては分かち合える共通認識など無に等しいことに、
普通の人間なら気づきそうなものですが。


この一連の喜劇のような恥ずかしい事の顛末には、たちの悪いことに

「この話を美談としてノリノリで報じた朝日新聞」

「黒田の記事を読んだだけでこれが光山少尉ではないかなどと連絡をした靖国神社」

という、お花畑な地球市民たちが、後押しをしているのも問題です。

特に、常習犯の朝日はともかく、靖国神社!
靖国神社が地球市民の後押しをするって、どういうブラックジョーク?

だいたい、黒田福美は「彼はどこにも魂の居場所が無い、だから韓国に碑を建てる」
というモチベーションから今回の行動を起こしたと言うじゃないですか。
靖国神社としては「英霊の御霊はここに居ます」と言わなければいけない立場なんじゃないの?

しかも、光山少尉本人は、生き残った同隊の伊藤博少尉の証言によると、
「(特攻に行けば)これで俺も靖国神社に行けるなあ」
と言っていたというのですから、まさに何をかいわんやです。

まあ、靖国神社に好意的に解釈すれば、まさか黒田福美がこのあとここまで暴走するとは
予想できなかったのかもしれませんが、余計なことをしたということに変わりはないわけで。

朝日は相変わらず平常運転で、「黒田さんによると卓さんの墓は(韓国に)無いという」
などと、調べもしないで嘘の情報を載せていますが、実は慶州という光山少尉の故郷には、
「日本陸軍大尉」と刻まれたかれの墓があり、両親と共にそこに眠っているのだそうです。


彼らがどんな気持ちで日本のために戦い、死んでいったか。
ある朝鮮出身の陸軍少佐は、陸士の同期生に
「俺は天皇陛下のために死ぬということは出来ぬ」
といったそうです。

そこには、彼らの裡でのみ昇華される動機と、運命の甘受があったはずですが、
そればかりは日本人にはおそらく永久に理解することはできないでしょう。

ましてや、良心的な行為のつもりで、実のところ、どこか自分が一段上に身を置いたまま、
しかも戦後喧伝されている「謝罪と賠償」のプロパガンダにまんまとねじ曲げられた認識のまま
戦地に赴いた彼らを勝手に憐憫することなど、問題外です。


こうして自分の崇高な行為が全く理解されなかった黒田福美は傷つき、
「韓国人が嫌いになりそう」と言ったとか言わなかったとか。

善意の押しつけが拒否されると、なぜ受け入れられなかったかを考えるより
今度は相手のせいにするのも、こういう方々に顕著な特徴ではないかと思うわけですが、
ここまで空気読まずに最初から突っ走るんであれば、最後までヘタレることなく、

「夢で見た朝鮮人青年は、何としてでも碑を建ててくれと懇願していたのです!」

などと強弁し、自己満足的独善行為を貫いて韓国人に完膚なきまでに叩かれ、
今度は嫌韓女優として生まれ変わる姿を見せていただきたかったと思います。

それにしても、いくら夢で見た人間と「運命のつながりを感じた」(笑)からって、
一人の特攻隊員のためだけに碑を建てるというその突飛な思いつきもさることながら、
わざわざ反日の国に行きその思い付きを押し付けるという傲慢さには驚き入るばかりです。

だいたい、同じ慰霊をするにも、日本に、特に光山少尉が出撃した知覧に碑を建てるとか、
あるいは靖国神社で慰霊祭をするとか、実現可能なプランはいくらでもあったと思うのですが。


つまり黒田福美という人は、光山少尉の慰霊が目的なんじゃなく、韓国の人々に向けて、
「可哀そうな日本の悪行の犠牲者をわざわざ慰霊してあげるあたくしって良心的日本人でしょ」
というアピールをしたかっただけ、と日韓両国民から取られても仕方ありませんなあ。