アメリカでも、最近の「テレビ離れ」は酷いというニュースを観ました。
そうでしょうとも。
たまたまテレビを見るときに、自分の観たい番組がやっているとも限らない。
映画を観ていても大幅にカットされて、途中でコマーシャルが入るのでうざい。
気が遠くなるほどチャンネルを増設できるアメリカにおいても、やはり与えられたものを
じっとテレビの前に座って観るよりは、観たいものを自分で手繰りよせて見る、
オンデマンドやインターネットテレビの便利さを知ってしまった人々は、
二度とテレビに戻らないのだと思います。
日本のテレビの最近のつまらなさときたら眼を覆うようで、わたしはたまに旅行先のホテルで
テレビをつけて見ることもありますが、どんな番組であろうが、数分で気分が悪くなり、
ギブアップして消してしまいます。
アメリカのショウは、基本的に低俗で愚劣であることにおいては日本と似たようなものですが、
少なくとも「ひな壇芸人」と「スワイプ」「テロップ」が無いだけ、まし。
アメリカの低俗さは、何度かお話してきたように「覗き見趣味」に現れます。
人口が多く、変わった人は探せばいくらでもいるし、また彼らもお金さえ出せばホイホイと
出演してくれるので、ネタには困りません。
というわけで、「こんな変わった人がいますよ」形式のテレビショウはそれこそ山ほどあります。
本日タイトル「マイ・ストレンジ・アディクション」は、日本語で言うと「私の奇妙な性癖」。
ここはテレビっぽく
「私のクセって、ヘンかしら?」
というタイトルにしておきましょう。
内容はタイトルそのまま。
ヘンな習性をもっている人を紹介する、それだけの番組です。
わたしがアメリカで見た内容は
「プラスチックをガリガリかむのがやめられない」
「何でも匂いを嗅いでしまう」
「ガソリンのにおいが好きでたまらない」
「外のものが不潔で何も触れない」
どれもこれも、つまりは性癖ではなく「病気」という奴ではないのか、と思われる事案です。
病気は病気でも、精神科の範疇なので、これはプライバシーの問題にならないのかな?
そして、たまたま写真を撮った、
「赤ちゃんのようにふるまっていると落ち着く」女性。
この女性は、いつもおしゃぶりを咥えて就寝し、おむつまで着用しているのだそうです。
棚に異様にきちんと整頓された紙おむつを満足そうにチェックする女性。
これが男性だと「病気」というより、別の単語がつい想い浮かんでしまうのですが・・・。
どれもこれも精神的な問題であることははっきりしているので、必ず番組では
テレビ局が用意したのであろう心理カウンセラーと話し合う患者?の姿が映し出されます。
でも、わたしの見た限り、このカウンセリングによって「奇妙な癖」から足を洗えた人って、
めったにいないんですよね・・・・・。
それもそのはず。
自分自身で「私の奇妙な癖」をなんとかしたい、と当人が番組に応募してくるわけではなく、
以前ご紹介した汚部屋克服番組「Hoading」と同じく、これは大抵のケースが
「回りが見るに見かねて、何とかしてもらいたいと思い(お金も出るし)電話してきた」
という事情による出演であるからです。
テレビに出たからってやめられるなら、皆とっの昔ににやめているでしょうし。
番組には、必ず、それをテレビ局に「通報した」家族や友人の
「メアリーには困ったものよ」みたいなコメントが出てきます。
この赤ちゃん娘をチクったのは、ルームメイト。
そりゃそうだ。
同じ部屋にこんな人がいたら、実害はないかもしれないけど、気になって仕方ないでしょう。
余談ですが、このアメリカのルームメイトシステム、というのも実に不思議なものです。
ボストンに住んでいたとき、同じ階に二―ルという太った中年男性が住んでいました。
同じ年ごろの女性と同居していたのですが、遊びに行ったときもの凄く親密そうだったので、
「同棲しているのかな」
と思っていたら、これが唯のルームシェアの相手だったんですね。
アメリカのアパートはそんなに広くなくてもバスルームが二つある作りが多いので、
ルームメイトを募集して家賃を安くあげようとする人はいますが、問題は、その相手。
日本人とは感覚が違うとしか言いようがないのですが、
その広くない空間に一緒に住む相手が異性だったりするのも珍しくないらしいのです。
ビジネスライクに同居生活ができればいいのですが、二―ルがどうやらそうだったように
同棲状態に突入してしまうこともあるようで、というか、もしかしたら二―ルがそうだったように、
最初からその目的で女性を募集する人もいるようです。
それが嫌なら、最初から男性とのルームシェアに応じなきゃいいってことなんでしょうが。
ところが、しばらくして、けんかでもしたのか、その女性が突然出て行ってしまいました。
二―ルはすぐさまルームメイト募集の広告を出し、あっという間に次の人が来ました。
当然のように女性です。
今度は若い黒人女性で、ケンブリッジの医療機関で事務をしている人でした。
しばらくして、さらに驚くことがありました。
エレベーターで、二―ル、わたし、そしてアパートの管理人が一緒になったのです。
「今度のルームメイトはどうだい?」
雑談の間にこう管理人が聞くと、二―ルはなんと
「Little bit better than ex. room mate」(前のよりはちっとはマシかな)と言って、
へらへら笑ったのです。
おいおい、前の女性となんかあったんだろうが!前のはモメてでていったんだろうが!
親切で気の良いおじさんではありましたが、アメリカ人の感覚そのものに不信を感じました。
二―ルが特別だったんだと信じたいですが。
閑話休題。
この「私のクセってへんかしら?」で、結構な話題を集めたストーリーがありました。
それが冒頭画像の女性。
抱いているのは・・・・、骨箱です。
いや、骨というより、見たところ「骨粉」「遺灰」と言った方が正確な状態です。
誰の骨かというと、これが彼女の急逝していしまった夫。
彼女のやめられない癖とは・・・・・
「夫の遺灰をなめてしまう」
ひいいいっ。
彼女が片時も離さず抱いてどこにでも持って歩いている骨箱は、
愛する夫の写真がプリントされた特別仕様。
彼女はこうやって、暇さえあれば指を突っ込み、その指をぺろぺろと・・・。
ひえええっ。
ご本人はヒスパニック系に見えますが、蓋に印刷された写真によると、夫はアフリカ系。
特にうつりの良い写真を選んだのでしょうが、ハンサムな男性です。
彼女はこの夫を失ったとき、身も世もなく嘆き悲しみ、遺体を土葬ではなくクリメーション(火葬)
にしました。
ご存じのようにアメリカでは、普通土葬が行われます。
しかし、最近では火葬が増えているということで、その理由は「費用」。
土葬が30万円なら、火葬は3~4万円くらいの違いがあるのだそうです。
しかし、この彼女が火葬を選んだのは、それによって夫の身体が灰になってしまっても、
とりあえず手許においておける、という考えからだったのかもしれません。
まさか最初から骨粉を舐めようとは思っていなかったでしょうけれど。
この「骨を舐める、或いは食べる」という話を、わたしは以前にも読んだことがあります。
山の事故で連れ合いを失った女性が、寂しさを紛らわすために骨を舐めた、という話でした。
そして「相手の身体を自分と同化させるため」に、かじってみた、というのです。
気持ちが悪い、というより、愛する相手が死んでしまったとき、そういう形でしか発露できない
愛の表現もあるかもしれない、などと感じ入ったものでした。
また、その話を友人(男)にしたところ、
「分かる気がする」
と言ったので、しばらく神妙に、「骨を食べることと相手を愛することの関係」について
その心理と行動を解き明かさんとする討論が行われたのですが、そのうち
「まあ、骨ってくらいだから、カルシウム補給にはなるかもねえ」
「ちょっとのつもりで舐めたら『案外うまくね?』ってご飯にかけてみたり」
などというアホ話に突入してしまいました。
番組お約束の、精神科医とのカウンセリングシーン。
彼女がここにも骨箱を持ってきているのに注意。
このたびの通報者は、お母さんです。
娘が毎日骨をむさぼり食っていればそりゃ心配でしょうさ。
精神科医の前でもずっと悲痛な様子。
精神科医は、「あなたが骨を食べ続ける限り、あなたは夫の死から逃れることはできません。
それがあなた自身を死に向かわせることなの」
そして、そういうものを食べることが、実際の健康と精神を蝕んでいくことを懇々と説明します。
だいたいカルシウムなんて言っている場合じゃない、実際にこれ体に悪いんですよ。
人間は食物連鎖の頂点にいるわけですし、それでなくても現代人の身体は、化学物質や
添加物、ヘタすると放射能汚染されているし、死因が何であったかによっては危険極まりない。
そんなことを縷々説明するのですが、彼女には医師の言葉は全く届いていないようです。
ところで、この「カニバリズム」(食人)の一種とも言える「骨なめ」ですが、
民俗学的な観点で見ると、あきらかに「風習として骨を食べる地方」が存在するようです。
ウィキペディアにも「骨噛み」という項で
葬儀の場面でお骨を食べる社会文化的儀礼または風習としての「骨かみ」は、
現在も残っている。
俳優の勝新太郎は父の死に際して、その遺骨を「愛情」ゆえに食したと、
本人が証言している。
いわゆる「闇の社会」では骨かみの特殊な習俗が継承されているとの推測もある。
と書かれています。
世界的なレベルで言うと、遺骨や遺灰を食べることは
「愛する人の身体であったものを自分の血と肉にしたい」という、「よくある話」のようです。
しかし、キリスト教信者の多いアメリカではこれはかなり異常なこととされるようです。
なぜなら、キリスト教では復活のためには体が残っていることが必要とされるので、
それゆえ土葬が最も今までポピュラーだったのです。
彼らにすると「骨になってしまった身体」はもう、「身体」ではありません。
儀式もありませんから、火葬にすると、粉状の骨が宅配便で送られてくるんだそうです。
因みにアメリカの火葬方法は「もの凄い火力でガンガン焼いて灰にしてしまう」ということで、
その意味で日本の「適度に必要なだけ骨が残る」火葬方法は、世界でも独特らしいですね。
きれいに骨を納めて、最後に喉仏を乗せるなど、実に様式美に則っているというか、
「日本的だなあ」と思わずにいられないのですが・・・。
テレビのショウなどで「アディクション」(中毒性がある、病みつきになるという意味)などと
笑いながら見るには、あまりにも切ない彼女の「癖」。
この番組の力ではついに最後まで彼女にそれをやめさせることはできませんでした。
周りにたしなめられればたしなめられるほど、彼女は自分の中に閉じこもって、
ただ、夫の遺灰をその身体に同化させる悲しい「習慣」に没頭するばかりです。
その遺灰が、全部彼女のものになって骨箱から完全に無くなってしまう日まで、
彼女の「ストレンジ・アディクション」はこれからも続くのかもしれません。